36. エスコートされちゃいました
ティーナ視点に戻ります。
――*――
ジェーンさんの腰を治癒しようと試みて、魔力の使いすぎで倒れてしまった翌日の夕方。
私は、ギルバート様から、ダイニングルームにお呼ばれしていた。
「ええと……仕事着は汚れちゃったから、一度着替えた方がいいよね」
仕事を終えた私は、一旦離れの自室に戻って、先日街へ行ったときに買った、新しいワンピースに着替えることにした。幸い、指定の時刻までは、もう少し時間がある。
呼ばれた場所はダイニングルームだが、食事に呼ばれた訳ではないと思う。なぜなら、今日一日、ジェーンさんの姿を見ていないからだ。
昨日は昼前から夜中まで泥のように眠ってしまった。
気がついたら大部屋のテーブルに、蓋付き小鍋に入ったパン粥が置かれていたが、あれはジェーンさんが無理をして作ってくれたのかもしれない。
今日は、朝も昼も自分で食事を用意した。
離れの大部屋にはキッチンもあるし、食材も分けて貰っている。
毎回食事を用意してもらうのが忍びなくて、最近ではジェーンさんにはお昼だけご馳走になり、朝と夜は自分で作るようになっていたのだ。
私は今朝、ギルバート様の分の食事も用意しようかと尋ねたが、心配無用だと言われてしまった。
以前ジェーンさんが、『主様は自分の身の回りのことをほとんど自分でやってしまう』と言っていたが、彼は料理までこなすのだろうか。
そうだとしたら、完璧すぎる。むしろ、彼には出来ないことの方が少ないのではないか。
「そんな完璧な人なのに、本当に紳士的で、優しくて……」
ギルバート様のことを思い浮かべた途端。
私の手を包み込む大きな手の温度が、優しく穏やかな声が、切なげに細められた黄金色の瞳が、美しい微笑みが――色鮮やかに脳裏によぎって、胸の奥がきゅう、と熱くなる。
「……なんだろう、この気持ち」
私は、両手を自らの胸に当てる。嫌な気持ちではなく、むしろとても素敵な、心躍るような感情だ。
リアさんがアンディに向けていた感情とも、少し違うような気がする。
あんな風に激しい、炎のような感情ではなくて、もっとささやかな……そう、湧き上がる泉のような穏やかなものだ。
「でも、なんだか心地良い」
姿見に映る私の頬は、夕陽のせいか、いつもより赤く色づいていた。
*
指定された時刻より少し早くダイニングルームに向かうと、ギルバート様はまだ来ていないようだった。
私はどうすればいいか悩んだ結果、部屋には入らず、開け放たれた扉の前で、彼の到着を待つことにした。
「すまない、待たせたかな」
ギルバート様がダイニングルームへ下りてきたのは、約束の時刻ちょうどだった。
「いいえ、今来たところです」
私が微笑んで首を横に振ると、ギルバート様は目を細め口角を上げて、恭しく片手を差し出した。
「クリスティーナ嬢。どうか私に、貴女をお席までエスコートする栄誉をいただけませんか?」
「……っ」
私は、驚きのあまり、固まってしまった。
ギルバート様は首元を寛げたシャツにベストとトラウザーズという簡素な服装だが、その仕草は、生まれながらの貴公子そのものだ。
それに対して私は、神殿で一通りマナーを学びはしたが、実践に移したことのない付け焼き刃。
一瞬、どう反応して良いのかわからなくて思考が停止してしまったが、おずおずと自らの手をギルバート様の手のひらにのせると、彼は嬉しそうに口元を綻ばせた。
「ありがとう。嬉しいよ」
「い、いえ。その、私、マナーは付け焼き刃で……何か変なことをしてしまったら、ごめんなさい」
「ふ、構わないよ。誰が見ているわけでもないのだから」
私が謝罪すると、ギルバート様は楽しそうに笑ったのだった。
短い距離ではあるが、ギルバート様にエスコートされて席に着く。
ダイニングルームの奥側は間仕切りで仕切られており、私は手前側の席に案内された。
レストランと同程度の、小さめサイズのテーブルセットだ。
ダイニングルームには大きな長テーブルもあるが、それは部屋の隅に置かれて布をかぶっている。
このテーブルなら対面の距離がさほど離れておらず、会話もしやすそうである。
テーブルの上には、皿やナプキンやカトラリーセットは用意されておらず、かわりに大きな銀のクローシュと、水の入った小さなピッチャーだけが置かれている。
彼は早速、口火を切った。
「今日は、君に大切な話があって、呼ばせてもらった」
「大切な話……ですか?」
「ああ。悪い話ではないから、そう身構えなくて良い」
そう言って、ギルバート様はクローシュを持ち上げる。
中に置かれていたのは、今朝私が作った琥珀珈琲と、ポーション用の空き瓶、薬草。
それから、魔法実験に使うフラスコが二本と、淡い輝きを放つ、赤い花びらのようなものが数枚あった。
ギルバート様は、ベストのポケットから手袋を取り出して両手に装着しながら、話しはじめる。
「少し、実験に付き合ってくれ。まず、この赤い花だが、これは魔法薬や魔道具を作製する際に一般的な触媒の一つでな。灯火薔薇といって、水上に浮かぶように咲く薔薇だ。魔力を内包していて、夜になると灯火のように光る」
「へえ……!」
ギルバート様の話を聞いて、私はこの花が水上で一面に光り輝くのを想像した。
揺らめく水面に光を反射し、淡く輝く灯火薔薇。それはきっと、とても美しい光景だろう。
「それでは、クリスティーナ嬢。このフラスコに水を入れて、『照明』の魔法を注入すると、どうなると思う?」
「ええと……ナイトライトみたいに、水が光るようになる……?」
先日、街で雑貨店に寄った際に、光る水を利用したナイトライトを見た。
ドーム型になっていて、中に小さな庭や家のオブジェが入っており、淡く光る水で満たされているものだ。
水の中には白く光る粉も入っていて、逆さにするとそれがドーム内を舞い、小さな家に粉雪が降っているかのように見える。
お土産に素敵かも、と思ったのだが、結構な値段がして諦めたのである。
「では、実際にやってみようか」
ギルバート様は片方のフラスコにだけ灯火薔薇を丸めて入れ、それから、両方のフラスコに水を注いだ。
「魔力を注いでいる間、少し眩しくなる。耐えられなければ、目を瞑ってくれ」
私にそう断りを入れてから、ギルバート様は、二本のフラスコに手をかざした。




