43. そういう風に呼ばれると
「ええと、ポーションを盗まれたのは、一昨日……慈雨の日の夜っす。昨日の樹木の日は休みだったから、今日ここに来たら話そうと思ってて」
アンディの出勤日は、予定によって前後することもあるが、基本的に、星月の日と黄金の日だ。
そのため、事件が起きてから今まで、アンディと話をする機会がなかった。
「一昨日か……。ちなみに、君の連れが怪しいと感じた女だが、どのような風体だったかは分かるか?」
「うーん、確か、長いローブを着て、顔を隠してたって言ってたな。でも、リアは視覚情報……特に、色やら細かい造形やらは分からないんすよ。嗅覚とか気配で判断してるんすけど、あの時は錯乱玉のせいで嗅覚がやられちまって、あんまり覚えてないって」
「そうか。……ふむ」
ギルバート様は、玄関扉に寄りかかったまま、腕を組み片方の手を顎に当てて、考えを深めている。
玄関の屋根と濃紺の髪が秀麗な顔に影を落とし、まるで一枚の絵画のようだ。
「……なあ、ギルさんって、めちゃめちゃモテそうだよな」
「……うん、私もそう思う」
アンディが私にこっそりと耳打ちをして、私も頷き返していると、ギルバート様はふと視線を上げて、わずかに眉をひそめた。
「クリスティーナ嬢とアンディ殿は、本当に仲が良いな」
「えっ? オレとティーナが?」
「ギルバ――ごほん、ギル様。アンディは、私にとって、初めてできたお友達なんです」
「……ふ」
私が笑顔でそう返すと、ギルバート様は、なぜか相好を崩した。
その微笑みを見て、アンディはぎょっとしたように目を見開く。
「ほんとイケメンすね、うらやま……、じゃなくて! えっと、さっきの話、もし詳しく聞きたいならリアを連れてきますけど」
「いや、その必要はない。情報、感謝する」
「そうすか? あんまりお役に立てなくて、すみません。それからティーナ、改めて、ごめんな」
「ううん、いいよ。ポーションはまた作ればいいんだし」
私は微笑みながら、首を横に振った。
それに、今後は初級ポーションではなくて、中級ポーションを渡せるようになるかもしれないのだ。せっかく渡すなら、効果の高い物を渡してあげたい。
「では、アンディ殿。後ほど今後のことを話す時間を取りたい。それまでは庭作業の続きを頼む。クリスティーナ嬢は、それを届けに来てくれたのだろう? そのまま三階へ運んでくれるか?」
「了解っす!」
「わかりました」
アンディと私が返事をすると、ギルバート様は頷き、玄関扉から背を離す。
そのまま扉を開け放ち、私を先に屋敷の中に導いて、自身も続いて扉をくぐった。
「クリスティーナ嬢」
「はい、何でしょう、ギルバート様」
「……もう『ギル』と呼んではくれないのか?」
「えっ」
扉を閉めながら尋ねられたのは、予想外の言葉で。
私は驚いて、ギルバート様の背中をじっと凝視する。
ゆるりと振り返ったギルバート様は、眉尻を下げて微笑んだ。
繊細な金色を湛えた両の瞳には、私の姿だけが映っている。
「あ、あれは、ギルバート様がアンディに名前を知られたくないのかと思って、咄嗟に」
「今後もそのように呼んでくれて、構わないぞ?」
「え、でも……その……」
「駄目かな? ティーナ」
「――っ」
耳元に唇を寄せて、甘えるように呟く声に、私の全身に甘い痺れが走った。
「――ふぅ」
固まって動けなくなってしまった私を見て、ギルバート様は瞼を閉じて首を横に振り、小さく息をついた。
「そ、そ、そ、その」
「すまない。忘れてくれ」
ギルバート様は私から再び距離を取って、片方の手を私の方へ差し出した。
「え、えっと」
「籠。そのまま貰っていくよ」
「あ……」
ギルバート様は、私の手から籠を受け取ると、そのまま私とすれ違うようにして階段の方へと向かっていく。
「あの!」
私は、遠ざかっていくその背中に、慌てて声をかけた。
ギルバート様は立ち止まって、顔だけで振り返る。
「えっと、……ギル様」
「――クリスティーナ嬢……?」
ギルと呼んで欲しいと言ったのは自分なのに、私がそう呼ぶと、ギルバート様は驚きに目を見開いた。
「あ、や、やっぱ駄目ですよね。その、ごめんなさ――」
「――嬉しいよ。ありがとう」
ギルバート様は目を細めて、美しく笑った。
「それから……私のことも、ティーナで大丈夫です」
「……ティーナ」
「はい、ギル様」
ギルバート様――改めギル様は、ふっと小さく笑いをこぼす。彼は私の方へ歩み寄ると、空いている方の手を私に差し出した。
「やはり、三階まで一緒に行こうか。ティーナの口から直接、ポーションの報告が聞きたい」
「……はい!」
私はギル様の手に自分の指先を乗せる。
彼はそのまま、上機嫌で三階まで私をエスコートしてくれたのだった。
*
それから数日後。
中級ポーションの実験を続けているうちに、ついに私たちは効率よく高品質のポーションが精製できる方法を発見した。
どうやら、薬草を丸一日ほど浸しておいた水を使ってポーションを精製すると、少ない魔力で効果の高いポーションができるらしい。
「薬草を浸しておいた水は、見た目では普通の水と区別がつかない。ティーナが、薬草を入れず水だけで精製可能だと思っていた……いや、思わせられていた理由は、これだろう」
「なるほど……」
「筆頭聖女は、おそらく、ただの水にも魔力色をつけられるほどの強い力を持つ聖女を見極めたかったのだろう。だから、初めは水だけでポーション精製を実践させ、それに色がつかなければ『間違えた』と言って薬草水と取り替える。もし、ただの水に色がつけば……」
「……あえて、正しいやり方を教えないままにした」
「その通りだ」
ギル様は、眉間に皺を寄せて、頷いた。
「でも、何のために……」
「――初めは、自分が筆頭であり続けるために、そのような暴挙に出たのだと思っていた。力の強い聖女が現れれば、自分の地位が脅かされる可能性がある。筆頭聖女は、先にその可能性の芽を摘もうとしていたのだと」
「うーん……そこまでして、筆頭の肩書きを守りたかったのでしょうか」
「ああ。彼女は、何もかも手に入れなければ気が済まない性質のようだ。筆頭聖女という名誉、侯爵令嬢という身分、そして王太子の婚約者という立場……いるのだ、どこにでも。自分の価値を守るために、汚い手を使うことへの躊躇いを持たぬ者は」
王族として育ったギル様は、「幼い頃から、そういった人間を見かけるたび心底うんざりしていた」とぼやいて、続ける。
「だが、真の目的は別に存在したのかもしれない」
その言葉に、私は首を傾げたのだった。




