33. 見知らぬ部屋、もしやここは
「ん……」
次に私が目を覚ましたのは、見知らぬ部屋のベッドの上だった。
ベッドにも、布団にも、枕にも、清潔な白いシーツが掛けられている。余計なものは置かれておらず、ほのかにウッド系の爽やかな香りが漂っていた。
ベッドサイドにはナイトテーブルが置かれ、テーブルランプと何かの専門書らしき分厚い本が一冊。
他には、一人がけのソファーと小さなローテーブル、キャビネット、その横には布の掛けられた姿見が置かれている。
「ええと……?」
私はベッドから身を起こし、これまでの経緯を思い返してみる。
「確か、ジェーンさんが腰を痛めて、治癒魔法を使って、ギルバート様を呼びに行って……それから……」
いくら思い出そうとしてみても、その後の記憶が全くない。魔力切れで倒れてしまったのだろうか。
ギルバート様を呼びに行ったことは覚えているから、そのまま三階で倒れたのかも知れない。
「知らない部屋、三階、清潔な寝具……も、も、もしかして――ここ、ギルバート様の寝室では」
私の顔から、さあっと血の気が引いた。
もしかしたら、いやもしかしなくても、仕える主人の寝室で休ませてもらっているとか……使用人の風上にも置けないようなことになっていたりするのではないだろうか……?
「ひぇっ……! だとしたら、私、なんて失礼なことを……!」
私は慌ててベッドから下りると、しわになってしまったシーツを一生懸命指で伸ばす。
「ど、どうしよう、シーツは張り替えたほうが」
「おや、クリスティーナ嬢、もう目覚めていたのか」
「わっ、ギルバート様っ」
突然出入り口の扉がノックもなく開いて、私は飛び上がって驚いた。
ギルバート様からしたら、ここは自分の寝室だ。しかも、私はまだ眠っていると思っていたようだし、ノックなんてしないだろう。
私がわたわたしているのを見て、ギルバート様は、「失礼した。起きているとは思わなくて」と困ったように微笑んだ。
「身体はもう平気か?」
「はい! 大変申し訳ございませんでした、私、ギルバート様の手を煩わせてしまったばかりか、寝具をお借りしてしまうなんて……! すぐに新しいシーツをお持ちしますっ、この度は――」
「少し落ち着け、クリスティーナ嬢」
私が慌てて謝罪をすると、ギルバート様は苦笑しながら私を制止した。
「で、でも、しわが……」
「シーツは替えなくても良い。手間だし、しわがあるぐらい、気にしないよ」
「でも、ギルバート様の身の回りを整えるのが私のお仕事で」
「使用人の体調を慮るのが主人たる私の役目だ」
ギルバート様は少し強い口調でそう言い、私の顔をじっと覗き込んだ。
美しい黄金色の眼差しに見つめられると、なんだかくらくらしてしまう。
「君が倒れてから、ほとんど時間は経っていない。体調も、まだ万全ではないだろう? いいから、座ってもう少し休んだほうがいい」
「……確かに、少しくらくらします」
そう言って目を伏せると、ギルバート様は「そうだろう」と、私の肩を支えた。そのまま有無を言わさず、私はもう一度ベッドに座らされてしまう。
ギルバート様は、少し離れた場所に置かれている、一人がけのソファーに座る。私はようやく落ち着いた心地になって、ふう、と息を吐き出した。
「あの、本当に申し訳ございません。少し休ませていただいたら、仕事に戻りますから」
「いや、歩けるようになったら、今日はもう離れに戻って休むんだ。君は元々働き過ぎなのだから」
「そんなこと、ジェーンさんに比べたら――あ!」
ジェーンさんの名前を出したところで、私は、自分が倒れてしまった経緯を思い出した。
「ギルバート様、私のことよりも、ジェーンさんが大変なんです! 腰を痛めて動けなくなってしまったみたいで、ランドリールームで休んでます。お医者様の手配をお願いします!」
私は再びベッドから立ち上がる。ジェーンさんの容態が心配だ。
「クリスティーナ嬢、落ち着いて――」
「いいえ、だって、ジェーンさんの痛みは、今も続いてるはずなんです! それに、ジェーンさんの分も私が働かないといけないんです」
現状、母屋に出入りできる使用人は二人しかいないのだ。ジェーンさんが腰を痛めているのだから、私はますます休んでいる場合ではない。
「心配するな。ジェーンの状態も問題ないし、洗濯は明日以降に回しても構わない。食事に関しても、まあ、どうにかなるだろう。ジェーンにも休みを言い渡してある。クリスティーナ嬢も、今日は気にせずゆっくり休め」
「ギルバート様……」
「クリスティーナ嬢。君が倒れた原因は、恐らく魔力の使いすぎだ。栄養を取って、しっかり寝て、回復に努めろ」
「わ、私……、休むなんて……、これじゃあ本当に……」
――これじゃあ本当に、無能になってしまう。
与えられた仕事もこなせず、ジェーンさんに満足のいく治癒をすることもできず、挙げ句、主人の前で倒れて介抱されるだなんて――。
「……平気だ。休むのは怖いことではないよ」
ギルバート様はいつのまにか静かに私の近くに歩み寄っていた。上品なウッド系の、爽やかな香りがふわりと私を包み込む。
ギルバート様は、うつむいていた私の手を取ると、優しい声色で、あやすように語りかけてくれる。
「休んでもいいんだ。身体に鞭打ってまで、急がなくてはならない仕事なんて、ここには存在しない。君が休んだとして、私が君の評価を下げることもしない。それよりも、君には元気でいてほしい。私には君が必要なんだから」
ギルバート様の言葉に、顔を上げる。切なそうに目を細めて、私をじっと見つめている。
私の手を包む大きな手は、優しくて、温かかった。
「ギルバート様……私……ごめんなさい」
ほろりと一粒こぼれた涙を、片方の指先でそっと拭って、ギルバート様は微笑む。
彼はそのまま私の頭に手を伸ばして――けれどその手はどこにもたどり着くことなく、空中をさまよって、再び私の手の上に戻る。
私がギルバート様を見上げると、彼は眉尻を下げて、美しく微笑んだ。
「構わないよ、クリスティーナ嬢」
気を失う前、朧げな記憶の中。
もしかしたら私の妄想だったのかもしれないが、彼は私のことを『ティーナ』と繰り返し呼びかけてくれていた気がする。
しかし今は私を『クリスティーナ嬢』と呼ぶ彼の眼差しに、声色に、その仕草に――私は胸の奥が、きゅうと締め付けられたのだった。




