21. 琥珀色の聖女様とは、何でしょう
その後ジェーンさんを手伝って諸々の準備を終えると、あっという間に夕方近くになってしまった。
ギルバート様の夕食と朝食を用意し、洗濯と掃除を済ませ、その後、余った時間で自分たちの食事を用意する。いつもジェーンさんが一人でこなしていたのだと思うと、頭が下がる思いだ。
「ふう、これで終わりですね」
「クリスティーナ様、お手伝いしてくださってありがとうございます。おかげ様で、本日は滞りなく準備を済ませることができました」
「いいえ、とんでもない! いつもお一人で準備されていたんですよね……大変でしたね」
裏庭の水場でモップを踏み洗いしながら、私はジェーンさんに笑いかける。
この屋敷には至る所に水魔法の込められた魔道具が設置されているので、井戸水を汲み上げる必要がなく、非常に便利だ。
ジェーンさんは、近くの物干し場のロープに洗い終えた雑巾を干しながら、話に応じてくれている。
「恥ずかしながら、これまで洗濯や掃除の半分は、翌日に回していたのでございます。お食事も、もっと簡素なもので我慢していただいておりました。主様は、わたくしたちがいただくような食事で構わないとおっしゃって下さるのですが……」
ジェーンさんはそう言って、目を伏せた。雑巾は干し終えたようだ。私も水を止めて、綺麗になったモップを逆さにし、壁に立てかける。
「……ギルバート様は、本当にお優しい方ですね」
「ええ。本来、主様のご身分であれば、専属の料理人が作ったお料理を毎日召し上がり、身の回りのお世話や執務の補佐、護衛など、複数人の従者をお側に置くのが普通ですのに……主様はほとんどお一人で全てをなさるのです。そして、それを苦にもなさらない主様を見ていると、不憫でなりません」
ジェーンさんの仕事は、ギルバート様の側仕えである。とは言っても、ご本人が自分のことはほとんど自分でやってしまうので、実際に手伝うのは食事の用意と部屋の清掃、洗濯物、それから時折街へのお使いを頼まれる程度なのだという。
私とアンディが雇われてから、洗濯は私がまとめてやっているし、街へはアンディが行ってくれるようになったので、以前より料理に手がかけられるようになったのだとか。
「クリスティーナ様が来て下さって、わたくしは本当に助かっております。それに、主様も。最近は、貴女様のおかげでお心が和らいでいらっしゃるようですから」
「そ、そうですか?」
「ええ、左様でございます。毎朝、貴女様が琥珀珈琲を作ってお部屋から出て行かれた後、主様はとても安らいだお顔をなさっているのですよ。この十三年間、主様があのように柔らかな表情をなさるところを、わたくしは見たことがございませんでした」
ジェーンさんは、心から嬉しそうに微笑んでいる。それを見て、私も頬が緩んだ。
「私がお二人のお役に立てているなら、何よりです」
「ええ。苦しみの中にあった主様が、琥珀色の聖女様に出会って、生きる希望を持てたこと。それから三年経った今、このような形で偶然、主様が琥珀色の聖女様と再会できたこと。そして、その聖女様が、貴女様のような素敵な方であったこと。全て、女神様のお導きなのでしょうね」
優しい顔で微笑むジェーンさんの言葉に、私は首を傾げた。ギルバート様も、以前から琥珀色のポーションを探していたとか、助けてもらったとか言っていたが、私には本当に心当たりがない。
「えっと、その、琥珀色の聖女様というのは……」
「ああ、少しお話ししすぎてしまいましたね。これ以上は、主様に叱られてしまいますので、ご容赦ください」
「はあ……」
ジェーンさんは、「いずれ主様がお話しになると思います」と口を閉ざしてしまった。
やはり、彼の心が決まるのを大人しく待つしかなさそうだ。
「では、本日の勤務はこれで終了となります。明日は主様の元をお訪ねになるのはお控えいただき、明後日の朝、また琥珀珈琲の精製をお願いしたく存じます」
「わかりました。一階、二階への出入りは、日が昇ってからだったら構わないんですよね?」
「左様でございます。普段より遅めに勤務を始めていただいて構いません」
それにしても、大地の日の夜から豊穣の日の朝にかけて、ジェーンさんも出入りできないとは。もしその時間に病気の発作が出たりしたら、どうするのだろう。
私は少し気になって、ジェーンさんにそのことを質問したら、「いざという時の連絡手段はございますので、ご心配なく」と話を切り上げられてしまったのだった。
私は、よっぽど腑に落ちない顔をしていたのだろう。そしてそれをどのように解釈したのか、ジェーンさんは、くすりと笑って変なことを言った。
「女性と逢い引きなさるわけではございませんので、ご安心下さいませ」
「へっ!?」
「主様はご結婚されていませんし、特定のお相手がいらっしゃったこともございません。それに、特殊なご事情により、身分を超えて伴侶を選ぶことが許可されております」
「な、何でそんなことを私に?」
「ふふ、主様は女性側の心境にまで思い至らないでしょうし、気が付かれたとしても言い出しにくいでしょうからね。とはいえ、貴女様も……そうですね、今は頭の端にでも留めておいていただければ」
ジェーンさんは、楽しそうにそんなことを言って、母屋の裏口から、室内へと戻っていった。
「ええと……ううんと……」
残された私は、結局何の話だったのかと首をひねりながら、離れへと帰り着いた。
ギルバート様に奥様も恋人もいないということはわかったが――、
「あ、そっか! そういうことね」
特定の相手がいない、というのはつまり、ギルバート様のお相手は不特定多数の……?
「きゃあ、なんてこと……!」
なんだか頬が熱くなってしまう。けれど、ギルバート様ほど素敵な男性だったら、女性が放っておかないだろうというのも、納得がいく話である。
――きっと、夢中になって追ってこられるのが嫌なのだろう。
私は首を大きく横に振って、顔にのぼった熱を振り払った。なんだかちょっとした違和感があるような気もするが、それが何なのか、冷静さを欠いているらしい今の私には、深く考えられない。
「……それなら、私も、気をつけなくちゃ」
私はまだ、誰かに恋をしたことはないけれど……ギルバート様には、たとえ心を許しても、恋心だけは抱かないようにしよう。
私が、ギルバート様の使用人として、お側に居続けるためにも――。
「よし。今日は早めにお風呂に入って、ポーションを作って、たくさん寝ようっと」
ちくりと刺さる棘のような痛みには、気付かないふりをして。
私は、すっかり自分に馴染んで居心地の良くなった小部屋の扉を開いたのだった。
ティーナは、「逢い引きではない」と言われたことも、ギルバートが姿を隠していることも、すっかり忘れて勘違いしています……可哀想なギル様……。




