23. 仲間はずれは良くないです
長い夜が明け、豊穣の日。
今日は琥珀珈琲の精製はお休みということになっている。
日が完全に昇るのを待ち、いつもより遅い時間になってから、私は母屋を訪れた。
リネン室に向かう途中で、ジェーンさんが洗濯かごを抱えて歩いてくるのが見えた。私は急いでジェーンさんから洗濯かごを受け取る。
「ありがとうございます、クリスティーナ様。昨晩はよくお休みになれましたか?」
「えへへ……それが暇で暇で、逆に眠れなくなっちゃって」
「左様でございましたか」
ジェーンさんは、私がそう言って笑うのを見て、困ったように微笑んだ。
「来週はどうしようかなあ……ジェーンさん、離れでもできるお仕事とかって、何かないですか?」
「そうでございますね……ああ、それでしたら――」
ジェーンさんは少し考えたのちに、私にある提案をしたのだった。
*
そうして変わり映えのない、けれど楽しくやりがいのある、充実した一週間が過ぎ。
再び、大地の日が訪れた。
「さて、これで今日のお仕事は終わりですね!」
「ええ。予定通り、普段よりも早く終わりましたね。あとは……」
「おーい、ティーナ、ジェーンさん! こっちも終わったぞー!」
「アンディ様のお仕事も、済んだようでございますね。では、各々お支度が済みましたら、門の前に集合でお願いいたします」
「はい!」
私は元気に返事をして、離れに戻る。
事前に用意してあった鞄を手に取ると、私は二人と待ち合わせをしている門の前へ急いだ。
「お待たせ!」
「お、ティーナ、早かったな。もう少しゆっくりしてても良かったのに」
「えへへ、だって、楽しみで」
うきうきと小走りでアンディに駆け寄ったけれど、ジェーンさんがまだ来ていない。
私は、アンディと、彼の背後に浮かぶもう一人の気配に微笑みかける。
……というか、『視線さん』は、街までお出かけできるのだろうか?
「そういえば、ティーナはここに来てから初めての外出だっけ?」
「うん、そうなの」
先週の豊穣の日、ジェーンさんに、何か大地の日の夜にできる仕事はないかと尋ねたところ、彼女はこう返答したのだ――「何か、趣味などをなさるのは如何ですか」と。
けれど、私に趣味なんて、何もなかった。ジェーンさんは刺繍や絵画、楽器、読書などを勧めてくれたのだが、生憎、道具も材料も持っていない。図書室への出入りは自由に許可されているが、蔵書のほとんどが何らかの専門書で、読みたい本を見つけられずにいた。
そういうわけで。
ジェーンさんの提案もあって、私は趣味を見つけるために、街へと繰り出すことにしたのだ。
「アンディ、今日はよろしくね。私、街のことに詳しくないから」
「おう、まかせろ! 宿はジェーンさんが手配してくれてるって聞いたけど、飯屋は色々知ってるから、オレが案内するぜ」
「うん! 楽しみだなあ」
私がそう言ってにこにこ微笑むと、アンディは耳を赤くして鼻の頭をかいた。
一方、アンディの背後――『視線さん』からは、何となく寂しそうな気配が漂ってくる。
何故だかはわからないが、最近は最初の頃に比べて、『視線さん』を通じてギルバート様の気持ちが伝わってくるようになっていた。
「……そっか……そうだよね。ごめんアンディ、ちょっとだけ待ってて」
「え? ああ、うん」
私は『視線さん』を見つめながら、ある衝動に突き動かされて、急いで母屋の三階へと向かったのだった。
私がギルバート様の部屋をノックすると、部屋の主はすぐに扉を開けてくれた。
「ギルバート様、お忙しいところすみません」
「どうした、クリスティーナ嬢。これから外出するのではないのか?」
「そうなんですけど、ギルバート様に聞きたいことがあって」
「私に聞きたいこと?」
ギルバート様は、金色の瞳をまっすぐこちらに向けて、小さく首を傾げた。そんな小さな仕草ひとつにも品があって、絶妙な色気を放っている。
最近私は、彼の仕草や話し方がこれほどに魅力的なのは、容姿の問題だけではないということに気がついていた。
気品溢れる仕草、ゆったりとした身のこなし、落ち着いたしゃべり方、会話の間、視線や表情の作り方。
それらは全て、彼自身がこれまで努力して身につけてきた、技術の形なのだと思う。
私も幼い頃は、神殿で基本的な読み書きやマナー、会話術などを教わっていた。それらは全て、他者を不快にさせず、自身を良く見せるために必要な技術だったのだと思う。
聖女は貴族や権力者と関わる機会が多いため、それらの技術の修得は必須だった。
だからこそ、私から見て、ギルバート様の努力は相当大変なものだっただろうことが伺えるのだ。
幼い頃からレベルの高い教育をたたき込まれてきた結果、それらの技術は完全にギルバート様自身に染みついており、彼をより一層魅力的に見せているのだろう。
それに、彼は――。
「あまり時間もないのだろうが、少し座って水を飲んではどうだ? 急いで来たのだろう」
「あっ、すみません、お構いなく」
「だが、この後も市街地まで歩くのだろう? 心配せずとも、ジェーンはまだ時間がかかるようだぞ」
「ありがとうございます……では、お言葉に甘えて」
――彼は、とても優しく、気配りのできる方なのだ。成熟した内面の美しさも、外側に表れていて、それが彼の魅力に輪をかけているように思う。
今だって、そう。私は、階段を駆け上って息を切らしているのを気取られないように注意していたのだが、彼には気づかれてしまったらしい。
彼は大きく扉を開け放って、部屋の奥にあるミニキッチンから、グラスに飲料水を注いで持ってきてくれた。ただの使用人に、これほど気を配る王族は珍しい……というか、彼以外には存在しないだろう。
私が椅子に座って素直に水を飲んだのを見て、ギルバート様は柔らかく目を細める。
「少し落ち着いたようだな。それで、私に聞きたいことがあると言ったが」
「……ダメ元で聞くんですけど、ギルバート様が街に出かけるのは、やはり難しいのですか?」
「ああ、そうだな……今は難しいな」
「『今は』ってことは、いつかは、一緒にお出かけできる日が来ますか……?」
「――それは」
私の質問に、ギルバート様は驚いたように目を見開き、息を詰めた。彼はゆっくりと目をまたたかせると、綻ぶように微笑む。
「――ああ、いつの日か、必ず。約束しよう、クリスティーナ嬢」
それは、この上なく優しく、美しい笑顔だった。
「……っ、ありがとうございます!」
顔にのぼっていく熱を隠すように、私は元気よくお礼を言った。
「ギルバート様が大変なときに、三人ともお側を離れてしまって、申し訳ありません。ギルバート様とも、いつかご一緒できたら、とても嬉しいです。私、お約束の日を、楽しみにしてますね!」
「ああ。私も、楽しみにしている」
――本当は、王族であるギルバート様が市街に外出なんて難しいだろうということは、私にもわかっている。
けれど、出かけられないだろうと勝手に決めつけて、彼だけ誘わなかったということ……それが、私の心の中でもやもやと引っかかり、燻っていたのだ。
ギルバート様は、心底嬉しそうに微笑んで、私の手を優しく取った。そうしてその手を自らの口元近くに持っていくと、そっと目を閉じる。
手の甲に口づけられるのかと思って、私の心臓はバクバクとしていたが、彼は少しの間そうしたのち、触れることなく私の手を解放した。
「ありがとう、クリスティーナ嬢」
――出かけられないことがわかっていても、彼に声をかけてみて良かった。
ギルバート様の嬉しそうな笑顔を見て、私は心の底からそう思ったのだった。




