86.目覚め
「プ、プレアディス公爵? この山の麓には見張りの兵がいるのに、どうやって入ってきたのだ?」
突然のカトリーヌに、ラヴォント殿下も困惑している。
写し狐に至っては天敵を出くわしたような顔で、殿下の背後にささっと隠れてしまった。あなた、神獣ですよね?
「火魔法で翼を形成して、上空から侵入しました」
火魔法の応用力すっごい。私の脳内に、フェニックス・カトリーヌというテロップが流れた。
「医務室で目を覚まし、すぐさま殿下のもとへ向かおうとしたのですが、人知れず城を抜け出しエスキスへ向かわれる後ろ姿が見えましたので、そのまま後を追わせていただきました」
そして、何より本人の決断力が凄まじい。
流石は炎熱公爵、王子を尾行するなんて覚悟が決まり過ぎている。
というより、三人(正しくは二人と一匹)だけの秘密のはずが早くもバレてしまった。信用も信頼もできる義姉なのが不幸中の幸いではあるけれど。
パウンドケーキで口止めできんかな……と検討していると、カトリーヌはラヴォント殿下の前に恭しく片膝を折った。
「ご無礼をお許しください、殿下。私は長らく、リラの変貌を訝しんでまいりました。『これは本当に、私の知る友人なのか』と。そして、先ほど庭園で彼女がそちらにいる狐に姿を変えた時、何か糸口が掴めるのではないかと確信したのです」
「公爵……」
「お願いいたします。どうか私にもリラを救う助力をさせてください。プレアディス家の名に懸けて、必ずや殿下の御力になってみせましょう」
凛とした声で宣言する姿は勇ましく、思わず見入ってしまうほど美しかった。失礼ながら、邪悪な笑みと共に火柱をブチ上げる人とは同一人物に思えない。
「ああ……頼りにしているぞ、公爵」
ラヴォント殿下が嬉しそうに頷く。
こうして心強い味方が一人増えたところで、私たちは王城に帰還したのだった。
それで、まずは今後について話し合うことになったんだけど。
「その前に、おやつタイムにしましょう」
狂乱のお茶会からずっとフル稼働で、いい加減ヘロヘロだ。
腹が減っては戦はできぬ。私はエプロンを装着すると、すぐさま厨房に向かった。
すると、中に足を踏み入れた途端、何やらいい匂いが漂ってきた。
「あ、アンゼリカ様!」
明るい笑顔でぱたぱたと駆け寄って来たのはクロードだった。子供用のエプロンを着けていて、泡立て器を握り締めている。
「今、クロード様とパンケーキを焼いていたのですが……はは、少し調子に乗ってしまいました」
朗らかな笑顔を見せる料理長の傍らには、山のような量のパンケーキ。
どれも綺麗な狐色に焼き上がっていて美味しそうだ。
「僕は掻き混ぜ担当をしていました」
「まあ、そうでしたのね」
「お料理ってとっても楽しいですね、アンゼリカ様!」
にっこり笑顔のクロードを見て、私もつられて頬を緩ませる。
マティス伯爵家の悪行が明らかになった後、クロードは引き続き王城で保護することが決定した。
市井の孤児院に預けるわけにもいかないものね。伯爵家の一員だと知られたら、どんな目に遭うか分からないし。
両親が毒殺されたことに関しても、折を見て明かせばいいとシラーは言った。どんなに酷い仕打ちを受けたとしても、家族であることに変わりはない。まずは城でゆっくりと心と体の傷を癒やすのが先決だということになった。
「クロード様は料理の才に恵まれておいでです。先ほどパイ生地を捏ねるのを手伝っていただいたのですが、見事な手つきで惚れ惚れしてしまいました」
嬉々として語る料理長に、クロードが少し照れた様子ではにかむ。
私の影響を受けてか、料理に目覚めたクロードはちょくちょく厨房に顔を出しては、小さなお手伝いをするようになった。最初は「滅相もない!」と青ざめていた料理人たちも、今ではすっかり慣れたご様子。
特に料理長は、敬語で接しながらもクロードを息子のように可愛がっている。
クロードもそんな料理長に懐いているようで、一緒にごはんを食べているのだとか。
そのせいで、最近会いに来てくれなくなったとシラーが少し寂しがっているみたいだけど。




