45.リラ王太子妃
リラ王妃。
ゲーム本編でもラヴォントルートに登場していたお方だ。
今はまだ王太子妃かな。ぶっちゃけ、マジラブで一番苦手なキャラクターでもある。
「そなたが手料理で息子と孫の気を引こうとしていると憤慨しているのじゃ」
「お言葉ですが陛下。私の妻はそのようなことをする人間ではありません」
不快感を隠そうともせず、シラーが反論する。
「もちろんそれは、ワシも分かっておる。しかしリラは、いささか思い込みの激しい娘でのぅ……」
陛下は気まずそうに、自分の頬をポリポリと搔いた。
この頃から既にご健在であったか。リラ王太子妃の異常までの嫉妬深さ。
マジラブでは各ルートごとにライバルや悪役が登場し、主人公の恋路を邪魔してくる。
例えばメテオールのルートであれば、彼の婚約者を自称する令嬢が現れ、リリアナを一方的に敵視してくる。まあ最終的には和解して、親友のポジションに就くんだけどね。
で、その中でも最も怖いのが、リラ王太子妃だ。
夫である王太子レグリスとラヴォントを偏愛する最恐の悪女。息子の初恋の相手であり、婚約者の少女を殺した張本人でもある。
さらには、ラヴォントと想いが通じ合ったリリアナの命をも狙い始める。
そっか。そんなおっかない人にロックオンされちゃいましたか。
「いいか、くれぐれも王太子一家には関わらないようにするんだ」
シラーは私とネージュの客室を訪れ、真剣な表情でそう諭してきた。ちなみにネージュは、天蓋付きのベッドですやすやとお昼寝をしている。
うん、それが一番なのは分かってる。距離を置いていれば、そのうちリラの怒りも鎮まるかもしれないし。
「ですけど、先ほどラヴォント殿下にお願いされてしまいまして……」
「何を?」
「サインですわ。それも二百枚」
私は人差し指と中指を立てて答えた。シラーの眉間に皺が寄った。
「サイン? どうして君にそんなものを」
「旦那様、何かご存じありませんか?」
「僕は何も知らない」
ほんとかしら。この人、肝心なことを隠すところがあるからイマイチ信用出来ない。
「あ、でも」
「何だい?」
「もしかして旦那様、殿下に私のことをお話していました?」
あの口振りだと、以前から私のことを知っていたみたいだった。そうなると恐らく情報源は一つしかない。
「世間話のついでに、君の名前を出したことはある。それだけだよ」
素っ気なく切り返されてしまうと、こちらもこれ以上は追及出来ない。のらりくらりとはぐらかされてしまうのが目に見えている。
まあいいか。殿下のあの様子だと、私のことを悪く言っているわけではなさそうだし。
「サインの件も僕から断っておく。君の姉のこともあるのに、余計な面倒事を増やしてたまるか」
「はっ、そうでしたわ!」
前門のシャルロッテ、後門のリラ。やだ、私ったら結構ピンチ……!?
「あのな、君はもう少し危機感を持った方がいい」
「そ、そうですわよね。これ以上皆様に迷惑はかけられませんし!」
私が力強く頷くと、シラーからは何故か深い溜め息が返ってきた。
「だから、どうして君はいつも他人のことばかり……」
「だ、旦那様?」
「この分からず屋め」
シラーは拗ねたように顔を背けながら言った。どうして私は、少女漫画のヒロインみたいな台詞を言われたんだ……?
「ナイトレイ伯爵、こちらにいらっしゃいますか?」
ドアを数回ノックする男が聞こえた。この声は宰相かしら。シラーがドアを開けた。
「何かご用でしょうか」
「マティス伯爵領の件で、少しご相談したいことがございまして……」
宰相の表情は険しい。何かあったのかしら。
「分かりました。すぐに向かいます」
シラーは頷くと、早足で私のところに戻ってきた。
「城内だからと言って、油断しないように」
「分かっていますわ」
「もし誰かに襲われたら、精霊具の力を使うんだ。手加減はしないように」
「いや、手加減しないと相手死にますわよ!?」
「正当防衛を主張すればいい。それと……」
「私のことなら大丈夫ですから、ほら!」
このままでは埒が明かないので、シラーをぐいぐいと部屋から押し出す。ぱたん、とドアを閉めたところで、ネージュの傍にいたララが駆け寄ってきた。手のひらに載せながら、「どうしたの?」と声をかける。
「チュー……チュウチュウ」
ララはやれやれと言いたげに、首を左右に振った。あれ? 私もしかして呆れられてる……?
ふと窓の外に視線を向けると、空は燃えるようなオレンジ色に染まっていた。
「うわぁ……っ!」
エクラタン王城の麓には、夕焼けに染まった王都の街並みが広がっていた。そして遠い彼方に聳えているのは、霊峰エスキスだろう。
様々な神獣が棲まう聖地として、エクラタン国民から敬われている山だ。たとえ王家の人間であっても、普段山中に立ち入ることは厳しく禁じられているそうな。
「ん?」
街の中央に建てられた巨大な時計塔。その鉛筆のように尖った屋根の上に、誰かが立っていた。
裾の長い黒いドレスが風にはためいている。あれは恐らく女性だろうか。こちらに背を向け、霊峰を望んでいるように見える。
あの後ろ姿、どこかで見たことがあるような。あ、思い出した。好きが高じて買ったマジラブの設定資料集に、似たような構図の立ち絵があった気がする。
「……リラ王太子妃、よね?」
そう呟いた瞬間、女性が勢いよくこちらを振り向いた。
「ぎょわっ!」
反射的に窓辺から飛び退く。急に大きく動いたせいで、肩の上にいたララがぽてっと床に落ちてしまった。
「ご、ごめん、ララ」
すぐにララを拾い上げ、恐る恐る窓辺に戻る。勇気を出して時計塔へと目を向けてみるが、そこには誰もいなかった。
まあ、あんなところに人が立っているわけないか。




