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【長編版】無能聖女の失敗ポーション〜働き口を探していたはずなのに、何故みんなに甘やかされているのでしょう?〜  作者: 矢口愛留
第一部 無能聖女編

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11. 視線さんを動揺させてしまいました



 翌朝、私はまた、日が昇る前に目が覚めた。

 長年しみついた習慣というものは、なかなか侮れないものだ。


「今日からは、母屋のお掃除をしてもいいんだよね。でも、ジェーンさんを待たないといけないんだっけ」


 なら、まだしばらく時間があるはずだ。その間に、昨日取り込み忘れていたカーテンを全部付け直してしまおう。

 大部屋の扉を開くと、今日も朝から謎の視線に出迎えられた。いつも見守られているのにも、もうすっかり慣れてしまった。


「そういえば、母屋に移ったら、視線さんともお別れなのかな?」


 私がそう呟くと、謎の気配は、慌てたように小さく揺らいだ。もしかしたら、見ているだけではなく、声も聞こえているのかもしれない。


「んー、どこの誰かも知らないし、どこから見ているのかもわからないけど……視線さん、夜にはここに戻ってくるから、心配しないで! 寂しいかもしれないけど、お仕事なんだ。ごめんね」


 私が辺りを見回し、微笑みながらはっきりとした声でそう言うと、謎の気配は思い切り動揺したようにあちこち動き回り、ふっとかき消えてしまった。


「あれ? 消えちゃった? 声、かけないほうが良かったかなあ」


 視線さんは、恥ずかしがり屋なのかもしれない。悪いことをしてしまった。

 けれど、どこかへ行ってしまったものは仕方がない。私は考えるのをやめて、カーテンの取り付け作業を始めたのだった。



 その後。

 食事を終えた私は、再び迎えに来たジェーンさんと一緒に、母屋へと向かった。


「まず、注意点を申し上げておきます。三階には、決して立ち入らないようご注意下さい。主様の生活空間になっておりますので」

「わかりました。あの、私、お屋敷のご主人様には、ご挨拶しなくていいんですか?」

「それには及びません。いずれ、主様の方から、お呼びがかかるかと思います」

「そうですか……」


 私は肩を落とした。雇い主である屋敷のご主人には、心から感謝しているのに、挨拶もさせてもらえないだなんて。

 もしかしたら、ジェーンさんが私を認めてくれただけで、まだご主人にはきちんと認められていないのかもしれない。

 そんな風に考えていたら、すかさずジェーンさんがフォローしてくれた。


「ご心配なさらずとも、クリスティーナ様は主様に歓迎されておりますよ。母屋への出入りをお認めになったというのが、証拠でございます」

「え? それって、離れの掃除が終わったからじゃないんですか?」

「いいえ。クリスティーナ様だからこそでございますよ。現に、アンディ様はまだ、母屋への出入りを認められておりませんでしょう」


 母屋に呼ばれたのは、てっきり、離れでやることがなくなったからだと思っていた。

 だが、どうやらそれだけではないらしい。私の心に、喜びとやる気がみなぎってくる。

 アンディが呼ばれなくて、私が呼ばれた理由はわからないが、期待されているのなら応えなくてはならない。


「私、認めてもらえたんですね。なんだか、嬉しいな。もっともっと頑張りますね!」

「その意気です。ですが、くれぐれもご無理はなさらないでくださいませ。では、ひとまず一階から、ご案内いたします」


 ジェーンさんはそう言って、屋敷の一階と二階を、一通り案内してくれたのだった。



 そうして、心配する間もなく。

 私がとうとう屋敷のご主人との面会を果たしたのは、母屋の掃除に取りかかり始めた翌日のことだった。


「クリスティーナ様、主様がお呼びでございます。朝食がお済みになりましたら、昨日お掃除していただいた、一階右手の客間までお越し下さい」

「えっ! は、はい、わかりました! 急いで食べます!」

「ゆっくりで結構でございますよ。それと、お渡しした化粧品をお持ちください。主様は気になさるような方ではございませんが、少しだけお化粧いたしましょうね」

「あっ、そうですよね。よろしくお願いします」


 ジェーンさんはゆっくりでいいと言ったが、雇い主を待たせていると思うと、そうのんびりもしていられない。

 私はできる限り急いで朝食を済ませ、持っている服の中で一番まともに見えるワンピースを着て、母屋へと急いだのだった。




 母屋の一階には、立派なボールルームがある。天井も高く広いということと、使う予定がないことから、掃除の優先度は低い。

 私が呼ばれたのは、そのボールルームの並びにある客間の一つだ。

 舞踏会や夜会が開催される際に、来客が少し休んだり、身だしなみを整えるために設けられている部屋である。


「ジェーンさん、お待たせしました」

「いいえ、お早かったですね。さあ、どうぞ、姿見の前にお座りください」


 私は促されるままに、姿見の前の椅子に腰を下ろして、先日もらった化粧品を並べる。

 ジェーンさんは私の髪を丁寧に(くしけず)ると、左右から編み込みを入れて、ハーフアップの髪型にまとめてくれた。


「わぁ……お洒落な髪型」

「お気に召していただけたようで何よりです」


 ジェーンさんは柔らかく微笑みながら、今度は化粧品の容器を手に取る。


「お化粧の方は、コツをお教えしながら進めて参りますね」

「ありがとうございます!」


 スキンケアの仕方から始まり、ベースメイク、アイメイクと、ジェーンさんはわかりやすく説明しながらお化粧を進めてくれた。

 みるみるうちに、自分の顔が華やかになっていく。

 最後に口紅を乗せると、なんだか自分が自分ではないみたいで、ソワソワしてしまった。

 けれど――、


「すごい……御伽噺に出てくる、妖精さんの魔法みたい」


 初めてお化粧をしてもらって、私の心は浮き立っていた。これまでずっと脇役だった私に、急にスポットライトが当たったような、なんだか特別な人間になったみたいな、そんなワクワク感がある。


「ジェーンさん……なんか、すごく、すごいです……!」


 語彙力の崩壊した言葉を聞いて、ジェーンさんはくすりと笑いをこぼした。


「元々お可愛らしいお顔立ちでしたが、今はよりいっそうお綺麗ですよ。……ああ、お若いお嬢様のお化粧をするのは久しぶりでしたが、やはり良いものでございますね」


 ジェーンさんは懐かしそうに目を細めている。かつて女性の方に仕えていたこともあるのかもしれない。


「さあ、準備も整いましたし、主様のところへ参りましょうか」

「はい!」


 そうして、私はジェーンさんに連れられて、屋敷の主人が待つ三階へと向かったのだった。


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