4.1.4.暮れ行く世界
空は黄昏て、地から闇が染み出していた。暗がり行く世界を二人は歩いた。
太陽が沈んで残光も消え去ると、露天の野原で休息することにした。夜露を凌ぐものも下に敷くものも何もなかったが、神界の夜を過ごすにはこれでも良かった。
アライソは旅袋を枕にして横になった。夜空に鏤められた星々は綺羅の如くに満天に広がっていた。
綺麗な夜だった。
と、言いたいところだったが、アライソは口を結んで難しい顔をした。すぐ隣にはソアラと名乗った女が大の字になって高鼾をかいていた。むにゃむにゃと寝言を漏らし、腹を掻いてはガァガァと鼻を鳴らした。煩くて堪らず雰囲気も何もあったものではなかった。
アラ「静かな神界の夜はいずこに……」
膝を抱えて寝た。
彼らは明るくなってから目覚めた。夜が明けても黄昏だった。黒ずんだ雲が西に浮かび、空は夕色に焼けていた。塒へ向かう鴉が鳴いていた。蝙蝠が飛び交い、羽虫が柱を作っていた。
両腕を広げてソアラは欠伸をし、アライソを西へと促した。
日が天頂に昇っても景色は夕暮れたままだった。
アラ「何が起こっているんですか。知っていますか」
ソア「何が、とは何がだ」
アラ「空が、赤い」
ソア「夕暮時だからのう」
アラ「いえ、太陽は高く昇っています。一番高いところまで。頭上に、真上に来ています」
ソア「暮れて行くところじゃ」
アラ「まだ、少しも傾いていません」
ソア「そうだな」
口を閉ざして無言で歩き続けた。
何を思ったのか、ソアラはふと呟いた。
ソア「誰そ彼の夕波に、浮かぶ人影、迫り寄る、……」
そこまで言って黙り込んだ。
アラ「何かの歌ですか?」
ソア「分からん。思い出せそうで思い出せん。夕闇から現れようとするその影は誰じゃ。貴様は知らんか?」
アラ「さあ」
ソア「少しは考えてみろ。この後はどう続く」
アラ「分かりません」
ソア「ちっ、使えん」
とぼとぼと歩き、また彼女がふと、
ソア「誰そ彼、彼は誰ぞ。霞んで見えん。貴様は誰じゃ。のう、おい、貴様、我は誰と歩んでおる。我の後をついて来る。この我と歩んでいるのは誰じゃ」
それはアライソに聞かせるでもない独り言だった。物思いに耽りながらぶつぶつと呟く彼女は薄気味が悪く、アライソは応えもせずに黙って横を歩いていた。
彼女は何を言っているのか。誰に聞かせようとしているのか。独り言であるからには自分自身以外にはないだろうが。
独り言は延々として一向に止む気配がなかった。
と、不意に、
ソア「貴様は誰じゃ」
はっきりとした声が聞こえてアライソははっとなり、
アラ「あ。名乗り遅れました、私はアライソと言います」と返事をしたものの、
ソア「何を申すか! ええ! 貴様のことなど聞いておらん!」と突っ撥ねられて、「貴様! 貴様は分からん奴だ! 貴様も!」と大声で、「こいつも!」
ソアラはキッと足元を睨み付けた。そこには、胎盤を引き摺り、羊膜を身体中に貼り付けた赤ん坊が這っていた。血と羊水とで描かれた斑模様が、赤ん坊の動きに合わせて体表を流れていた。伏せた目でソアラを見上げて、座らぬ首を傾けた。濡れた口が開き、コポッと羊水を吐き出した。
ソア「この! 胞衣被りの袋子が!」
それを見るなり片脚を上げて踏み潰そうとした。
アラ「何をする!」
咄嗟のことにアライソは彼女を突き飛ばした。
ソア「貴様の方こそ何をする!」
這い寄る赤ん坊に向かおうとする彼女をアライソは羽交い絞めにした。ソアラは暴れ、唾を飛ばして怒鳴った。
ソア「あれは袋子だ! 冥昏の世界から這って来おった! 闇を引き摺り、神界にまで! ええ、おい! 放せ! 潰さねばならん! 厄災の種子だ! 放せと言うに! 貴様はこの世界に血を撒きたいのか!」
アラ「厄災……」
ソア「そうだ! あれは魔物だ!」
アラ「それでも赤ん坊でしょう!」
ソア「姿形が何だと言うのだ! その赤子が闇を纏っているのが見えぬか! この世界のものではない、向こうの世界の赤ん坊だ!」
アライソの腕が緩みそうになった。だが彼女が暴れる度に、反射的に力が入った。そうしている内に赤ん坊から羊膜の一部が浮き上がった。それは膨らんだかと見えると、ぬるりと滑って、剥がれ落ちた。
羊水と血とで濡れた羊膜が、殻のように落ちていた。その中に赤ん坊はいなかった。煙のように消えていた。残された殻は見る見ると乾き、黒ずみ、硬くなった。
ソアラは大人しくなり、舌打ちをした。アライソから逃れた彼女は西の地平線を眺めた。腕を組んで見るからに不機嫌そうだった。
アライソは何か言い訳をしようとした。が、彼が口を開くよりも前に彼女は忌々し気に吐き捨てた。
ソア「厄災が来た」
西の地平線は赤く燃えていた。




