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【長編版】無能聖女の失敗ポーション〜働き口を探していたはずなのに、何故みんなに甘やかされているのでしょう?〜  作者: 矢口愛留
第一部 無能聖女編

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9. ここは自由で、優しい場所です



 翌朝。

 まだ日が昇りきる前に、私は目覚めた。

 皆が起き出す前に朝食の支度を……と思って起き上がったところで、ここが神殿ではなかったことを思い出す。


「……そうだ……ここ、林の中の一軒家の離れ……」


 一軒家の離れ。自分で言っておいて何だが、やはり違和感がある。ここは一体、誰の邸宅なのだろうか。


 朝食の支度をしなくていいのだから、本当はまだ寝ていても良いのだが、なんとなくいつも通りに目は覚めてしまうものである。ベッドは今までとは段違いの暖かさで、逆に居心地が悪いぐらいだった。


「今日は窓掃除と、大部屋のシャンデリアの仕上げをして、廊下と階段と二階の埃をざっと払って……」


 私は着替えをしながら、やることと順序を頭の中で組み立てていく。

 そういえば昨夜、この小部屋の扉を閉めたら、探るような視線は感じなくなった。何かが棲んでいるのは大部屋か、大部屋に面した窓の外なのかもしれない。


「まだ屋敷のご主人はお休みになっているだろうから、静かにできる作業から始めよっかな」


 私は小さく気合いを入れて、屋内のバスルームで窓を開けずにできる作業――カーテンの洗濯から、始めたのだった。



 一階のカーテンを全て手洗いしていたら、そこそこ時間が経っていた。なにせ、大部屋には何箇所も窓があるのだ。

 バスルームと庭を何往復かして、全てのカーテンを干し終わったところで部屋に戻ると、テーブルの上に朝食のバスケットが用意されていた。


「本当に三食用意してくれてるんだ……ありがとう、ジェーンさん」


 ジェーンさんの姿は見えないが、私は母屋の方に向かって指を組み合わせ、祈りのポーズを取った。

 こんなにたくさん食事をとることは、これまでなかったので、胃が驚いているようだ。だが、これも仕事の一環と言われている。

 ゆっくり味わいながらいただいていると、失敗ポーションを飲まなくても、疲れが癒やされるような心地がした。


「……なんか、いいなあ。自由だなあ」


 私は、ふにゃりと笑って、呟いた。


 神殿にいたときと違って、ここでの生活は、急かされることがない。自分のペースで、自分のやりたいところから、自分のやり方で作業を進められる。

 料理をしている途中で洗濯物を押しつけられたり、洗濯を干しているときに靴を磨くように言いつけられたり、掃除の途中でバケツを倒されたりすることもない。


 屋敷の主人は何か訳ありっぽいけれど、あちらから関わってこない以上、私は自分の仕事をマイペースに進められる。

 アンディもジェーンさんも、私に対して無理難題を押しつけてこないし、怒鳴ったりもしない。まるで、昔私を拾ってくれた、定年退職してしまった神官様や、名前も知らないけれど必ず挨拶をしてくれた神殿騎士様みたいだ。

 世の中にはこんなに優しい人たちがいるのか、と正直驚いている。神殿は、特別、戒律が厳しかったのだ。


「優しくしてくるジェーンさんのためにも、早く離れのお掃除を終わらせて、お庭の整備に移らなくちゃ!」


 私は気合いを入れ直して、食べ終わった食器をシンクでちゃちゃっと洗う。相変わらず謎の視線は私を追いかけてきたが、もう気にならなくなった。



「ティーナ、おはよ!」

「あっ、おはよう!」


 大部屋の外窓を掃除していたところに現れたのは、アンディだ。買ってきた荷物を抱えて、母屋の玄関の方へ向かっていく。

 玄関扉の横には、昨日はなかった大きな箱が置かれていた。アンディはその箱の中に、荷物を入れていく。


「ポーションの瓶も買ってきたから、後で渡すよ」

「うん、ありがとう! とっても助かる」


 私が微笑んでお礼を言うと、アンディは照れたように、ニカっと笑った。


「今日は窓掃除だな。オレも手伝うよ」

「ふふ、ありがと」


 この二日間で、私は何度「ありがとう」と言っただろう。

 こんなにたくさん、心から「ありがとう」が湧き出してくるのは、生まれて初めてじゃないだろうか。


 神殿から出るときに抱いていた、これからの人生に対する不安は、もうすっかり消え去っていた。

 最初は怪しいと思っていた依頼だが、こうしてやって来てみれば、こんなに居心地がよい。

 きっと、女神様のお導きがあったのだろう。私はとても強運だ。


「ららら〜♪ 雨は雲〜♪」


 私は再び、機嫌良く窓掃除を再開した。

 昨日は気になっていた謎の視線すらも、なんだか温かく見守ってくれているように感じられる。


「ん?」


 視界の端で、母屋のカーテンがわずかに揺れた。

 三階の部屋だ。そこに屋敷の主人がいるのかもしれない。

 だが、カーテンが揺らいだのも一瞬だけで、私には部屋の主の姿を見ることはできなかった。


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