21 やんのかよ? てめーが俺に勝てるのか?
「こねーなら、こっちから行くぞ」
彼が仕掛けようとしたその瞬間。弾かれるようにマンションの入口を見た。
「あいつか!?」
慌てて構えを解き、入口を目掛けて駆けだした。セイギもそれに続く。
「勝負はお預けだ。命拾いしたな」
「言っていろ。勝つのは私だ」
勝負を邪魔されたセイギは、不満を含んだ声で負けじと言い放った。
★★★
ミナは驚愕に支配された表情で、上空に羽ばたく怪物を見上げていた。
彼女らは知るはずもないが、悪魔が抱えていたはずのグレイの姿は既にない。
「どうしてこんなところに悪魔が!?」
「ミナちゃん、どうしよう。あたし、悪魔なんて相手にできないよぉ……」
弱音を吐くサヤカを一瞥し、ミナは考えを巡らせていた。
彼女とて悪魔と対峙するのは初めてのことではないが、その異形な姿と霊力の強さに気圧され、恐怖に体が震えていた。
しかし、弱さを見せたくないという意地だけが、その心をどうにか保たせた。
悪魔は上空に静止しながら、ある者に興味を引かれていた。その先にいるのは、夕闇に紛れたてるてる坊主姿の悪霊だ。
悪霊も突然の来訪者に驚いたのか、攻撃の手を止めて悪魔を見上げている。
「シシシッ……見つけたぞ!」
不敵な笑みを浮かべた悪魔は、てるてる坊主を目掛けて急降下。それを見た悪霊は腰を低く身構えた。棒のような武器を構え、勢いよく振るう。
悪魔の手にした短剣とぶつかり、夕闇が覆う町へ金属音がこだました。
「これでもくらいなさい!!」
ミナの放った弾丸が悪魔を襲う。
「シシシッ!」
悪魔はあざ笑うように彼女を見ると、羽ばたきだけでそれを打ち払った。
「目障りだな。消えろ!」
ミナを差すバッツァの指先へ急速に霊力が集い、ピンポン玉のような青白い球が飛んだ。高圧縮された霊力球だ。
攻撃をいとも容易くはね除けられた彼女は呆然と立ちつくし、一瞬、反応が遅れた。戦いの場面では、その僅かな遅れでさえ命取りになるというのに。
「ミナちゃん!!」
サヤカは親友を助けようと、その体に横から飛びついた。
転倒した二人へ霊力球が迫ったその瞬間、横手から割り込んだ霊力球がそれを相殺。二人の眼前で爆発を起こした。
彼女たちの悲鳴は爆音に掻き消される。
「ヒャッハッ! 間一髪ぅ」
マンションから二人の姿。剣を構えた彼はすかさず、悪魔と少女たちの間へ割り込むように駆け込んでいた。
悪魔はそれも計算の内だったのだろう。準備を整え、既に攻撃態勢へ移っている。
「ソニック・ウィンド!!」
羽ばたきと共に突風が巻き起こる。
「シールド!!」
彼は残された力で咄嗟に壁を作り出し、背後の少女たちをかばった。セイギもマンションの入口へ素早く身を隠している。
結果、てるてる坊主姿の悪霊だけが突風を受け、地面を激しく転がった。
悪霊の持っていた武器が、カズヤの足下へ滑り込んだ。そして、悪霊の体を包んでいた黒い布が勢いよく宙へ舞う。
突風は去り、霊力壁を解除したカズヤが、酷い疲労感を堪えて剣を構えた時だ。その背中に守られていたサヤカが、確信に満ちた表情で悪霊を指差した。
「やっぱり、そうだったんだぁ!」
「どういうこと!? あの人って……」
ミナが驚きを露わにしてつぶやく。
「秀一か……」
苦痛に顔を歪めたカズヤが、最悪の展開を想像しながら苦い顔でつぶやいた。
対してバッツァも、そんな彼等の反応を見逃すはずがない。
カズヤの足下に転がる物を名残惜しそうに見やり、秀一をつかんで飛び上がる。
「その刀を大事に持っておけ! 明日の十九時、それを持って、光源寺にある異世の墓へこい! この男と交換だ!」
「ちょっと! 待ちなさいよぉ!!」
慌てふためくサヤカが、側に立つカズヤのワイシャツを強く引いた。
「リーダー! 逃げられちゃうよぉ!!」
「耳元でわめくんじゃねーよ」
顎を滴り落ちるほどの汗をかいたその顔は、死人のように血の気を失っていた。その変貌ぶりにサヤカは小さな悲鳴を上げ、数歩後ずさってしまう。
「ちいっと飛ばし過ぎたか……」
彼が倒れるのと、悪魔が姿を消したのはほぼ同時。残された三人は、次々と起こった出来事を前に立ちつくしていた。
「とにかく、こいつを運びましょう。サヤカは車を呼び戻して。それからあなた」
平静を取り戻したミナは、次の動きに備えようとセイギの姿を探した。
彼はカズヤの側へ歩み寄り、悪霊が手にしていた棒を拾い上げた。それは、布袋に収められた一降りの刀。
「私はアジトへ戻る。後始末は頼む」
「ちょっと! こんな時くらい手伝おうと思わないの!?」
「興味ないな」
素っ気ない態度で背中を向けるセイギ。
「正義のヒーローが聞いて呆れるわね」
「私が守るのは一般人だ。同等の貴様等に、いちいち手を貸す義務はない」
カズヤを助け起こすミナと、連絡を取るサヤカを残し、変身を解いたセイギの姿は暗闇へ紛れたのだった。
☆☆☆
それは不思議な光景だった。俺は自分の体のすぐ間近に浮き上がり、自分が戦う姿を目にしている。
そこはマンションの中庭。気を失う直前まで目にしていた怪物へ、圧倒的なまでの力を行使して攻撃を続けている。
これは俺なのか? 俺はここにいる。
その体が移動する度、ヒモで結わえられたように体を持って行かれる。まるで風船だ。安定感を失った気持ちと居場所を無くした体。ヘリウムガスと化し、このまま消えてしまうのか。
力が欲しいと願ったが、その代償がこれか。神様も意地が悪い。いや、願いを叶えてくれるなら神でも悪魔でも構わないと言ったのは俺だ。これは、悪魔が祈りを聞き遂げてくれた結果なのか。
こんな展開、納得できねぇ。体を返せ。
☆☆☆
白い。不意に意識を取り戻したが、視界の先は白に覆われていた。
足下で電子音が一定のリズムを刻んでいる。顔を上げると、手首に血圧計のような黒いリストバンドが見えた。見覚えのある風景はアジトの医療スペースだ。
頭を動かしただけでめまいが襲い、再び枕へ頭を預けた。
体は戻ったらしいが記憶は曖昧だ。頭がぼんやりして、体は休息を欲している。
思考を止め、眠気に任せて瞳を閉じた。直後、扉を開ける音と共に小さな足音。
それは枕元で止まった。側にイスが置かれていたらしく、腰を降ろす動作音が。
こんな間近で誰かに見られているというのも耐えがたい。瞼にのし掛かる睡魔をはね除け、仕方なく目を開けた。
うん。これは完全に幻覚だ。
「気が付いたみたいね……」
美女に見つめられて目覚めるという人生初の体験。ひたすらに恥ずかしい。
「なんで、朝霧がいるんだよ?」
「目覚めの一声が随分なご挨拶ね。ここへ運んだのは、私とサヤカなんだけど」
「悪い。まずはありがとう、だな……」
「どういたしまして。お礼を言わなければいけないのは私もよ。ありがとう」
妙に柔らかい物腰になんだか気恥ずかしくなり、慌てて視線を逸らした。
「礼を言われるようなことしたか?」
何を見るでもなく部屋の中へ視線を漂わせる。朝霧の顔をまともに見られない。
「さっき、悪魔の攻撃から守って貰ったから。でも、勘違いしないで。ここへきたのは聞きたいことがあったからよ」
記憶を辿る俺を挑むように見つめ、イスを引きずり枕元へ近づいてきた。
「戦闘中、アジトの通信を偶然拾ったの。霊力の増加って、A-MINじゃないわよね? 私を差し置いて覚醒するなんて許さない。私は特別。あの力は私にこそ相応しいの」
「ちょっと待て! 何だよ、それ?」
「知らないの? A-MINは具現者の職業病。霊的な力に依存する時間が増えるために、体が現世と霊界の間で不安定になるの」
「へぇ……」
「不安定な状態の中、ごくまれに霊力が急激に上昇する人がいるそうよ。現世と霊界の狭間で、霊的世界へ傾いた結果ね。その現象をA-MINと呼ぶの。アナザー・マインドの略称らしいわ」
アナザー・マインド。訳せば“もう一つの精神”といったところか。
具現者には、俺の知らない秘密がまだまだありそうだ。




