55.お久しぶり
さて、その翌日。
「ネージュを味方につける」という荒技を使われ、結局私はレグリスの研究室を訪れることになった。
ネージュとララを連れて、ラヴォントの案内の下、王城の敷地内を歩く。その途中で通りかかった庭園では、青紫色のライラックが美しく咲き誇っていた。
「研究室はあの塔の一番上だ!」
ラヴォントが指差したのは、西側にある四角錐の塔だった。結構でかい。
「父上は公務や執務の時以外は、いつも研究室に籠もって、様々な発明品を作っているのだ」
「はつめーひんって、どんなのっ?」
ネージュがワクワクした表情で尋ねる。
「うむ。先日は、吹くと何故か烏が集まってくるオカリナを作り」
黄色と黒のちゃんちゃんこを着た男の子かな?
「その前は、頭を撫でるとゲラゲラと笑い出す人体模型を発明し」
七不思議で理科室の番人やってそう。
「一月前は、暗闇の中でもぼんやりと光って見えるインクを完成させたぞ!」
たまに実用性のある発明をしてる……
「オカリナぴゅーってして、かぁかぁさんたちよぶの!」
ネージュの関心を引き付けたのは、烏ホイホイのオカリナだった。これがシマエナガちゃんだったら、私も一票入れているんだけどな。
「チュウッ! チュチュウッ!」
「ララ、どーしたの?」
ネージュの頭の上に乗っていたララが、突然塔に向かって鳴き出した。何かを感じ取ったのかもしれない。そしてその「何か」の正体は、すぐに分かった。
ドーンッと謎の爆発音の後、塔の最上階の窓から炎と煙が吹き出したのである。軽く地面が揺れた。
「レ、レグリス殿下……!」
「案ずるな! あの程度の爆発なら、十日に一度のペースで起こしている!」
何してらっしゃるんですか、王太子。というより無事なんですか、王太子。
騒ぎを聞きつけた巡回の兵士たちが集まってくる。誰かが「またか……」と呟いたのを私は聞き逃さなかった。
ん? 塔の中から悲鳴のような声が聞こえてくる。それからザァァ、と洪水のような激しい水音。中で必死に消火活動が行われている……?
だがその悲鳴と水音は、何故か次第にこちらへと近付いてくる。私はとりあえずネージュを抱き上げた。ララも真剣な表情で。前を見据えている。
「た、助けてくれっ!」
塔の入り口の扉が開かれ、白衣を着た人々が飛び出してきた。「父上の助手だ!」とラヴォントが叫んだ。
そして彼らを追いかけるようにして、真っ黒な濁流が塔の中から噴き出す。バキッと嫌な音を立てて扉が破壊された。
「ギャーッ!」
私は猛ダッシュで元来た道を駆け始めた。
「な、な、何ですの、アレ!?」
「ち、父上が作り出した秘薬だ!」
風魔法でふわふわと空中を浮かびながら、ラヴォントが何度も後ろを振り返る。秘薬って言うから、鍋に一杯程度の量だと思っていたんだが!?
「ネージュ、私にしっかり捕まってるのよ!」
「だめ! おかあさま! はしっちゃ、めっなの!」
激おこネージュさん!?
「にんぎょさん、『いかないで』ってないてるの!」
「えっ」
娘の一言に、私はピタリと足を止めた。ラヴォントがぎょっと目を見開き、私の肩を強く揺さぶる。
「アンゼリカ夫人!? 何をしているのだ! 早く逃げねば……」
「い、いえ。あの……」
この津波を起こしている犯人が分かってしまい、私は脱力しかけていた。
ネージュが「にんぎょさん」と呼ぶ人物(?)は、一人しかいないわけで……
その場で待っていると、黒い水に乗って見覚えのあるブツが、どんぶらこと流れてきた。液体を無限に生み出せる精霊具、水差し丸だ。
「にんぎょさーんっ!」
ネージュが満面の笑顔で大きく手を振る。途端、敷地内を覆い尽くしていた黒い水が一瞬で消え、水差し丸は私たちへと飛び込んできた。
「わーっ、ちょっと待って! 今、ネージュを抱っこしてるから両手が塞がってて……」
私の叫びが通じたのか、水差し丸は私たちの目の前でピタリと動きを止めた。青い光を帯びながら、宙にふわふわと浮かんでいる。
「み、水差しが宙に浮かんでいる……!?」
「あれも殿下の発明品なのか?」
「水差しを浮かせてどうすんだよ」
「いや、殿下なら面白そうって理由で浮かせると思う」
兵士たちがざわついている。まさかこれが精霊具だなんて、思わないでしょうしね。
「久しぶりね。元気にしてた?」
雨爪病特効薬の製造器として、エクラタン城で大活躍していた水差し丸。まさかこんな形で再会するとは思わなかった。
……というより、すっかり忘れてた。ほんと、マジごめん。あれだけ寂しがっていたフライパンも、最近はハムちゃんになったララと遊んでたし。
自分が忘れ去られていたとは露知らず、水差し丸が嬉しそうに体を上下に揺らしていた。めっちゃ早くて残像が見える。
そして中に入っている黒い液体も、ちゃぷちゃぷと揺れている。
ん? ちょっと待って。
「あ、あなた、その黒いのって……」
「にんぎょさん、えらいひとといっしょにいたって!」
「偉いひ……ブフォッ」
勢い余った水差し丸に、液体を顔面にぶっかけられた。ラヴォントが「夫人!!」と引き攣った声を上げた。
「だ、大丈夫ですわ、殿下」
だけど驚いた拍子に、液体が少し口の中に入ってしまった。
滅茶苦茶しょっぱい。だけど生命の危機を感じるような味ではない。むしろ、どこか懐かしさを感じる味で……
「その水差しは危険です! こちらにお渡しください!」
白衣の人々が、慌ただしくこちらに駆け寄ってくる。しかしそれを追い払うかのように、水差し丸は再び液体を大量に吐き出した。迫りくる黒い波に、彼らの表情が凍り付く。
その時、一陣の風が吹いた。
「うわぁぁぁ……ってあれ?」
液体から逃げようとしていた彼らの体が、ふわりと宙に浮かび上がる。
「やめよ、精霊具。その者たちは、私の大切な部下なのだ」
頭上から降ってくる凛とした声。上空を見上げると、白衣姿の美丈夫が地上を見下ろしていた。そして私と目が合うなり、ニヤリと口角を上げた。




