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3.2.13.彼女への答え ①

荒磯「女神よ、女神よ、私は答えを出しました。私がどちらに生きる者なのか」


 山奥で彼は跪いていた。目の前では美しい女神が白い裳裾を微風に晒しながら彼を見下ろしていた。彼女とただ二人で相対していた。自らの胸襟を開き、深奥を曝け出す時だった。


荒磯「私はこれまで現実世界が嫌いでした。自分にとって何の価値もないものだと思っていました。しかし此の頃になって、彼らが私を受け入れたのを知りました。以前からそうであったのに漸く気付いたのか、それともそのように変化したのか、それは分かりません。


 しかし、少なくとも現状では、彼らは私を同胞であると認めています。私を仲間の内に入れています。これまでは考えたこともないことでした。彼らは私を見捨てているものとばかり思っていました。しかしそれは違っていたのです。私は現実世界で生きても良い人間だったのです。


 常々御寮のおっしゃっていた通り、私は所詮ただの人間でしかなく、神人とは異なる肉を持った存在です。御寮の世界では暮らせない、卑しい人間でしかありません。ですからこの世界に生きるのが自然なのでしょう」


 言葉を区切り、深く息をした。心の内にあの美しい神界の光景が広がった。真善美の実現された完璧な世界だった。あれこそが自分の求めるものであった。僅かな陰りもない純白な満月が一筋の光明を放った。心の奥底に座を占める自分という存在の核ともいうべきものが、その光明に照らされた。続きを述べた。


荒磯「しかし、私は、たとえ彼らに受け入れられようとも、彼らが私を同胞として温かく迎え入れようとも、こちらの世界でどんなに恵まれた生活を送ろうとも、それでも私は、私の強く望んでいる世界というのは、私の憧れる世界というのは、……」


 と、


女神「本当に?」


 最後まで言わせず彼女は遮った。


女神「人間は宣誓の場においてすら、本心とは異なる言葉を吐けるもの。意に添わぬ決意や決断の宣言が出来るもの。そしてその場では嘘でなかったとしても、すぐに気が変わることもある。それが答えで本当にいいの?」


荒磯「もちろんです! これ以外の答えはありません! そのように、結論付けました」


女神「それならば良い」


荒磯「そうです、私は……」


女神「嘘は許さない。偽りは決して許さない。今この場では本気であったとしても、翻すことも許さない。ここで口に出すのであれば、それを変えることは許さない」


荒磯「承知しております。その上でこれが答えです。はっきりと結論しました、私が、どんな人間なのかを」


女神「貴方は所詮ただの人間でしかない。所詮はこの世で生きる者でしかない。それでも私は貴方に目を掛けてやろうという気になった。だから祝福を与えた。この世の人生が順風に行くように。それで貴方はこの世界での福徳を手にした」


荒磯「それは、つまり。では! このところの幸運は、御寮のお陰で御座いましたか! 人生が上手く行っていた、あれらの幸運は、御寮の御加護」


女神「そう」


 絶句した。そして、それであれば、これまでの奇跡のような幸運の連続に納得がいった。奇跡のような、ではない。まさに奇跡であったのだ、女神によって与えられた。


女神「貴方が人間としての恵まれた人生を送れるように」


荒磯「あ、ありがとうございます」


女神「それはいい。そして私が与えたものを手放すのもそれも良い。では、私の与えた現世の利益を捨ててまで、向こうの世界を選ぶのかしら」


荒磯「御寮より賜わったものを捨てて、それで御寮はお気を悪くされないでしょうか」


女神「どうしようとも構わない。貴方の選択に口は出さない。ただ、それを現世を選ぶ言い訳とすることだけは許さない。どちらを選ぶのかは飽くまで自分自身の意志」


荒磯「……」


女神「そしてまた繰り返す、貴方は向こうでは暮らせない。また望むのならば今以上の慶福をも与えよう。だがそれにも関わらず、あえてこの世界での恵まれた人生を捨てると言うの?」


荒磯「……。私は、……。然様で、御座います」


女神「そう。しかしまだ今はその先は言ってはいない。現世の利益を捨てる覚悟はあっても、どちらの世界を選ぶのかは。だから今なら引き返せる。今日のところは何も言わずに、神界へは行かず、現実世界へ帰りなさい。そこで答えを言うがいい」


荒磯「現実へ帰って、そこで答えを?」


女神「貴方はまだ返事をしていないでしょう。貴方を恋い慕う女への。愛情の吐露を受けても貴方はまだそれにはっきりとした答えを口にしていない」


荒磯「……彼女のことですか」


女神「そう、あの女」


荒磯「恋人として振る舞っていました」


女神「それでも言葉としては何も言っていない」


荒磯「それは、そうですが」


女神「明言はせず、何も確定させていない」


荒磯「……」


女神「言葉というのは意志の表明でもある。言葉にしなければ何事も何物も確定されない。言葉は事物を世界に刻み込むもの。宣言はその行為。貴方はあの女への態度を未だ確定させていない。だから貴方は今でも神界を選ぶことが出来る」


荒磯「ではもし彼女に何かを言っていたら」


女神「あの女を選んでいたなら神界を選ぶことは出来なかった」


荒磯「……」


女神「女は二人は選べない。だからあの女に伝えなさい。貴方がどちらの世界で生きる者なのか。いや、貴方があの女を本心ではどう思っているのかを。そして貴方が肉の世界を捨てた後に、改めて貴方がどちらの人間なのかの答えを聞こう」


荒磯「……はい」


 まるで拒絶のようだった。そして自分が言おうとしていた結論が本心であると証明するためには、そうするのが必要であるかのようだった。現実を捨てる。それは彼女もまた捨てることを意味していた。だから女神に言おうとしていたことが本当であったならば、これもまた出来るはずだった。


 荒磯は項垂れ、肩を落として山を降りた。女神への言葉は本心であったはずだ。だから彼女を切り捨てるのも当然やらなければならないことだった。決意は固まっていたはずなのに、苦しかった。


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