56. 歓迎されていないようです
ギル様が差し出した手を取り、私はゆっくりと馬車から降りた。
それにしても、王太子殿下の成人式典は三日前。王都からここまで、馬車で二週間。
どれだけ急ごうと、普通に考えたら、ギル様はまだここにいるはずがないと思うのだが。
「ギル様、本物ですか……? でも、どうやって……?」
「ふ、急ぎ帰還して出迎えた甲斐があったな。こうして、ティーナの驚く顔を見られた」
視線が合わさると、黄金色の瞳が優しく細まり、私の心臓はとくとくと甘く高鳴る。
王都の別邸を出てから、二週間強。
ギル様は柔らかな表情で微笑んでいるが、二週間前よりも、少々疲れているように見える。
例の式典で精神的に疲れてしまったのか。
それとも、どうやったかは想像もつかないが、急いでここまで来たことで身体に負担がかかったのか。
いずれにしても、後ほど琥珀珈琲を用意して差し上げよう。少しでも、疲れが癒えるように。
ギル様は、名残惜しそうに私の手をそっと離すと、後から馬車を降りてきた皆を見渡す。
「ジェーン、トマス、ご苦労だった。アンディ殿も、無事で何よりだ。それから……そちらのお二方は、セシリア嬢とウォード殿だな」
ギル様は、リアとウォードに向き直ると、しゅっと表情を引き締める。
その瞬間、彼は前に立つ者の背筋が自然と伸びるような、為政者らしい圧倒的な威厳をまとった。
改めて、彼が王族なのだと意識させられる。
「ギルバート・フォレ・レモーネ・メリュジオンだ。この地、フォレ領の領主をしている」
「フォレ公爵様、お初にお目に掛かります。Cランク冒険者、セシリアです」
「……ウォードです」
「ああ。ここまでティーナとアンディ殿を守ってくれたこと、感謝する」
「勿体ないお言葉です」
リアとウォードは、深く頭を下げた。
「えっ、守るって、オレも?」
ギル様の挨拶を聞いて、アンディが目をまん丸にしていた。
どうやら、アンディ自身も護衛対象だったらしい。そして彼は、そのことに気がついていなかったようだ。
「それより、長旅で疲れただろう? 部屋へ案内させよう。しばらくゆっくりすると良い。詳しい話はまた後ほど」
ギル様が視線で合図をすると、彼の後ろにいた騎士二人が首肯する。片方は男性騎士、片方は女性騎士のようだ。
その他の騎士たちは、二頭の馬を厩舎へ連れて行ったり、馬車の整備をしたり、手入れのために武器防具を預かったりと、早速それぞれ仕事に入っていく。
皆とても手際が良い。
「それでは、皆様は私たちがご案内いたします。どうぞ」
彼らは、男女二手に分かれて、私とリア、アンディとウォードをそれぞれの部屋へと案内してくれたのだった。
*
リアに続いて私が案内された部屋は、やたらと大きな個室だった。
ベッド、テーブルセット、ソファー、鏡台。
あとは、チェストなどの収納関係が多めに用意されている以外、置いてある家具は一般的な客室とそう大差はない。
ミニキッチンや浴室なども付属している。
開いている扉の向こうをちらりと眺めた感じだと、リアの部屋のものと同程度の、一般的な設備のようで安心した。
それにしても、部屋が広い。広すぎる。
先ほどリアが案内されていた部屋の、何倍もある気がする。
王都別邸の、離れの大部屋とまではいかないが、母屋三階にあったギル様の私室よりも広いのではないだろうか。
「あ、あの、こんなに広い部屋、私には不相応では……?」
私は部屋を見渡すと、ここまで案内してくれた、エミリーと名乗った女性騎士にそうこぼした。
エミリーは、扉をぱたりと閉めると、先ほどまで浮かべていた笑みをスッと消す。
彼女は、手に持っていた私の荷物を床に放り投げて、大きなため息をついた。
私は、彼女の突然の変わりように驚き、びくりと身を震わせた。
エミリーは、艶のある金髪に赤橙色の瞳を持つ、華やかな顔立ちの美人だ。
筆頭聖女様もそうだったが、美人の不機嫌顔は、とても威圧感があって怖い。
「公爵閣下からは、作業部屋も兼ねていると伺っているわ。それが何の作業で、どれほど有益なものなのかは知らないけど、閣下のもとで勤めるからには、きっちり働いてもらうわよ。なんせ、ここはいつでも人手不足なんだから」
「……え……」
「いいこと? ここでは、能力が全てよ。閣下の寵を受けているからといって、調子に乗るんじゃないわよ」
敵意に満ちたエミリーの視線に、私はたじろぐ。
久々に向けられた悪意ある感情に、私は不安と恐怖を感じて、うつむいた。
出発前に、ギル様からもらったローブの留め金に付いている黄金色の飾り石が、視界の端で一瞬だけきらりと光ったような気がした。
私が黙っていると、エミリーは「ふん」と言って私に背を向け、扉を開ける。
再び彼女が向き直った時には、淑女らしい微笑みが浮かんでいた。
「それでは、失礼いたします」
丁寧に挨拶をするエミリーの、張り付いた笑顔の奥、赤橙色の冷たい瞳は、全く笑っていない。
私は息を詰めて、彼女が去って行くのをただ見つめるしかできなかった。
*
それから少しして、ようやく先ほどの衝撃と緊張が解けた頃――私の部屋の扉が、ノックされた。
「は、はい! どうぞ!」
のろのろと荷ほどきをしていた私は、声をかけられる前に、慌てて飛び跳ねるように返事をした。
「クリスティーナ様、失礼いたします。……何かございましたか?」
静かにすっと扉を開けたのは、ジェーンだった。
私の慌て具合が気になったのだろうか、訝しむような表情をしている。
「あ、ジェーン……」
ジェーンの顔を見た瞬間、私はなぜだか泣きそうになってしまった。
神殿にいた頃は、散々無能だと言われて、酷い言葉をぶつけられようが、どんな目で見られようが、全く気にならなかったのに……一度大事にされてしまうと、その途端にこれだ。
皆に愛されたいとまでは言わないが、仲良くしてほしい、認められたい、私をきちんと見てもらいたい……そんな風に期待してしまうから、敵意を向けられると悲しくなってしまうのだ。
神殿にいた頃は、そんな期待もなかったし、心が鈍っていたから何も感じなかったのだろう。
「……クリスティーナ様?」
「あ、ううん、何でもないの。それより、ジェーンはどうしたの?」
「主様が晩餐を一緒に、とのことでしたので、お伝えしに参りました」
「そっか。喜んで伺いますって伝えてくれる?」
「かしこまりました」
エミリーの件はどうあれ、ギル様は私をきちんと客人として迎えてくれるつもりらしい。
疑っていたわけではなかったが、ジェーンからの伝言を聞いて、私は一安心して微笑んだ。
「それから、クリスティーナ様の部屋付きのメイドなのですが……大変申し訳ございません、すぐに動かせそうな人員がいないのでございます。今後もしばらく、わたくしがご一緒してもよろしいですか?」
「もちろん! むしろ私、ジェーンがいいわ!」
私はジェーンの提案に、目を輝かせた。
これで部屋付きのメイドがエミリーのような人だったらと思うと、気が滅入ってしまいそうだった。
だから、ジェーンなら安心なのだが――。
「……あ、でも、ジェーンは他のお仕事で忙しい?」
「お呼びいただければ参りますが、常にお側に侍ることは難しいかと」
「ううん、充分よ。それに私、自分の身の回りのことは大体できるから。物の場所や設備の場所を教えてくれれば、お掃除もお洗濯もお料理も自分でするわ!」
「いえ、そこまでしていただく訳には……」
「だって、ここは常に人手不足って聞いたわ。私のことは平気だし、むしろお城のお掃除を手伝ってもいいぐらいよ」
私は笑顔を作り、元気な声で答える。
ジェーンに心配をかけるわけにも、人手不足なのに私が城の使用人や騎士たちに迷惑をかけるわけにもいかない。
「それで、早速だけど、今少し時間ある? ギル様に琥珀珈琲を作りたくて。使ってもいい瓶かグラスはあるかしら? それから、洗濯物を干してもいい場所は――」
私が質問をするのに律儀に答えつつ、ジェーンはずっと探るような瞳を私に向けていたのだった。




