35,緑の薔薇
「外出する際はララだけではなく、必ず護衛を連れていくこと」
「ええ、分かりましたわ」
「それからネージュだけではなく、君も食事はしっかり摂るように」
「それも分かっていますわ」
「睡眠時間は最低でも六時間以上」
「あーもー、はいはい!」
私のお母さんか。いい加減返事をするのが面倒臭くなり、適当に相槌を打つ。するとシラーは、むっと顔を顰めた。
「しっかり言っておかないと、君は無理をするタイプだろう。使用人たちが倒れた時も、ろくに休息も取らないで看病をしていたそうじゃないか」
「あ、あの時は緊急時でしたから……」
悪魔の雨が降り止んだのは、つい一週間ほど前。
それまでの間、エクラタン王国では様々な出来事が起こった。
まず精霊具のスポドリもどきは、シラーの計画通り雨爪病の特効薬として扱われた。
魔法で凍らせた水は中々溶けないらしく、現地で少しずつ溶かして患者に分け与えられた。……と、さらっと説明しているけれど、実は氷の魔法を使える貴族は滅多にいないのだとか。そのため、シラーがほぼ全てを凍らせたという。
やっぱりこの人、とんでも人間だわ。普通は魔法をずっと使い続けると魔力切れを起こすのに、ピンピンしていたそうなんだもの。
そして凍らせた水は、『王命』によって各地へ運ばれていった。突然開発された特効薬に懐疑的だった兵士たちも、国王陛下直々の命令には逆らえない。
陛下が協力してくださったことに大感謝ね。今度登城する機会があったら、卵焼きを献上しましょう。
「……ですが旦那様も、少しゆっくりとなさればよろしいのに」
私は唇を尖らせて、ぼそりと呟く。
雨が止んで、病の流行も収まった。だというのにシラーは王都と屋敷を行ったり来たりと、多忙を極めている。
「そうもいかないさ。マティス伯爵領をあのままにしてはおけないだろう」
私が知らぬ間にマティス伯爵領にて、何と反乱が発生していたのだ。
水害の公助をサボっていたとか、雨爪病の特効薬を独り占めしようとしていたとか、横領事件の真実が領内に知れ渡ってしまったとか。とにかく色々なやらかしが重なった結果、領民たちの怒りが爆発したらしい。
伯爵邸は火が放たれ、マティス騎士団は壊滅。
幸いなことに伯爵一家は救援にやって来た炎熱騎士団によって救出されたものの、私の姉、シャルロッテだけが行方不明だと新聞にも載っていた。ちょっと心配。
事態を重く見た国王陛下はすぐに対策本部を設立し、シラーも召集されることになった。かといって、伯爵としての業務をアルセーヌに任せきりにするわけにもいかず、こうして二足の草鞋を履いているというわけだ。
…だけど、ちょっとおかしい気がする。
私の記憶が正しければ、領内で反乱が起きて滅びるのはナイトレイ伯爵家だったはずよ。マティス伯爵家は『MAGIC OF LOVE』では健在だった。
私が知っているマジラブと同じようで、少し違う。
「では、そろそろ行ってくる。さっき僕が言ったことは……」
「もう、分かってますわ。本当に過保護ですわね」
だけど、そういうところに私は何度も救われている。他の貴族からのやっかみもあって『悪食伯爵』なんて最悪なあだ名を付けられているけど、根本的に誠実で優しい人なのだ。
しかし私の言葉に、シラーはぎくりと表情を強張らせた。
そして「嫌なら、干渉しない」と一言。
えっ、何か思ったよりもショック受けてる!? 誤解を解くべく、私は高速で首を振った。
「全っっ然嫌じゃありませんわよ! むしろ好きですし!」
「……好き?」
「あっ、いえ」
シラーが目を丸くしてその単語を繰り返すものだから、咄嗟に否定した。
この人が私を娶ったのは、横領で捕まった私を救うためだった。無事に無実を証明出来た後も、何故かずっと屋敷に置いてくれているが、それもネージュが私に懐いているからだろう。
前妻の起こした事件がトラウマで、恋愛にも興味なさそうだし。妙な誤解をされて、距離を置かれるのはちょっと嫌だ。
「好きというのは、あくまで人間的に、という意味ですわ」
「人間的にか」
「ええ!」
だからお気になさらずに。そう続けようとしたところで、シラーが再び「人間的に」と復唱した。心なしか元気がなさそうに見える。
「だ、旦那様? お疲れのようでしたら、少しお休みになった方が……」
「いや、大丈夫だ。それじゃあ、行ってくる」
全然大丈夫に見えませんよ。見るからに足取りが重いし、背中もちょっと丸まっている。テンション激下げの旦那を乗せた馬車を、私はただ見送ることしか出来なかった。
◆◇◆◇◆
「おとうさま、いっちゃったの……にんぎょさんもずっとおしごと……」
ネージュが寂しそうに窓の外を眺めている。
「奥様、水差し丸はまだ返ってこないんですか……?」
見兼ねたララが私にこっそり聞いてきた。
水差し丸(命名・ララ)とは、前述した雨爪病の特効薬を作り出した水差しの精霊具だ。シラーがエクラタン城に持って行ったんだけど、一向に返却されてこないのよね。
「……帰ってくるのかしら」
「えっ。でもナイトレイ伯爵家の所有物ですよ?」
それはそうなんだけどね。だけどあの精霊具は、水を無尽蔵に生み出すという、一見地味だけどチート級の能力を秘めている。シラーの言う通り、戦争の引き金にもなりかねない。我が家で管理していていいのか、検討しているのかも。
とは言っても、水差し丸も立派なナイトレイ伯爵家の一員。ネージュも寂しがっているし、そろそろ返してほしい。
「うーん。今度旦那様が帰ってきた時に聞いてみるわ」
「お願いします。この子も寂しがっていますから」
ララは取っ手に赤い宝石がついたフライパンを私に見せた。
彼もまた、ナイトレイ伯爵家が管理している精霊具だ。発火能力を備えているので、どこでも料理が出来るし、それと卵焼きが綺麗に作れる。
火のフライパンと水の水差し。相性が悪そうだなと思いきや、ネージュ曰く「とかげさんとにんぎょさん、なかよしなの!」らしい。私たちが知らぬ間に、精霊具同士で友情を築いていた。
「ん? 何か全体的に湿ってない?」
「そうなんですよ。ネージュ様の呼びかけにも、応えてくれなくなっちゃいましたし」
水差し丸もそうだけど、精霊具って結構メンタルが弱い。カビでも生えたらどうしよう。
シラーも何だか元気がなかったし、我が家の空気がどんどん暗くなっていくような。
「ネージュ、お庭をお散歩に行きましょう?」
「おさんぽ?」
我が家のアイドルが寂しそうな顔で、こちらを振り向く。
「ええ。木の精霊さんたちも、ネージュに会いたがっていると思うわ」
悪魔の雨が止んだ後も、用心して庭園の散歩は控えていた。高位貴族は雨爪病に発症しないと言われているけど、何があるか分からないもの。だけどそろそろ大丈夫よね。
「おっさんぽ、おっさんぽっ!」
初めはあまり気乗りしていなかったネージュも、庭園を歩いているうちに元気を取り戻していた。うんうん、やっぱり気分転換は大事よね。
長期間雨が降り続けていたのにも拘わらず、庭園が美しい景観を保ったままなのは、ひとえに木の精霊と庭師のおかげだ。
私やララには何も見えないけれど、周囲には木の精霊たちがたくさんいるみたい。ネージュが、何もない場所に向かって手を振っている。
「あ、おかあさまのおめめの、おはなさいてるの!」
ネージュが声を弾ませながら、ある一帯を指差す。そこには緑色の花びらを持つ薔薇がたくさん咲いていた。
こちらの世界でも、グリーンローズは希少なのだとか。
以前から植栽されていたが、最近はその数が増えた気がする。よく見ると、深みのある濃緑から淡い色合いのものまで、様々な品種が育てられている。
「旦那様って緑色が好きなのね」
「ネージュ様が言うように、奥様の瞳と同じ色だからじゃありませんか?」
ララが目を輝かせながら言う。
「……そうかしら?」
「そうですよ! ああ見えてロマンティックなところ、ありそうじゃないですか!」
お、おう。急にテンションの上がったララに少し気圧される。さてはこの子、意外と恋バナが好きだな?
「あ、そうだ。せっかくだから、少し切って奥様のお部屋に飾りましょう。ちょっと庭師からハサミを借りてきますね!」
そう言ってララが颯爽と走り出す。何だかやけに張り切っていたわね。
それじゃあ、待っている間にどの薔薇にするか決めておくか。
「ネージュはどれがいいと思う?」
「えっと……このおはなっ!」
ネージュが選んだのは、文字通り透き通るような花びらの薔薇だった。まるで宝石細工のようで、思わず見入ってしまう。それに鼻を近付けると、マスカットに似た香りがする。私はフローラル系よりも、こちらの方が好きかもしれない。
「奥様、ただいま戻りました!」
ララが剪定用のハサミを持って戻って来た。
「おかえりなさい。それじゃあ、よろしくね」
「はい。それでは、すぐに片付けてしまいましょう」
ララがちょきん、ちょきんと薔薇の枝を切っていく。
「……ララ?」
手早いのはいいんだけど、切り方がちょっと雑なんですが? 適当なところで切っているから、長さも葉の枚数もバラバラだ。この子、こんなに剪定が下手だっけ。
「おかあさまのおはな!」
「ふふっ。お近くでご覧になりますか? どうぞこちらへ」
「うん!」
ネージュが薔薇を抱えたララへと近付いて行く。
「……ネージュ!」
私は咄嗟にネージュの腕を引き、後ろに下がらせた。
「どうなさいましたか、奥様」
どうしたもこうしたもあるか!
私はこの目ではっきりと見たわよ。この女がネージュの腕を掴もうとする瞬間を!
「あなた、誰……!?」
目の前にいるのは、確かにララだ。だけどララじゃない。私の第六感がそう警告している。
私の問いかけに、ララの姿をした何者かは目を丸くして固まった。けれど、すぐにニヤリと口角を吊り上げた。
あれ? この笑い方、どこかで……
「なぁーんだ、バレちゃったのね。相変わらず腹の立つ妹ね」
嫌みを含んだその声に、ぎくりと体を強張らせる。
「あなた、まさかお姉……っ」
ハサミの切っ先を喉元に突きつけられ、私は息を呑んだ。
「まあいいわ。黙って私に付いてきなさい」
私の姉、シャルロッテは手にしていた薔薇を投げ捨てながら私に命じた。




