侯爵令嬢の覚悟
ほんの一瞬、アナスタシアは父母と目を合わせた。
大丈夫。やれる。やってやる。
陛下に身体ごと向き直り、最上の礼を取った。
震える手は、気力と意地で抑え込む。
「陛下、発言と少々の身勝手をお許しください」
「許そう」
許可を得て、アナスタシアは、強くヒールの音を鳴らした。
カツン、と表現するにはいささか強すぎるそれは、足音を控えて振る舞う淑女が、強い抗議と自身への注視を促す仕草だ。
「陛下の御前で、王位継承権第二位アナスタシア・モーリスが申し上げます」
腹から力強く発声した声に、宰相と両側に控えた重鎮たちが一斉に頭を下げる。
ヴィクトリアも、ルディオも、王族とピンク様以外全員が。
「みなさま、顔をお上げくださいませ」
一度、深く息を吸う。
「王国法に基づき、今この時より第一王子の王位継承権の凍結を宣言いたします。クロエラ」
「はい。法令官補佐、クロエラ・ローマが申し上げます。王国法典第一章六十九項『王位継承権を有する者に懸念がある場合、他の王位継承権保有者は異議を申し立て、また一時的な王位継承権の凍結を宣言できる。凍結した継承権は国王陛下の御前にて解除されない限り、本人その他には左右されないものとする。なお、凍結宣言が理に反するものだった場合、宣言者は法典第一章の王族規範に則り罰せられる』」
「王位継承権の凍結……? なぜ、アナスタシアが」
「お忘れかもしれませんが、わたくしの父は王弟でしてよ」
アナスタシアの父は、侯爵家当主たる母に婿入りした国王陛下の唯一の弟である。
アナスタシアと兄には王位継承権があり、侯爵家の後継である兄は折を見て放棄する予定のため、王位継承権は低い。
よって、実質アナスタシアは王位継承権第二位。
第一王子の王位継承権を凍結した今は、最も王位に近い者ということになる。
たとえ唯一の王子でも、替えがないわけではない。
王太子、ではなく、第一位の王子。
彼の立ち位置は、決して盤石なものではない。
「第一王子の不義と公の場での貴族令嬢への侮辱、故意でないとはいえ令嬢の顔に傷をつけた暴行に基づき、王位継承権保有者としての適正を問う所存でございます。然るべき対応をお願い申し上げます」
「法令監査官補佐クロエラ・ローマが記録いたします。どなたか、よければもう一方、ご協力いただけると幸いです」
「ヴィクトリア様の御身はわたくし、マジョルテ・ハマンがお守りいたします」
「同じく、ノーマン・サルトがヴィクトリア様の御身をお守りします」
「ルディオ・ハマン、王位継承権保有者アナスタシア様を補佐いたします」
次々と飛び交う宣言に、王子とピンク様は思考が追いついていないようだ。
目を白黒させながら、立ち位置を変えるメンバーたちを見渡している。
ぱちんと扇子を閉じ、アナスタシアは無理やり微笑みを貼り付けた。
「さて、ただの王子様。お話し合い、いたしましょう?」
呆気に取られた表情の王子は、従姉妹であるアナスタシアを意識して過ごしたことはなかったのだろう。
王位を競うライバルとも、まさか立場が脅かされるなど想像だにしなかったに違いない。
そのように、アナスタシアも兄も振舞ってきた。
正統たる後継者を揺るがすことがないよう、間違っても王位を争う派閥に発展することのないよう、細心の注意を払ってきた。
ひいては国の混乱を避け、民の暮らしを守るため。
もちろん、王位を望んでいないという私情はあれど、あくまで陰に徹してきた。
兄が本格的に侯爵家の後継となった後は、殊更慎重に、王家の陰でいるように。
いざという時に備え、王位継承者の教育は受けながら、王子の治世を支える立場になれるように。
「アナスタシア……今まで、そんな素振り、なかったじゃないか」
「当然です。わたくしはスペアですもの。直系の血筋を遵守するのは、貴族としてあるべき姿でしょう。あえて個人の交流もせず、血縁であることをひけらかさず、ただの侯爵令嬢であろうとしてきましたよ」
「……スペア、なんて」
「考えたことがなかったのですか? あなたは尊き血筋の方。スペアくらいは用意しておかなければ、国が混乱します。それが傍系のわたくしや兄だっただけのこと」
「……」
「わたくしの父は侯爵家に婿入りしましたが、兄がある程度育つまでは継承権を有していました。兄のスペアとしてわたくしが生まれた時に返上しましたが、代わりに兄とわたくしには継承権があり、兄が侯爵家の後継と定められた時に、わたくしが第二位に繰り上がったのです」
わざわざ説明などされなくとも、貴族ならば知っていて当然のことだ。
王家について学ばない貴族はいない。いてはならない。
王家のことを知れば、おのずとアナスタシアの家についても知る。
宣言した際、ほとんどの者が頭を下げたのがいい例だ。
あくまで侯爵令嬢として振る舞っていても、アナスタシア自身が王位継承権を翳したなら、立太子していない王子とは同等の立場となる。
父母も、婚約者も、ヴィクトリアも。
王位継承権の保有者を名乗ったアナスタシアには、頭を垂れなければならない。
それが法であり、王家の血というものだ。
「あなたが仕掛けたことでしてよ、王子様。わたくしは逃げも隠れもいたしません。わたくしはわたくしの名と家門、そして友の名誉、国の将来のため、ここで宣言いたします」
す、と息を吸う。
本当は、アナスタシアだって、恐怖している。
王位を目指すべきとも、目指したいとも、思ったことは一度もない。
王たる者、王妃たる者を支えたいと、ずっと願ってきた。
その安寧を壊すのは、──アナスタシア自身。
「もしも陛下が、王子の継承権凍結が妥当であると、次期国王たるには不足と判断されるとしたら。その時は、わたくしは王位を望みます」
「……そうでなかったら?」
「毒杯でも、処刑でも、如何様にも」
その覚悟なくして、第一王子の王位継承権の凍結など宣言できまい。
しかも、第一王子の親であり、国の最高権力者の御前で。
震える手を、ヴィクトリアの手が包む。
あの時とは逆だと思えば、ほんの少し心が落ち着いた。
「周囲の諫言に一切耳を貸さず、己の価値観のみを信じて陛下の決定さえ覆さんとする。長く傍にあった血の滲む努力から目を逸らして、どのように国を導くのか。忠誠を誓う臣下として、国を憂える一人の貴族として、わたくしの成せる最大限の表明でございます」
「──そうか。そなたの覚悟、しかと受け止めた。我が姪アナスタシア」
これは、ある意味では反逆のような危険性を孕む。
正統なる継承者を退けよと、たったちっぽけな小娘が言うのだ。
限りない不敬、とてつもない不忠と思われても仕方ない。
それでも、ちっぽけな小娘の矜持を、拾ってもらえたから。
やはりこの国に尽くして死のうと、アナスタシアは思うのだ。




