32. ジェーンさんが大変です!
ギルバート様の部屋を出た後は、いつも通りの業務に入る。
まず向かう場所は、ランドリールームだ。
洗濯物を洗って庭へ出すのだが、大地の日、豊穣の日と出かけていたので、今日はいつもより量が多い。
「う、うう……」
「っ!?」
ランドリールームのすぐ近くまで来たところで、苦しそうな呻き声が聞こえてきた。
ジェーンさんの声で間違いない。私は慌てて駆け出した。
「ジェーンさん、大丈夫ですか!?」
「も、申し訳ございません……こ、腰を痛めてしまいまして」
「た、大変……!」
ジェーンさんの足元には、洗濯物のたっぷり入った籠が転がっている。水を吸って、見るからに重そうだ。
この籠を持ち上げようとして、元々痛めていた腰に限界が来てしまったのだろう。
「ひとまず、休みましょう。椅子に座れますか?」
「え、ええ」
ジェーンさんは壁に手をついて立ち、苦しそうに顔を歪めている。
私は、ランドリールームの隅に置かれていた丸椅子を、ジェーンさんの近くに持ってきた。
ジェーンさんに体重を預けさせながら、ゆっくりと椅子に座らせる。
「申し訳ございません……ご迷惑を……」
「迷惑なんかじゃないです! 落ち着くまで、休みましょう。ギルバート様に伝えて、お医者様を呼んでもらわないと……」
ジェーンさんのような腰痛は、外傷ではないのでポーションでは治せない。せいぜい、患部にポーションを染みこませたガーゼを貼ったりして、炎症を緩和させることしか出来ないのだ。
高位貴族や大商人であれば、神殿や教会に要請して、聖女を派遣してもらう方法もある。だがその方法は、今のギルバート様の状況を考えると、取ることができない。
力の強い聖女が使う治癒魔法であれば、根気よく治療を続ければ完治させることも可能かもしれない。
治療を受けるには神殿に行くしかないが、痛みが強いときに市街地まで移動するのは、まず無理だろう。
「……私に、力があれば……。ジェーンさんのお役に立ちたいのに……」
私はぎゅっと唇を噛んだ。
私がちゃんと治癒魔法を使えたら、ジェーンさんの治療をすぐにでも始めることが出来るのに――自分の無力さが、本当に悔しい。
「……クリスティーナ様、お気持ちだけで充分でございますよ」
ジェーンさんは冷や汗をかきながらも、私に優しい言葉をかけてくれた。
自分が苦しいというのに、どうして……どうして、役立たずの私のことなんかを気に掛けてくれる余裕があるのだろう。
私は小さく首を横に振った。
「あの、ジェーンさん。私は……無能聖女です。だから、ジェーンさんの腰を治すことはできません。でも……少しでも、痛みを和らげることができたら……!」
私は、心を決めて、顔を上げた。
こんな役立たずだけれど、もしかしたら、万に一つ、上手くいく可能性だってあるかもしれない。
「ジェーンさん、お願いです。痛むところに、治癒魔法を使わせてください。気休めにしかならないかもしれませんけど、ほんの少しぐらいは、痛みが引くかもしれません!」
「……ええ。では、お願いいたします」
私が決意を込めてそう言うと、ジェーンさんは口角を少しだけ上げて、了承してくれた。
「はい! 全力で、癒します!」
私は大きく頷いて、深呼吸をする。
丸椅子の後ろに膝立ちになり、ジェーンさんの腰に両手を開いて近づけ、瞼を閉じた。
「癒しの光よ、ジェーンさんの痛みを、苦しみを、どうか取り除いて……!」
祈りを込めて、内なる魔力に神経を集中させる。
私が持てる力の全てを、癒しの魔法に変えて、一気に放出する。
琥珀色の魔力が、柔らかな線を描いて、指先から迸っていく。
そうして。
私は魔力が続く限り、治癒魔法を使った。
指先に灯っていた琥珀色の光が徐々に弱まり、消えていく。
「……ふぅ。終わりました」
私は一息ついてそう告げると、ゆっくりとその場で立ち上がる。魔力を使いすぎたせいか、すこしふらふらするが、私の仕事はまだ終わっていない。
「クリスティーナ様――」
「すぐにギルバート様を呼んできますね。お医者様を手配してもらわないと!」
私は元気よく告げて、呆然としているジェーンさんに微笑みかけると、急いでランドリールームを後にした。
今は『視線さん』の気配はないので、自分の足でギルバート様に伝えに行かなくてはならない。
「はぁ、はぁ、ギルバート様、いらっしゃいますか!?」
私は足元をふらつかせながら、どうにか三階にたどり着き、ギルバート様のお部屋をノックする。
しかし、ギルバート様からはお返事がない。
「執務室、かな、はぁ……、きゃ……っ」
私は隣接する執務室の前まで行こうとしたのだが、その手前で足がもつれて、転んでしまった。
けれどその拍子に物音がしたからか、私がノックする前に、執務室の扉が内側から開いた。
「っ、クリスティーナ嬢!? どうした!?」
執務室から出てきたのは、もちろん、ギルバート様だ。端正な顔を驚きに染めて、私の元に慌てて駆け寄る。
「す、すみません、転んで……」
「怪我は? 立てるか?」
「わ、私のことより、ジェーンさんが……っ、ランドリー、ルーム……」
私を心配そうに覗き込んでいる黄金色が霞み、ぼやける。遠くなっていく意識に抗うことができず、目の前の景色が、ゆっくりと閉ざされていく。
「クリスティーナ嬢!? しっかりしろ! ティーナ、ティーナっ!」
焦ったように私を繰り返し呼ぶ声を聞きながら、私の意識は暗転したのだった。




