第26話 小谷にて(前編)
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天正二年(1574年)十一月の最後の日。大松は秀吉、重治、市松と夜叉丸と共に小谷城下の羽柴屋敷に入った。御祖母様は中村の田畑の整理や家の整理があるため、春に今浜改め長浜の城にやって来ることになっていた。
さて、羽柴屋敷の門をくぐると、玄関先には羽柴一門を初め、浅野家の人々や杉原家の人々、新たに木下家となった人々が待っていた。
「おお、兄者。よう戻ってきてくれた」
「おう、小一郎、そして皆の衆。出迎えご苦労!」
小一郎の言葉に、秀吉は鷹揚として答えた。すっかり城持ち大名としての貫禄も板についたようであった。秀吉が馬から降りると、大松達も馬から降りた。皆からどよめきが僅かに上がった。
「さて、皆の衆。改めて紹介しよう。我が嫡男、大松じゃ」
秀吉が自分の背より若干大きくなった大松の手を取って皆の前に出した。どよめきは驚きの声へと変わっていった。
「大松かえ!?でかくなったのう〜!」
「若様!ご立派になられまして・・・!」
「あ、従兄上、お戻りなさいませ・・・!」
ともが驚き、弥助が感涙にむせ、治兵衛が恐縮しながら大松に言う。
「若!初陣おめでとうございまする!そしてお戻りなさいませ!」
「大松が男っぽくなった・・・。不幸だわ・・・」
副田吉成が歓喜の声で、あさが残念そうに大松に言う。
「おー。とうとう義兄貴の背を越したか。立派になったもんじゃ」
「ええ、本当に。姉上も草葉の陰で喜んでおられましょう」
浅野長吉が感心し、妻のややが目を潤ませながら言った。
杉原家次、木下家定の家族はあまりの驚きに声が出ていなかった。もっとも、家次と家定以外の家族は大松を見たことがないので、今回初めて見て、秀吉に似ていないことに驚いていたが。
再会を喜びあった一同であったが、秀吉の「積もる話は中でしようぞ」と言うと、取り敢えず屋敷の広間に皆で集まることとなった。自分の屋敷に戻る重治を見送った後に、一同は広間へと向かおうとした。しかし、
「広間へ向かう前に、奉公人、番兵達に大松を披露してやろう」
と言う秀吉に従い、皆は広間の前にある縁側に集まった。縁側の先にある庭には、既に奉公人や番兵が集められていた。秀吉が大松が自分の息子であること、岐阜城で小姓として御屋形様や若殿様の側にいたこと、すでに初陣を終わらせていることを話した。若干誇張した話も含まれていたが、奉公人達や番兵達は素直に信じたようだった。
その後、大松達はすぐ後ろの広間へと入っていった。岐阜の羽柴屋敷にはなかった広間には、すでに何人かの女性が待っていた。一同が入ると、女性たちは平伏して迎えた。
「大松は儂の隣じゃ。後の者たちはいつもどおりにの」
秀吉がそう言うと、大松はためらいながら秀吉に言った。
「父上、そこは上座で、しかも上段の間ではありませんか。大松めは下段で・・・」
大松が遠慮するのも仕方がない。今まで小姓であった大松にとって、広間の上座、しかも一段上がった上段の間は信長か信忠しか座れないところであった。そんな所に自分が父と共に並んで座ることは恐れ多い、と大松は思っていた。もっとも、大松は自分が刀持ちとして上段の間に座った事自体はあるのだが。
「阿呆!この屋敷・・・、いや、小谷城主の跡取り息子が儂の隣に座らんでどうする。つい先日、若殿様も御屋形様の隣で上段の間に座っておっただろう。さっさと座れ。」
上段の間に座りながら怒る秀吉の言葉に、大松は戸惑いながらも秀吉の隣りに座った。
小一郎は下段の左側に座り、その他は広間の左右の側に座った。広間の真ん中より下座には、すでに広間にいた女性たちが座っていた。
「一同!大義!」
秀吉が声を張り上げると、広間にいた全ての者が平伏した。大松も平伏するが、秀吉が肘で小突きながら小声で注意する。
「ここで平伏せぬで良い」
「はっ、はい」
大松は慌てて頭を上げた。眼下には多くの人が平伏していた。
―――小姓の時に岐阜城や清洲城で刀持ちとして上段から見た時は緊張でそれどころではなかったけど、改めてこの場所から見ると、気分が高揚するな―――
大松がそう思っていると、下座にて頭を下げている女性たちの中で、立派な着物を着て、集団の先頭で平伏していた女性が頭を上げながら声を発した。
「殿のご帰還、祝着至極に存じ上げ奉りまする」
「おお!せんよ。体の具合はどうじゃ?」
上機嫌な秀吉に声を掛けられた女性―――せんは、しっかりとした声で返事をした。
「はい、おかげさまで、今では体も良くなりました」
「そうかそうか。それは良かったのう」
秀吉は笑顔でそう言うと、右手を大松の肩に置きながら話を続けた。
「せんよ。これが儂の跡取り息子の大松じゃ。どうじゃ、良き男子であろう。ほれ、大松よ、挨拶せぬか」
「大松です。父上がお世話になっています。今後もよろしくお願いする」
丁重なもの言いであるが、必要以上に謙らぬよう、気を使いながら言葉を発する大松。当然、頭を下げることはない。この点は信忠の真似である。
「・・・大松様にお目通りできましたること、恐悦至極にございまする。また、小谷へのお越し、祝着の極みにございまする」
せんがそう言うと、大松に平伏した。
―――あれが父上の側室、南殿か。見た感じ、高慢な方とは思えないが・・・―――
大松がそう思っている間にも、せんの周りの女性達も平伏する。よく見ると、せんの左隣にいる女性は布に包まれた何かを抱いていた。秀吉もそれに気がついたようだ。
「おお、石松も来ておったのか。ささ、儂のもとに持ってまいれ」
秀吉の言葉に反応したかのように、何かを抱いている女性が立ち上がると、そのまま秀吉の所まで歩いていき、片膝をついて跪くと、腕に抱いたものを秀吉に渡した。
「おお、おお!よう寝とるのう!ほれ、大松!お主の弟じゃ!」
相好を崩しながら、抱いた赤子を見せる秀吉。大松が見ると、そこにはやや大きくなった赤子が眠っていた。
「・・・愛いらしいですね」
微笑みながら大松は呟いた。
「おお!大松もそう思うか!お前の弟じゃ。大切にしてくれ、そうじゃ!お主も抱いてみよ!」
秀吉の言葉に大松と、せん達女性陣が息を呑んだ。大松は恐る恐る赤子を抱いた。腕の中ですやすや眠る赤子の顔に、思わず大松の笑みがこぼれた。
大松が赤子を抱き、秀吉が赤子の頬を指でなぞる。そんな光景を皆が微笑ましく見ていた。そんな中、小一郎だけはせんをじっと見つめていた。
挨拶が終わった後、女性と子供は控室に移った。男性達が残った広間で、秀吉が二回手を叩いた。すると、廊下より1人の青年を先頭に、4人の若者が入ってきた。5人は下座に座ると秀吉と大松に頭を下げた。
「大松よ。今日よりそなたに付ける家臣よ。まあ、二人は市松と夜叉丸だけどな。残りの三人を紹介しよう。まずは弥三郎!」
秀吉から弥三郎と呼ばれた青年は「ははぁ!」と平伏すると、言葉を続けた。
「近江国坂田郡石田村、石田太郎右衛門正継が息、石田弥三郎正澄と申しまする。若君のご尊顔を拝し奉り、恐悦至極にございまする!」
「次、孫六!」
正澄の挨拶が終わると、秀吉が名前を呼ぶ。
「はい!」
夜叉丸の隣りに座っていた少年が平伏した状態から顔を上げた。作法があまり武士っぽくない。
「加藤三之丞教明が息、加藤孫六と申しまっす!よ、よろしくお願いしまっす!」
そう言って孫六は思いっきりおでこを畳にぶつけながらも平伏した。
「次、桂松!」
「・・・はっ」
秀吉に呼ばれた、孫六の隣りに座っていた少年が返事をした。ちょっと声が聞こえづらい。
「・・・大谷桂松でございまする。若輩者ではございまするが、精一杯、若君にお仕えいたしますることを誓います」
決して大きくない声を出しながら、桂松は平伏した。
「うむ、今までお主等五人は儂の小姓であったが、これよりは大松にもついてもらう。とはいえ、儂の小姓が少なくなるのも困るでのう。多少は儂の事も手伝ってくれい」
秀吉がそう言うと、大松の方を向いた。
「ほれ、大松。お主からも何か言うのじゃ」
「は、はい。それでは・・・」
大松は一つ咳払いをすると、目の前の5人に声を発した。叫ばないよう、注意しつつも大きな声を出した。
「大松である。聞いていると思うが、羽柴筑前守の長子である。御屋形様の命により、岐阜のお城にて小姓の役目を仰せつかっていたが、父の願いにより小谷にて共に過ごすこととなった。私も父のために努めるが、何分小谷のことはよく分からぬ。遠慮なく、教えてもらえるとありがたい。そこにいる市松と夜叉丸は義兄弟の契りを交わしているが、他の者達も、兄弟と思って私と共に父を支えることを望む」
急に振られたため、取り敢えず思っていることをそのまま口に出した大松。こんな事なら、考えておけばよかったと心の中で後悔していたが、どうやら想いは伝わったらしく、5人は真面目な顔で「ははぁ!」と返事をすると平伏した。
「五人共、大松を頼んだぞ。では、何か聞きたいことはあるかな?」
秀吉が言うと、市松が「恐れながら」と言ってきた。秀吉が頷く。
「佐吉の奴はどうなりましたか?」
若干の敵意を含んだ声で聞いてきた市松。秀吉はそれに何か感じたのだろうか、眉をひそめながら答えた。
「あやつは優秀じゃからのう。儂の元で鍛え上げる。市松も、そして夜叉丸もいい加減佐吉と仲良くしろ」
秀吉の小言に対して、市松と夜叉丸は黙って頭を下げた。
「・・・父上、佐吉とは?」
大松は市松と夜叉丸を見ながら秀吉に聞いた。
「そこにいる弥三郎の弟よ。元々寺にいたんじゃが、偶然その寺に行った時に見つけてのう。賢そうだったんで、小姓に取り立てたのよ。その伝手で、弥三郎と太郎左衛門も召し抱えたのよ」
秀吉がそう説明した。続けて、溜息をつきながら話した。
「・・・佐吉と市松、夜叉丸が仲が悪くてのう。顔を突き合わせるたびに言い合いが酷くてな。注意しておるのだが・・・」
「殿さん。そうは言うけどよ、あいつは俺や夜叉丸をすげー馬鹿にしてくるんだぜ!ちょっとそろばんが上手いからって、調子に乗り上がって!」
「先にちょっかいを出していくのはお主らであろう。あれだけやり込められたのに、懲りずに向かうお前が悪い」
そう言ってきたのは小一郎であった。小一郎もうんざりとした顔で言ってきたので、恐らく小一郎も佐吉と市松達の争いを仲裁していたのかも知れない。
「・・・市松、夜叉丸。そんなに佐吉とやらが気に入らないか?」
大松が市松達に聞いてきた。声に抑揚がない。
「ああ、気に入らないな。なあ、夜叉丸?」
「・・・ああ」
市松の言葉に、夜叉丸が言葉少なげに同意する。こめかみに血管が浮き出ていることで、夜叉丸の怒りが爆発寸前になっていることは、付き合いの長い大松にも分かっていた。
「・・・父上、小姓同士の争いは敵に家中の隙きを突かれる恐れがあります。佐吉とやらと、市松と夜叉丸を当家より追放すべきと考えます」
大松のいきなりの発言に、市松や夜叉丸はもちろん、その場にいた者全てが驚きの声を上げた。ただ、秀吉と小一郎は冷静だった。秀吉が落ち着いた声で大松に声を掛けた。
「大松、ただでさえ家臣がいないのに、優秀な若い三人を追放するのはいかがなものか」
「争いの芽は早めに摘むがよろしいかと」
「お、お待ち下さい!長兄!我らは義兄弟でしょ!?我らより佐吉を選ばれるのか!?」
秀吉と大松の会話に、夜叉丸が立ち上がりながら大声を上げて割って入ってきた。
「夜叉丸、勘違いするな。佐吉も追放すると言っただろう。喧嘩両成敗だ」
大松がそう言うと、夜叉丸はなんと言って良いのか分からずに苛立たしげに座り込んだ。
「・・・兄貴、本気で言っているのか?」
市松が忌々しげに大松に聞いてきた。大松は市松を見つめながら言った。
「言っただろう?父のために努めると。父に害するような者を、羽柴家中に置いておくわけはいかない。例え、義兄弟だとしても」
大松はそう言うと、一息ついてから市松に話し始めた。
「私も小姓の時にいじめられたけど、その時に助けていただいた蒲生様から言われたことがある。『小姓が仲間内にて争いを起こせば、いずれ織田家に害をなす』と。それ故、織田家では小姓の綱紀粛正が厳しく行われてきた。羽柴でもこれをやらなければ、羽柴に害を及ぼすことになる。それはつまり、父を害することになる。父が害されれば、父を信じてついてきてくれた者共にどう説明する?私は、父を信じてくれた皆を路頭に迷わせるわけにはいかない」
大松の言葉に、市松や夜叉丸だけでなく、皆が聞き入っていた。
「そしてその家臣の中には、義弟たちも入っている。義弟たちよ、武士になりたくて父についてきたのに、その父を害するのか?害して武士になれないのは義弟たち自身だぞ?よく考えて欲しい」
大松がそこまで言うと、そのまま黙ってしまった。少し経ってから、小一郎が市松と夜叉丸に話しかけた。
「・・・市松に夜叉丸。大松がここまで言うのは、お前たちが憎いわけでも、佐吉を気に入っているからではない。お主達を思えばこそ、厳しいことを言うのだ。もし、大松がお主たちのことを何も思ってなければ、この場でお主達を追放しようなどと言わん。お主達が広間から出ていった後で言うぞ。言った後は兄者がお前たちを呼び出してお終いじゃ。大松に会わずに羽柴家から追放じゃ。それではお前たちのためにならないから、大松はお前たちに厳しいことを言ったのじゃ」
小一郎の言葉に続いて、秀吉が話しかける。
「小一郎の言うとおりじゃ。大松は優しい。優しいからこそ、お主達に立派な武士になって欲しいと思って、あえて追放などと言ったのじゃ。本当なら儂も親戚のそなた達を手放しとうない。しかし、親戚の情に甘えて滅んだ家は数知れず。羽柴をそれに加えさせるわけにはいかんのじゃ。いづれ羽柴は大松のものじゃ。その時にお前たちが仲違いしては、困るのはお主達の義兄、大松じゃ。大松のためにも、仲良くしろとは言わんが、ちょっかいを出すな。無論、儂からも佐吉には言うとくで。よいな!」
大松、小一郎、秀吉と説得されたのが功を奏したのか、市松と夜叉丸は神妙な面持ちで「はい」と答えた。
正澄や孫六、桂松はもちろん、周りにいた者たちが、驚きの眼差しを市松と夜叉丸、そして大松に向けていた。
―――見ない間に随分と成長したものじゃ。これなら羽柴を大松に任せられる―――
小一郎はそう思いながら大松と、驚きの色を隠せない皆を交互に見つめていた。そして、新たに思うのであった。
―――大松ではなく、石松を担ぎ上げようとする連中の悪巧みをなんとしても阻止せねばならん。まずは、岐阜時代の皆をまとめあげよう。杉原や浅野、木下はもちろん、竹中様、蜂須賀殿、前野殿、山内殿や仙石殿じゃ。あの辺は大松を良く知っているが、さらにテコ入れしておこう・・・。そして・・・―――
小一郎は秀吉の顔を見た。秀吉は大松を見ながらニコニコしていた。
―――兄者は大事無いとは思うが、釘を差しておこう・・・。そして、もし、南殿が石松を担いで大松を排斥するようなことがあれば・・・、最悪、二人共消えてもらおう―――
小一郎は人知れず両手を強く握っていた。それは、決意を秘めた握り拳だった。
―――義姉さま。大松は、この小竹がどんな手を使ってもお守りいたしまするぞ―――
小一郎は心の中で、そう誓うのであった。




