5.1.1.荒磯の物語り
アラ「私は娑婆という現実世界と神界とを行き来する渡世稼業をしている者で、人には荒磯と名乗っております。
この神界では諸方を逍遥しては珍しいものや尊いものを見て回り、そして故あって四方の果てを巡っております。
東方ではシノノメ将軍、トヨハタ将軍と交流し、南方にてはシド将軍ともお会いしました。先だって西方へ伺いました折にはソアラ将軍と道行きを共にし、親睦を深めた次第です。
そうした経緯で此度は北方へと参りましたが、それで此処で出会ったのが貴方というわけです」
彼は隣に座っている相手に滔々と語った。二人は北海に臨んだ崖に腰掛けて、北の果ての水平線を眺めていた。
空では連なる灰色の雲が重々しく流れて行き、その色を映した海原では笹立つ漣が逆立っていた。空と海との狭間は黒く、鬱々とした闇が滲んでいた。沖合で荒縄のように長く横たわっている闇は目の錯覚で暴れ出そうとしているようでもあり、波打ちながらこちらへ迫って来るようにも感じられた。
話し相手は何を思っているのだろうか、アライソには想像しかねたが、深く深く思いに沈み、口許も動かさずに小さくこくりと頷いた。
アラ「本来ならば神軍の方以外には話さずにおくべきと考えておりましたが、貴方であれば申し上げても構いますまい。今、この神界は悪辣な者達に侵されているのです。東方、南方、西方は、悪しき龍に攻められて壊滅しました。これは軍事機密でありました」
相手はじっと黙り込んでいた。それを聞いても何の感想も抱かなかったようだった。ただじっと、虚ろな眼差しを世界の果てへと向けていた。
その目はアライソが会った時からそうだった。彼は見た目で言えば十歳かそこらの童子だった。幼く稚けない童子の目には光がなく、望みを捨てて自分の内面に引き籠もり、淡々と木偶人形のように動いていた。アライソは彼がやっていたことを手伝って、それが終わって腰を下ろし、そしてこうして話を始めたのであった。
アラ「他方がこのようになっていたのはきっと貴方はご存知なかったことでしょう」
童子は答えもせずに聞いていた。
アラ「東方では青龍が現れ鎮東軍の砦を襲い、軍を壊滅させました。シノノメ将軍は已む無く撤退し、撤退した先で私と出会い、東海岸へと引き返しました。しかし辿り着いた時にはもう龍は去っていたのです。残されていたのは廃墟と化した砦の跡のみ。
シノノメ将軍は将軍職を退きました。彼は亡くなりました。その後を継いだのがトヨハタ将軍であり、私はシノノメ将軍の葬儀を見届けてから去りました」
童子「ええ」
初めて彼は声を発した。しん、と心寒くなるような、冷え冷えとした声だった。アライソは続けた。
アラ「南方ではシド将軍麾下鎮南軍に、軍事指導を致しました。彼らは皆々熱意に溢れた兵士達で私の教導をよく受けました。そして私は彼らと酒宴を共にしたのですがそれについては語りますまい。ただ、彼らは優和で朗らかで、とても良い人々でした。
東方からの書状により南軍は東方の危難を知っていました。そしていつこの南方に侵略者が来るやも知れんと警護を引き締め、この地の守護は任されよとて私を送り出しました。
その後、再び私が南方を訪れた時、その時には南軍は滅びていたのです。南軍は沖の孤島を城塞として、そこを守りの要石としておりました。しかしそれが砕かれたのです。襲ったのは東方の青龍とは異なる赤龍とのことでした。赤龍なるものが南方の軍を滅ぼしたのです。
私は親しくした人々を失いました。
赤龍の襲来から数日しても南軍の島よりこちら、本土へ龍はやって来ず、私は鎮南軍の生き残りの兵士の方に伝令を托され、それを伝えに西方へと向かったのです」
童子「ええ」
童子の返応からはその心情は読み取れなかった。アライソは続けた。
アラ「そして此処へ来る直前に行ったのが西方です。西の果てまで数日のところでソアラ将軍と出会いました。私は彼女と西方へ向かいました。
途中、魔物の種子と遭遇し、私達はそれと戦い退けましたが、魔物はしぶとく逃げました。そして一つの宝塔の頂上に辿り着き、私は魔物を討ち取りました。
その塔の頂上でのことです。私とソアラ将軍はこれから向かうべき西方を眺めました。そして見ました。遠く西の海の上では白い龍が岸辺を荒らしていたのです。
あれこそが龍。東方南方を滅ぼしたものの類縁であろう。私が討ち果たすべき神界の仇。
が、その白龍はこちらに背を向けて、世界の果てのその向こうへと飛び去るところであったのです。心は逸れど間に合わぬ。それでも遂に怨敵を、この目に確と見たのです。
それから西海岸へ行きました。やはり、西軍は全滅しておりました。生き延びている者はおりません。現存する鎮西軍は、ソアラ将軍ただ一人となったのです。
彼女は西辺を守るため、そこに留まり私を送り出しました。
そしてこの」
童子「そしてこの、北方へと此度はやって来たのですね」
アラ「その通りです」
童子「東方、南方、西方は、龍に荒らされ滅ぼされ、次は此処なる北方なるに違いない、と」
アラ「然様で御座います。残る北方こそは無事守らねばと心に刻み」
童子「使命を胸に、遥けき遠き異世界から。娑婆なる現実世界から」
アラ「神の世界の神界まで」
童子「龍を退け」
アラ「せめてこの地のみであっても」
童子「無事安泰に、乱れなく」
アラ「平穏安寧を保つため」
童子「貴方は此処へといらっしゃった」
アラ「そして貴方と会いました」
童子「が、しかし」
アラ「ええ」
童子「既にお目にした通り」
アラ「私は」
童子「間に合いませんでした」
アラ「見るも無惨な」
童子「この地の様子」
彼ら二人が腰掛けている崖の縁こそ無事なれど、
童子「振り向けば」
背後の陸地は、地面が捲り上がって地表が裏返されていた。緑のものは地下へと埋まり、黒々とした湿った土が表を覆っていた。巨大な畝が盛り上がり、堀にも紛う深い溝が迷路のように走っていた。
太い樹木は捻じ切れて、岩は砕かれ、さざれ石は小石に戻っていた。天地に吹き荒ぶ寒風には温もりがなく、その場にいる者、ある物の熱を容赦なく奪い取っては虚空へ消えた。
アライソは震えた。童子を除いては兵士すらも消え果てて、人一人、草一本も残っていない北方は、彼が辿り着いた時には既に壊滅していたのだった。




