第287話 山崎の戦い(その3)
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「お待ち下さい」
重秀が低い声でそう言った。今まで重秀が発したことのない声色に、その場にいた者達が驚きの表情を顔に浮かべながら一斉に重秀の方を見た。
皆の視線を一身に集めた重秀が、低い声のまま話し出す。
「恐れながら申し上げます。古来より、総大将はむやみに替えるべきではない、と申します。総大将が討死、もしくは負傷したときならいざ知らず、戦が始まる前に総大将が替われば、その下で戦う将兵に混乱を生じさせます。ましてや、何ら落ち度のない総大将を替えては、将兵達の士気に関わります。
此度は源四郎様(織田信吉のこと)を総大将のまま、明智勢との戦に臨むべきです」
重秀がそう言うと、神戸信孝が反論する。
「何を言うか!源四郎は総大将として戦の指揮を執ったことがない!そのような総大将の下で戦えば、かえって将兵の士気が下がるではないか!ここは従二位織田前右大臣(織田信長のこと)の次男たる儂が総大将となるが良いであろうが!」
信孝の言葉に、重秀だけでなくその場にいた者達全員が絶句した。そして心の中で呟く。
―――いや、あんた三男だし。それに織田じゃなくて神戸だし―――
織田信長の三男で神戸家に養子に出された信孝は、実は信長の次男である北畠信雄(のちの織田信雄)より数カ月先に産まれた、と言われている。
しかし、信孝の母親の身分が信雄の母親よりも低いため、次男ではなく三男となった、と言われている。
重秀が言い返そうと口を開きかけたが、信孝が更に大声を上げる。
「藤十郎!汝は兄の三位中将(織田信忠のこと)の小姓として気に入られていたから図に乗っているのだ!父親に似ず、少し容姿が優れているからといって図に乗るなよ!」
信孝の言葉に、重秀の顔が怒りで歪んだ。確かに信忠のお気に入りだった事は否定できないが、だからといって容姿だけで気に入れられた訳ではない。
―――殿様(織田信忠のこと)は人を見た目だけで気に入るような底の浅いお方ではない!―――
そう叫ぼうと口を開きかけた時だった。秀吉が重秀と信孝の間に割って入る。
「侍従様(神戸信孝のこと)!うちの愚息が大変ご無礼仕った!子の失態は親の失態!この羽柴筑前、この場にて腹を切りもうす!御免!」
そう叫ぶと秀吉はその場で胡座をかいた。そして短刀を抜くと、そのまま腹に突き立てようとした。思わず小一郎が止めに入る。
「兄者っ、兄者!何をやっとるんじゃ!止めろ止めろ!」
「離せ小一郎!藤十郎の不始末を儂が死んでお詫びするんじゃ!」
そう言って揉める羽柴兄弟に、信孝の傍にいた丹羽長秀が割って入る。
「筑前殿っ、落ち着け!貴殿が腹を切っては羽柴勢が瓦解する!そうなれば明智を討つことも叶わず、上様や殿様の仇も討てなくなるぞ!腹を切るなどと申すな!」
そう言いながら長秀があっさりと秀吉から短刀を奪った。秀吉は胡座をかいたままうなだれる。
「五郎左様、かたじけない・・・。侍従様も申し訳ございませんでした」
そう言うと秀吉は顔を上げて重秀の方を向いた。そしてあらん限りの大声で叫ぶ。
「このっ、大馬鹿息子が!早う侍従様に謝らんかい!そしてこの陣から出ていけ!儂の指図があるまで、己が陣から出るなよ!良いな!」
そう言われた重秀は、唖然とした状態から我に返った。そして、信孝に頭を下げると、早足で陣から出ていくのであった。
自分の陣に戻った重秀。それを迎えた福島正則が声を掛ける。
「どうした?兄貴。そんな不機嫌そうな顔をして。雨が降り出してきたが、今日はさほど寒くはないぞ?」
寒さで機嫌が悪くなる、というのが重秀の特徴である。その事を知っている正則がそう言うと、重秀が「そういうんじゃない!」と噛みつくように言った。
「じゃあ、どうしたんだよ。珍しいじゃないか、兄貴が寒さ以外で機嫌悪くなるのは」
正則からそう言われた重秀は、床几に腰掛けながら先程あったことを話した。
「・・・なるほどね。そんな事があったのか」
「私の外見だけで殿様が私を重用するわけがないだろう。私が小姓を務めていたときには私よりも器量が良かった小姓は結構いたからな。
それに、殿様はそのようなお方ではない。安土で殿様が天下の采配を執る時のことを申されていたが、殿様を支える方々は皆何らかの武功を挙げてきたり、政を多く行ってきた方々だ。殿様はちゃんと家臣の働きを見てくださるお方。そんなお方が古の暗君のような贔屓をなさるわけがない。いくら侍従様がお身内だからといって、殿様を馬鹿にするような物言いは許せない!」
重秀がそう言うと、自身の小姓である木下大蔵(のちの木下勝俊)から受け取った器の中の白湯を飲み干した。
「・・・羽柴様のおっしゃるとおりでございます。我が殿様はそのようなお方ではありません。侍従様のおっしゃり様は、およそ殿様に対する物言いではございません」
いつの間にか重秀の周りに集まっていた家臣達の中にいた山内康豊が怒りながらそう言った。彼は山内一豊の弟であったが、織田信忠の家臣でもあったため、一豊の下につけられずに重秀の下にいた。
「それに、侍従様は自らを『織田家の次男』と称した。まあ、神戸家に養子に出されたとはいえ、織田の連枝衆として扱われたから、『織田家』と名乗るのは良い。しかし、『次男』と称するのは拙いだろう。伊勢の中将様(北畠信雄のこと)の面目が立たなくなる」
重秀がそういった時だった。周りに集まっていた家臣達の更に後ろから、「それは仕方ない」と言う声が上がった。
皆が一斉に声の方へ視線を向けると、そこには秀吉が立っていた。皆が一斉に片膝をついて跪く中、秀吉が重秀に近づいた。重秀が慌てて立ち上がる。
「父上。先程は申し訳ございませんでした。まさか、父上が腹を切るとは思っておりませんでしたので」
重秀がそう言うと、周りにいた者達がギョッとしたような表情を顔に浮かべた。しかし、秀吉はなんでもないかのように言う。
「なに、あんなのはただの猿芝居じゃ。誠に腹を切ろうなどとは考えておらぬわ」
「しかし、叔父上は誠に止めようと必死でしたが・・・」
重秀がそう言うと、秀吉が笑い声を上げながら応える。
「あっはっはっ!小一郎のあれも猿芝居よ!あの程度の猿芝居で騙されるとは、藤十郎もまだまだじゃのう!・・・いや、小一郎の演技が上手くなったと言うべきか?」
秀吉がそう言うと、重秀だけでなく周囲の者達も安堵の表情を顔に浮かべた。そんな中、秀吉が重秀に話しかける。
「藤十郎。お主の気持ちはよく分かる。しかしな、侍従様の言い分ももっともだと思うぞ。源四郎君は戦に出たことがほとんどない。そんな総大将を兵は不安に思うじゃろう。それならば、少しでも戦に出たことのある侍従様が総大将になったほうが良いじゃろう」
「しかし父上。侍従様に総大将が務まりますでしょうか?聞けば、日向守(明智光秀のこと)が謀反を起こした際、大坂の軍勢は兵が逃亡し、軍の体裁が保てなかった、と聞いております。そんな大坂の軍勢の総大将たる侍従様に、此度の決戦を指揮できるのでしょうか?」
「それについては案ずるな。侍従様が『日向守を討つ策、筑前が考えよ』と申しておった。あのお方は己が総大将になりたいだけで、実際の動きは儂に丸投げするおつもりじゃ。まあ、その方が儂としても好きに指図できるから願ってもないことなのじゃが。
・・・藤十郎。お主も言いたいことがあるのであろうが、今は明智との決戦の前じゃ。陣内であまり諍いを起こすな。兵の士気にも関わる。良いな?」
秀吉がそう言うと、藤十郎は「承知いたしました」と言って頭を下げた。
「うむ。殊勝な心がけじゃ。じゃが、侍従様はそうでもないらしい。お主の言い分にむかっ腹を立ててへそを曲げられた。今は五郎左様が宥めておられる。
・・・藤十郎。ほとぼりが冷めるまで、少し我が軍から離れておれ」
秀吉の言葉に、重秀だけでなく周囲の家臣達の顔色が変わった。その中の一人、山内一豊が声を上げる。
「大殿!それはすなわち若殿を兵庫に戻すおつもりでござるか!?いくらなんでもご無体な仕打ちにございますぞ!」
「そうではない。藤十郎にはこれより兵を率いて山崎に行ってもらう。先に出陣した瀬兵衛殿(中川清秀のこと)と右近殿(高山重友のこと)の後詰めじゃ」
秀吉がそう言うと、一豊だけでなく周囲の者達もホッとした顔つきになった。秀吉が真面目そうな顔つきで重秀に言う。
「藤十郎。すまぬが山崎に先に行ってもらう。恐らく甚内(脇坂安治のこと)率いる水軍も明日の朝には山崎まで船を進めておるじゃろう。それまでに、山崎を押さえておくのじゃ。良いな?」
秀吉からそう言われた重秀は、「承知しました」と言って頭を下げるのであった。
重秀は自らの手勢を率いて富田を出陣。一路山崎へと向かった。その道中、重秀勢の先頭を行く加藤清正の目に、こちらに向かってくる騎馬武者が見えた。
「止まれ!どこの者か!」
清正が自分の乗っている馬を操りつつ、右手に持った槍を掲げてそう叫ぶと、近づいてきた騎馬武者が馬を止めた。そして大声で清正に応える。
「それがし、中川瀬兵衛様の臣でござる!羽柴勢の方々とお見受けする!」
「如何にも!それがし、羽柴藤十郎が臣、加藤虎之介でござる!我等に何用か!」
「それがし、羽柴筑前守様にお伝えしたき儀あり!お通しあれ!」
そう言われた清正は、早速重秀にそのことを伝えた。
「・・・相分かった。通すように。ただし、伝える内容は聞いておけ。ひょっとしたら、我等が中川勢や高山勢と合流した際に聞かされるやもしれない。事前に知っておけば話が早く済む」
重秀からそう命じられた清正が、中川の騎馬武者にそう伝えると、その騎馬武者は重秀の所まで来て直接口で伝えた。
「山崎の惣中(村や町の自治組織のこと)から使者がやってきて、禁制を定めてほしい、と申しておりました。その内容について、羽柴筑前守様のご意見を聞いてくるように、と言われました」
そう言うと騎馬武者は重秀の元から去った。
「禁制、か・・・」
重秀は顔を顰めてそう呟くと、止めてきた軍勢を再び進ませた。
その後、重秀の軍勢は日没前に山崎の一歩手前まで来ていた。そこには先に来ていた中川勢と高山勢が陣を張っていたため、重秀は福島正則と山内一豊、尾藤知宣、大谷吉隆(のちの大谷吉継)と共に中川清秀の陣へと向かった。
重秀達が清秀の陣に入ると、そこには清秀の他に高山重友と古田重然がいた。
「おお、藤十郎殿。随分と早いご到着ですな?」
「父筑前の命により、中川様と高山様の後詰めに参りました」
清秀の迎えの言葉に対し、重秀がそう応えた。そして、清秀に近づくと、道中で会った騎馬武者について尋ねた。
「・・・ああ、あの者に会いましたか。いや、実はそのことで難儀している次第にて」
清秀が眉を顰めながらそう言うと、続けて重友が小声で話しかける。
「我等が山崎に入ろうとしたところ、山崎の惣門が閉じられていまして。その手前で陣を張っていたところ、山崎の惣中から使者が来て、我等に『いかなる軍勢に対しても惣門を開くことはない』と言ってました」
「ええっ・・・?」
重秀が心底嫌そうな顔つきで声を上げた。山崎の町に軍を入れないとなれば、山崎を突破して山城国に行くことは難しくなる。また、天王山を占拠することも事実上不可能になる。そうなれば、羽柴方の作戦は瓦解することになるからだ。
「・・・明智方が山崎の隘路に兵を置かなかったのは、山崎の惣中からの要請ですか?」
重秀がそう尋ねると、清秀が頷く。
「使者が言うにはそうらしい」
「それで、向こうは何かしらの取引を持ちかけましたか?」
重秀がそう尋ねると、清秀は吐き捨てるかのように言う。
「そんなものはない。『山崎は一歩も入れさせぬ』だそうだ。更に言うには、『私共の願い出を受け入れぬと言うならば、京に油は入りませぬぞ』だそうだ。連中、京へ油を入れないことで、京を質に取ったつもりでいる」
清秀の言葉に、重秀は眉を顰める。
「・・・ひょっとして、使者は大山崎の油座の連中ですか」
「左様。というか、油座が惣中を兼ねている、というべきでござろうな」
重然の言葉に、重秀は考え込んだ。そして、清秀と重友の方へ顔を向ける。
「・・・その使者、まだこの陣にいますか?できれば、話をしてみたいのですが・・・?」
そう言われた清秀と重友、そして重然が顔を見合わせた。そして清秀が重秀に話しかける。
「それは構わない。使者ならこの陣の別の場所で休ませているから、こちらに連れてこよう。・・・しかしながら、あの使者を説得するのは難しいと思うぞ?調略に長けた左介殿ですら説得できなかったのだから」
清秀がそう言うと、続いて重友が話しかける。
「藤十郎殿。貴殿は荒木摂津(荒木村重のこと)が上様に謀反を起こした際、うるがん殿に対してそれがしを織田方につかせるよう説得した、と聞いた。また、あの宇喜多や村上をも調略したとも聞いている。
貴殿は調略に自信があるようだが、山崎の油座は少しの調略でどうこうできる相手ではござらぬぞ。連中は公方や帝相手に強訴まで行う連中。しかも、調略に失敗し、油座が敵となれば、連中は油を京に入れなくなる。そうなれば、朝廷の怒りを買うことになる。下手すれば、我等は朝敵になるぞ」
重友の発言に、重秀についてきた尾藤知宣と大谷吉隆の顔色が悪くなった。2人は山崎の油座が敵に回った場合の影響の大きさを想像したのだ。
一方、重秀はと言うと、一瞬だけ怯んだように見えたものの、意を決したような視線を清秀と重友に向ける。
「・・・話すだけ話してみます。その使者と会わせて下さい。それと、皆様にもご助力いただきたい」
そう言うと重秀は、自分が交渉で何を話すのかを皆に話すのであった。
中川清秀の家臣が連れてきた山崎の惣中からの使者は3人であった。1人は商人、1人は神主、最後の1人は僧侶であった。
3人の前には重秀と中川清秀、高山重友が床几に座り、使者3人を挟むようにそれぞれの家臣と古田重然が床几に座っていた。
「羽柴筑前守が息、羽柴藤十郎である。お見知りあれ」
重秀がそう言って自己紹介をすると、使者の3人は一斉に顔を強張らせた。油を商売としている者達にとって、北近江で桐油の製造を確立させた羽柴の名を知らぬ者はいないからだ。
「・・・羽柴筑前守様の御子息がわざわざのお運び、恐悦至極に存じます」
商人が京訛りでそう言いながら頭を下げると、神主と僧侶もつられて頭を下げた。そんな3人に重秀が話しかける。
「山崎への立入禁止については中川様と高山様から聞いているが、改めてお話し願えるだろうか?」
重秀がそう言うと、商人が「へぇ、分かりました」と言って話し始めた。それは、清秀や重友が話したことと同じ内容であった。
「なるほど、相分かった」
重秀がそう言って頷くと、商人がしたり顔で話を続ける。
「うちらが京へ油を運ばへんことには、京の衆はおろか、帝のおん方も、公家衆もお困りになってしまいます。日向守様(明智光秀のこと)も、そのことはよう分かってはりましてな、山崎には一歩も兵を入れさせない、と申してくれはりました。何卒、山崎の民草のため、兵を入れないでおくれやす」
そう言ってきた商人に、重秀は柔らかい表情で応える。
「父筑前も、無闇に民草を傷つけることを好まぬお方。民草に配慮を行うことはやぶさかではございません」
重秀がそう言うと、商人だけでなく、神主もニヤリと笑った。しかし、重秀は先程の柔らかい表情から険しい表情に変えて話を続ける。
「しかし、我等は逆臣惟任日向守を討ち、主君である前右府様(織田信長のこと)と三位中将様(織田信忠のこと)の仇を討たねばならない。そのためには山崎を通過し、天王山を抑える必要がある。我等を通してもらいたい」
重秀がそう言うと、3人の使者は反発する。
「あきまへん。羽柴様のご軍勢が山崎を通らはったら、きっと惟任様のご軍勢が止めに動かはると思います。そないなったら、山崎で戦が始まりまっしゃろ。そないなったら、うちら、宮中へ油を納められしまへん」
商人がそう言うと、神主や僧侶も頷いた。それを見た重秀が溜息をつく。
「・・・分かりました。それならば仕方ない。山崎を押し通りましょう」
重秀の言葉に、3人の使者だけでなく、清秀や重友達もギョッとした顔つきになった。そんな中、重秀が話を続ける。
「山崎の民に被害が出ぬよう、早急に立ち退いて下さい。また、油や製油に使う道具も持ち出して結構です。もし、持ち出しが難しいのであれば、我が水軍の船で運び出しましょう。山崎の船着き場に集めておいて下さい。その旨、総大将たる侍従様より、禁制を出す所存にて」
話を進める重秀に、商人が「お待ちやす!」と声を上げた。
「山崎を戦に巻き込まはるおつもりどすか!? そないなことしはったら、京へ油が入らんようになりまっせ! そないなったら、京の衆はもちろんやけど、朝廷におわします帝のお方も、公家衆も、油を必要としはる寺社も、きっとお怒りになりまっせ!」
そう言った商人に、重秀が落ち着いた、それでいてどこか勝ち誇ったような口調で話す。
「油についてはご心配なく。羽柴がご用意いたしますから」




