3.2.3.瀬羅という女
瀬羅の口調が心なしか厳しくなった。
──私は、全然、人好きでもないし、嫌いな人は嫌いだよ。社交的どころか、むしろ一人の方が気楽で好きなくらい。
──そうなんですか。そうは見えませんけどね。誰とでも仲良くなれて、楽しそうで、皆に好かれて。活気のある生きている人間って感じがします。
彼女はこれ見よがしに溜息を吐いて見せ、
──荒磯さんは分かってないなあ。私のことを勘違いしている。私は貴方が思っているような人間じゃない。
──そうですか。すみません。
──本当にそうだよ。失礼しちゃう。ショックだなあ、荒磯さんにそんな風に思われているなんて。
──はあ、すみません。でも、こうして食事にも誘ってくれましたし、普段もよく話し掛けてくれますから。
──ううん。それで私が社交的な性格だと思ったんだ。
──はあ。まあ、そうですね。
──あのね、この際だからはっきりと言っておく。私がこうして食事に誘ったり話し掛けたりするのは、荒磯さんだからだよ。
──そう、なんですか。
──そうだよ。他の人に声を掛けに行くのなんか滅多にないし。まあ、話し掛けられたら愛想良く相手はするけどね。だけど、自分から話しに行くのは、荒磯さんだけ。
──そうなんですか。それは、どうして、また。
瀬羅はテーブルに肘を突き、両手を組んだ。その向こうから真っ直ぐにこちらを見詰めていた。その思い詰めたような瞳は、今にも泣き出しそうに潤んでいた。
──私は貴方が好きだから。
手持無沙汰に弄んでいたグラスを置くと、コトリと音がした。周囲では酔客が騒いでいるというのに、荒磯だけは静かな場所にいるような気がした。目を伏せる彼へ、瀬羅は熱意の籠った視線を向けていた。
凝り固まった喉に空気を送り、乾いた口をようやく開いた。
──酔っていますね。
──酔ってるよ。酔ってなきゃ、好きな人の前で、こんなことは言えない。
荒磯は身の竦む想いだった。何故だか惨めな気持がした。目の前でそんなことを言ったのが嫌っている相手だというのを措いても、彼女のような女が自分に好意を寄せる理由などなかった。
彼女の言った「好き」の意味を、人として、だとか、興味の対象として、だとか、そんなものに捉えたと白を切ろうかとも思った。だがそれは余りにも無意味だと分かっていた。
──知りませんでした。だけど、どうしてまた、私なんかを。
彼女は少し肩を竦めて、
──さあ。何でだろう。最初は同業者への愛想で声を掛けてみたんだけど、話している内に、興味? というか、この人はどんな人なんだろうと考えるようになって。それから段々と、この人と一緒に笑ってみたいな、そうなったら幸せなんだろうなって思うようになって。気が付いたら。どうして貴方なのかは分からない。だけど、そんなものじゃない? 人を好きになるのに理由なんてないでしょう?
──よく、分かりません。
──荒磯さんには、そういう人はいなかったの?
──生活をするのに手一杯で、そうしたことに目を向ける余裕なんて。
──だけど、今は収入を得られるようになった。余裕が出来た。
──まだ分かりません。次も上手く売れるかどうか。
──大丈夫だよ。必ずこれからは上手く行く。私はそう信じているから。
そんな言葉にどれだけの意味があるのだろう。何とも答えかねて口を噤んだ。黙り込む彼を尚も見詰める彼女が、ぽつりと呟いた。
──荒磯さんは、私のこと、嫌いなの?
たとえどんなに嫌っていたとしても、本人を前にしてそんなことを言えるわけがないだろうに。
──まさか。そんな。嫌うだなんて。
──じゃあ、どう? どう思ってる?
一呼吸を置いて、
──すみません、少し、考えさせてください。
とだけ答えた。悪酒で回った嫌な酔いが醒めた。その後は瀬羅も積極的に喋ることはせず、黙々と料理と酒を片付けて行った。沈黙に覆われたテーブルは気不味さが漂っていた。回答の保留を受けて彼女はどう感じているのだろう。だがそれ以上に、自分はどうすればいいのだろう。
瀬羅は店員を呼び、会計を頼んだ。結構な値段になっていた。レジまで行くと瀬羅は財布からカードを取り出して店員に渡した。
──ありがとうございます。ご馳走になりました。
瀬羅は普段と変わらぬ表情に戻って、
──いいよ! 全然!
と、手を振った。
──だけど今回は貸しね。今度は荒磯さんが奢ってね。
と、にっと笑った。
彼女の気持に応えるか応えないか、その判断も出来ない内に次の食事の約束が取り付けられていた。




