ピンク様はすでに空気
案内された大会議室には、玉座の国王陛下と王妃陛下、名だたる高位貴族家当主たち、貴族院の重鎮たち、騎士団長を始め各部門の長たちが揃っていた。
一際顔色が悪く比較的簡素な正装で震えているのは、おそらくピンク様の実家がある領地を治める子爵夫妻。
領地から優秀な人材を紹介し、学園入学という実績を認められ、彼女の後見として幾許かの褒賞を受け取っているはずだ。
平民の両親を連れてくるわけにはいかないので、彼らを呼んだのだろう。
「こちらへ」
一言、ずしりと空気の重ささえ変えるほどの威厳ある声が、それぞれの足を前に出させた。
普段は穏やかでよく傾聴する陛下の優しいお顔が、見たことのない険しさに尖っている。
お誕生日席に両陛下、長い机の両側に重鎮たちと異色の領主夫妻。
宰相は両陛下の近くに立ち、アナスタシアたちは両陛下と向き合う位置に立つ。
「宰相、報告を」
「はい。このたび学園の年度末パーティーの場において、第一王子殿下が婚約者であるヴィクトリア嬢への婚約破棄を宣言。理由は、平民であるそちらのピンクの令嬢を差別し虐げたとのこと」
「うむ」
「なお、本件に関しては六ヶ月前、アナスタシア嬢とモーリス侯爵より進言があり、第一王子殿下、隣国の王子殿下、マジョルテ、ルディオ、クロエラ嬢、ノーマン殿に共有され、対策を忠言しておりました」
「そうだな。第一王子と隣国の王子殿下には、余と王妃、宰相や騎士団長、主だった重鎮も同席の上、方針を決定している」
「陛下のおっしゃる通りです。その後、アナスタシア嬢より依頼を受け、ルディオならびにノーマン殿は、護衛兼お目付け役として第一王子殿下の傍におりました。また、第一王子殿下とヴィクトリア嬢には、本件以前より王家の影が付いております」
淡々とした宰相の説明と陛下の相槌以外、一切の音がしない会議室は、異様な緊張感を孕んでいた。
それなりに場馴れしている面々も緊張しているが、中でもピンク様の顔色が青白い。
幾度も想像はしていたかもしれない。
だが、現実とは間違いなく容赦がなく、慈悲もない。
社交界にすら出たことのない立場の者が、何事もなくいられる空気ではなかった。
「議題は、一つ目に第一王子殿下による婚約破棄の件。二つ目に、第一王子殿下の適正に関する件。両方を鑑み、ここにいる者たちの処遇を検討する流れとなります。陛下、よろしいでしょうか」
「構わない。続けてくれ」
「では、まずは第一王子殿下」
呼ばれた王子が、少々ぎこちない足取りで一歩前に出た。
気分は処刑台。眺めているだけで冷や汗が流れる。
「第一王子殿下にお聞きします。ヴィクトリア嬢との婚約を破棄した理由は?」
「え? え、あの、……先ほど宰相が言った通り、婚約者であったヴィクトリアの、」
「ああいえ、そうではありません。そちらはどうでもいいでしょう? 公爵令嬢が婚約者に集る虫をたとえ殺しても、罪ではないのですから」
「…………」
いかにも不可解、というように、宰相の眉間に皺が寄った。
ルディオとよく似た面差しだが、数多の修羅場をくぐり抜けてきた経験値と獰猛さが垣間見える。
王子は沈黙するしかない。
「わからないのであれば、言葉を選ばずに質問します。事前に情報を得ていたにも関わらず、美人局のごとき女に易々と籠絡され、女を盲信するあまり陛下が定められた婚約を勝手に破棄などと言い出した理由を、私は問うています」
前置きの通り、本気で直接的な表現だった。
みんなの背筋がもうひと段階伸びた気がする。
「わかりますか? 陛下に盾つけるご身分なのでしょうか、という意味なのですが」
怖すぎる。寒気が止まらない。
ちらりと視線を交わしたヴィクトリアは怯えに瞳を揺らしており、たぶんアナスタシアも同じだろう。
「……い、え、その……陛下には、後ほど、報告をと……」
「はあ、なるほど。勝手に陛下の言を歪めた挙句、事後承諾でよいと。わかりました、お下がりください」
カタカタと震えながら、王子が列に並ぶ。
少し哀れになるほど怯えている。自業自得だが。
「よろしいですかな?」
手を挙げたのは、ホワイト公爵。
ヴィクトリアを溺愛しながらも、決して贔屓もしない国の重鎮であり、外交にも強い公爵閣下だ。
陛下に確認を取った宰相の頷きに返してから、ヴィクトリアと同じ深紫の瞳が王子を突き刺す。
「我が娘は幼少より、王家に嫁ぐ身としてありとあらゆる教育を施してまいりました。王子殿下の不得手な分野は特に、時に王妃陛下がお止めになる程度には、厳しく学ばせたつもりです」
「ええ。公爵も教師陣も、ヴィクトリアが優秀だからと、あんまりにも厳しいのですもの。何度か口を挟んでしまったわ」
公爵の言葉を受けて、苦笑した王妃が追随する。
それほどまでに苛烈で厳しい教育を受けてきたと、ピンク様は一度でも考えたことはあったのだろうか。
「それでも、我が娘は完璧ではないのでしょう。殿下は、学園の勉強が得意であるだけの平民の娘に、それほどのものを背負わせようとしておられる。それは自覚なさっているのでしょうか」
「…………ヴィクトリア」
救いを求めるような王子の視線を受け、ヴィクトリアが首を傾げた。
「王妃陛下と父のおっしゃる通りです、殿下。婚約が決まった五歳の頃から、淑女教育と王子妃教育と王子教育を同時に、それと外交と法務と財務、領地経営学と地学と多国籍間の法律、あとは流行を取り入れたデザインや、孤児院や療養院の視察などの公務と……」
「いや、もういい」
まだまだ続きそうなヴィクトリアを、真っ青な顔の王子が止めた。
彼に視線を向けられたピンク様は、さらに顔を白くして俯いてしまっている。
「きみは……私のために、そこまで頑張ってくれていたのだな。私が間違っていた、ヴィクトリア。やはり私の妃となるのは、きみしかいない」
何を言い出した? この阿呆は。
利用するだけ利用して、傷つけるだけ傷つけて、何一つ知ろうともせず他に現を抜かし、きみしかいない?
ふざけているのか。
ヴィクトリアに近づこうとする王子の前に、アナスタシアは咄嗟に身体を滑り込ませた。
────許さないと、決めたのだ。
こんなにも人生すべてを賭して王家に尽くしている女の子を、身勝手に振り回すなんて許さない。
ねえ、ちゃんと見て。努力して強がりの仮面を被っているけれど、この子はこんなにもボロボロだ。
指についたペンの跡。化粧で隠したクマ。美しく微笑みながら、この子は今にも壊れそうなほど思い詰めていた。
前世なんて突拍子もない記憶を打ち明けてしまうほど。
きっと気狂いと思われるだろうと予測しながらも、打ち明けずにはいられないほど、切羽詰まっていた。
爪で引っ掻くような心の悲鳴を、確かにアナスタシアたちは聞いたのだ。
アナスタシアに追随するように、マジョルテとクロエラもヴィクトリアの華奢な身体に寄り添う。
頑張って頑張って、それでも頑張りたいと足掻くこの子を守ろうと、確かに誓った。
安心して頑張れるようにするのが、生真面目なこの子の願いなのだ。




