表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【長編版】無能聖女の失敗ポーション〜働き口を探していたはずなのに、何故みんなに甘やかされているのでしょう?〜  作者: 矢口愛留
第三部 フォレ領編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

54/68

52. 後遺症を治癒します


 ウォードさんが私たちの泊まっている宿を訪ねてきたのは、翌日、日が昇ってからのことだった。


「お嬢様、入ってもいいっすか?」

「その声はアンディ? どうぞ、入って」


 私が許可を出すと、ジェーンがさっと扉を開ける。

 扉の外には、アンディと、三十代半ばと思われる見知らぬ大男が立っていた。


 ちなみにジェーンとリアは私と同室、アンディは御者のトマスと同室に泊まっている。

 今はちょうど朝の支度を終えて、宿のロビーに併設された食堂へ行こうとしていたところだった。


「あ、ウォード! 来てくれたんだ!」


 アンディと大男が部屋に入ると、リアが声を上げた。

 アンディの後ろに立つ山のような大男が、巌のような表情のまま、無言で頷く。

 どうやら彼が、ウォードさんらしい。


 彼の手には、昨日精製した琥珀珈琲(アンバーコーヒー)を入れていた水筒があった。

 リアがアンディと一緒にウォードさんの家へお見舞いに行って、渡してきたものだ。


「調子はどう? それ飲んで、少し良くなった?」


 ウォードさんは、再び無言で頷いた。けれど、左足を重そうに引きずっているところを見ると、やはり完治はしなかったのだろう。


 ジェーンは扉を閉めると、ウォードさんに椅子を勧めた。彼は目礼し、腰掛ける。


 ウォードさんは、水筒をリアに差し出す。

 リアがそれを受け取ると、彼は頭を下げた。感謝する、という意思表示だろうか。


「昨日も言ったとおり、この薬湯は、ここにいるお嬢様が用意してくれたものなの。だから、感謝するならあたしじゃなくお嬢様に――って、ウォード、どしたの!?」


 ウォードさんの目が私に向けられた途端、それまで全く動かなかった巌のような表情を崩し、彼は大きく青い目を見開いた。

 そして、椅子から崩れ落ちるように、慌てて部屋の床に片膝をつき、頭を垂れる。

 刈り込まれた短髪が、窓から差し込む光に照らされ、ゴールドアッシュに輝いた。


「え? 何? 何ですか?」


 私が驚いて声をかけると、ウォードさんはさらに深く頭を下げた。


「えっと、その……よく分からないんですけど、顔を上げて、楽にして下さい」


 突然、初対面の大男に跪かれるなんて、全く意味が分からない。

 ――ああ、もしかしたら、琥珀珈琲(アンバーコーヒー)で体調が改善したから、お礼を伝えているつもりなのだろうか。


「えっと、この薬湯のことでしたら、気になさらないでください。昨日、リアかアンディが、南国から輸入した珈琲という薬湯だと説明したと思うんですけど、実は、いくらでも簡単に用意できるんです」


 明るい声でそう伝えると、ウォードさんは顔を上げて、首を横に振った。……どういう意味だろうか。

 私は困って、リアとアンディを見た。


「ああ、もしかして、ウォードさんは本物の珈琲を飲んだことがあるのか?」


 アンディがぽんと手を打ってそう尋ねると、ウォードさんは頷いた。


「そうだったの? だから昨日、ちょっと戸惑い気味だったんだね」


 ウォードさんは、再び頷く。そして、膝を床に着いた姿勢のままで、少し首を傾げた。どうやら、琥珀珈琲(アンバーコーヒー)の正体を知りたいようだ。


「ウォードさん、秘密は守れますか……って、聞かなくても間違いなく口は堅そうですね。なら……この薬湯の正体を説明する前に、もう一度椅子に座ってもらえますか?」


 ウォードさんはためらいがちに頷くと、リアとアンディに支えてもらいながら、椅子に座り直した。

 ジェーンは気を利かせて、カーテンを閉めに行ってくれている。


「痺れが残っているところや、痛むところはどこですか?」


 ウォードさんは、右手の人差し指で、左腕と左足を指し示した。左半身に麻痺毒を受けたのだろう。


「わかりました。少し、じっとしていて下さい」


 私はウォードさんの左側に回り、彼の左半身に手をかざす。そうして目を閉じ、聖なる魔力を手のひらに向けて練り上げていった。


「癒しの光よ――お願い、彼の身体を癒して」


 祈りを込め終えると、私は瞼を開いて、治癒の魔力を放った。琥珀色の魔力が幾筋もの曲線を描いて、彼の腕や足を包み込んでいく。

 ウォードさんは目を細めて、琥珀色の光を眩しそうに見つめていたが、その表情はみるみるうちに驚きに変わっていった。


「……ふう。終わりました」


 治癒を終えて魔法を止める。

 ウォードさんは、信じられないといった表情をして、手足を伸ばしたり指先を握ったり開いたりしていた。


「痛みや痺れは、どうですか?」


 ウォードさんは質問に答えるかわりに、椅子からスムーズに立ち上がって、再び私の前に跪いた。

 今度は崩れそうになりながらではなく、スッと姿勢を正し、流れるように。


「あ、あの、ウォードさん、いいですから……」


 私は両手を自分の顔の前で横に振るが、彼は騎士流の最敬礼をやめてはくれなかった。

 そればかりか、彼は腰に差していた短剣を鞘ごと外して両手の平に乗せ、私の方へ差し出している。

 短剣は鞘からして、見るからに立派な物だ。鞘には、何かの本で見たことのある紋章が彫られていた。


「――騎士の誓い、でございますか」


 ジェーンが、静かな声でウォードさんに問う。

 彼は青い瞳に強い決意を宿して頷き、私の目をじっと見た。


「騎士の誓いって……どうして、初対面の私に?」


 騎士の誓いとは、主人と認めた人に唯一の忠誠を約束するというものだ。

 主人の危険には自らが剣となり盾となり、生涯守り通すという誓い――騎士にとっては、自らの命よりも重い、絶対の約束である。


 きっと、ウォードさんは、今は冒険者をしているが、元々は騎士だったのだろう。

 だが、いくら今は騎士ではないと言っても、その誓いの重さは変わらない。決して、初対面の人間においそれと誓って良いものではないはずだ。


 ウォードさんは、ゆるく首を横に振ると、視線を落とした。その眼差しは、剣の鞘に彫られた美しい紋章に向けられている。


「えーと……、もしかして、初対面じゃなかった……ですか?」

「……この紋章は……確か、南方に位置する隣国の?」


 ウォードさんは、スッと顔を上げて、首肯した。

 その肯定は、私とジェーンのどちらに対してか、あるいは両方に対してか――はっきりと読み取ることはできなかった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ