15. 私の話を聞いてくれるようです
翌朝、私は早速、琥珀珈琲をギルバート様に届けに行った。
母屋の三階へ向かい、昨日ギルバート様と対面した部屋の扉をノックする。
「おはようございます。クリスティーナです」
「ああ、おはよう。入ってくれ」
「失礼いたします」
ギルバート様は、部屋の真ん中に設えられたソファーに座って、何やら書類を読んでいる。私を待つ間にできる仕事を、隣の執務室から持ってきていたのだろう。
「すまない。すぐに終わるから、座って待っていてくれ」
ギルバート様はちらりと私に目を向けると、向かい側に座るよう、空いている手で促した。
私は少しためらったが、ギルバート様が優しく頷いたのを見て、おずおずとソファに腰掛ける。
ここは、三階の中で唯一私が入ってもいい部屋だ。両隣が続き部屋になっていて、それぞれ執務室と寝室になっているのだと聞いた。
ギルバート様は、あまり豪華なものは好まないらしい。家具は暗い茶色や黒いものを中心に。絨毯やカーテンは、深い緑色で統一されていた。天井に吊された照明も、シャンデリアのように揺れるものではなく、一定の光量が保たれる実用的な造りだ。
部屋の奥側にはミニキッチンも設えられているようだ。とはいえ、本格的なキッチンは屋敷一階に備わっている。ここはあくまで、シンクや簡易コンロが設置されている程度だ。
「よし、これで良い」
私が部屋の中を眺めていたら、ギルバート様の仕事も一段落したようだ。彼はそれまで読んでいた書類をトントンと整え、上にペーパーウェイトを置いた。
「待たせたな、クリスティーナ嬢」
「いえ。お忙しいときに伺ってしまって、申し訳ありません」
「構わない。朝に来てくれと指定したのは私の方だからな」
ギルバート様はそう言って、私を安心させるように微笑んだ。昨日、琥珀珈琲を毎日ギルバート様に渡すと約束したのだが、この時間に来てこの場で精製をしてほしいと言ったのは、ギルバート様の方なのだ。
「でも、やっぱりお忙しいなら、早朝に作ったものをお持ちする形でも」
「いや、器具も水もここで用意した方が手っ取り早いだろう。それに、ここで精製してもらう形にすれば、君と話をする時間もとれるからな」
「私と話を?」
「君は、私が正式に雇った従業員だ。何か困っていることがないか把握するために、きちんと時間を設けることも必要だろう? ……ああ、私と顔を合わせるのが君にとって負担になるというのなら、無理強いはしな――」
「そんなことありませんっ!」
私が慌ててぶんぶんと首を横に振ると、ギルバート様は面食らったように、美しい黄金色の瞳を瞬かせた。
「す、すみません。その、私にとって負担だなんて、そんなこと絶対にあり得ないです。こんな風に気に掛けてもらったのは初めてなので、少し驚いてしまって……負担なんかじゃなくて、むしろとっても嬉しくてありがたいお話ですっ」
「……ふ、そうか」
私が早口で取り繕うと、ギルバート様は面白そうに目を細め、口角をゆるく上げた。
「本当に申し訳ありません。不敬な態度を取ってしまって……」
「いや、構わない。そんな風に、私に恐縮する必要はないぞ。……王族とは言っても、王宮を出てからもう十三年。公爵の位と少しばかりの領地を賜ってはいるが、領地の外ではほとんど実権を持たない、影のような存在なのだ、私は」
そう告げて目を伏せたギルバート様の表情に、暗い影がよぎる。寂しさ、虚しさ、憤り……彼は何か、大きな苦しみを抱えているようだ。
私が返事をしあぐねていると、ギルバート様は瞳の奥の影を振り払って微笑み、ソファから立ち上がった。
「では、器具の場所を教えよう。こちらへ」
ギルバート様はミニキッチンの方へ向かうと、シンク横の小さな食器棚の扉を開けた。
私も急いで立ち上がり、彼の後を追うと、棚の中を覗き込む。
「ポーション瓶でなくとも、清潔なグラスや瓶なら構わないのだろう? 君が離れで、グラスに琥珀珈琲を精製しているのを見た」
「はい、問題ないです」
「なら、この棚のグラスを自由に使ってくれて構わない。予備として保存しておく分は、こちらの瓶を使ってくれ」
「かしこまりました」
実用的な物もあるが、中には明らかに高級そうなグラスもあるので、うっかり触らないよう気をつけよう。
特に、翼の生えた蛇――魔物のサーペントやワイバーンなどではなく、ドラゴンという架空の神獣らしい――をモチーフとした王家の紋章が描かれているグラスは、割ったり欠けさせたりしたら絶対にヤバい。
「ちなみに、琥珀珈琲以外のポーションを精製するのであれば、規定の瓶もこちらで用意できる。他に必要な材料があるなら、それも私が用意しよう。魔法薬や魔法道具に関しては、少々伝手があるからな」
「何から何まで……ありがとうございます」
「いいや、大したことではない。――やっと見つけたのだから、当然のことだ」
「やっと見つけた……?」
私は小首を傾げた。一体どういう意味だろうかとギルバート様を見つめるが、彼は、ただ黙して優しい微笑みを浮かべている。
「そうそう、実は、私の趣味は魔法の研究でな。君の話、特に聖魔法とポーションの話に興味がある。これから少しずつ、話を聞かせてもらえると嬉しい」
「なるほど、そうなのですね。私が知っていることは限られていますが、それでもよろしければ、お安いご用です」
「ああ。楽しみにしている」
そうして私は琥珀珈琲を精製しながら、ギルバート様とおしゃべりをした。
初級ポーションを作る時と違って、そこまでの集中を必要としないし、時間もあまりかからない。
あっという間に三杯の琥珀珈琲を精製し終わってしまった。
短い時間ではあったが、ギルバート様との会話は弾んだ。彼は聞き上手で、次々と質問をしては合いの手を入れてくれるのだ。
幼い頃に神殿に拾われたこと、聖女としての力は弱くて実際に人を治癒した経験はないこと、ポーション精製も初級までしかできなかったこと。
結局、この日はそんな話ばっかりで、聖魔法の話はほとんどできなかった。
「すみません、私のことばかり話してしまって」
「いいや、君の話が聞けて良かったよ。明日もまた、話を聞かせてもらうのを楽しみにしている」
ギルバート様はお忙しいはずなのに、嫌な顔一つせず、楽しくもないであろう私の話を真剣に聞いてくれた。
私もギルバート様に話をしたことで、胸の中に長年積もっていた何かが、ほんの少しだけスッキリしたような気持ちになっている。
丁重にお礼を言ってギルバート様の部屋から退出した時には、私はもう既に、明日もまた彼と話ができることを楽しみにしていたのだった。




