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弐拾捌:門出

 漸く切り出せたタイミングで、そういえばと傍らに置いておいた缶コーヒーの存在を思い出す。ここに連れてくる前に少しでも冷えた体を温めようと買って置いたものだけど、今はもう温くなってて。

「とりあえず、微糖と無糖どっちがいいですか?」

「び――無糖でお願い」

 そんなとこで意地張らなくても――

 とりあえず無糖を天塩さんに手渡して、軽く振ってから蓋を開けようとする。けど上手いことプルタブを起こせなくて、

「司ちゃん、手袋外せばいいのに」

「まぁそうですけど――」

 人前だと外したくないんですが――いや、もう「木染」には見せてましたね。

 なら、いいかな。

「――っと、外してもダメみたいですね」

 右手だけシュルリと手袋を外してみるけど、うまく引っかからずに指が空振る。

「もう、貸して」

 横からひったくるように持っていかれて、彼女は難なく蓋を開けて手渡してくれる。

「ありがとうございます」

 お互いに一口だけ飲んだ後、ぽつりぽつりと語り始める。

「――言い訳にはなりますが、あれは本気で襲うつもりじゃなかったんです。ただ、少し懲らしめようと思って」

 その唇から「司」じゃなくて「棗」という名前が出てきたから。今目の前に居るのは私である司なのに、なのになんで「棗」のことを呼ぶの?私のことは見ていないの?それとも木染には――「司」も「棗」もおんなじに映るの?

 そんな黒い感情がサイホンのコーヒーみたいに底から湧いては司を包み込んでいって。

 ――そうだ、司で棗を上書きしちゃえばいいんだ。

 突き動かされるままに細い喉首へと手を伸ばして、怯えたその眼差しを見下ろして――すぅ、と急速に何かが冷めて、我に返って今ここに居て。―――あれが何だったのか、今になってもわからない。

「あの時の私は、司じゃなかったのかもしれません」

 なにか、こう、司としての意識すらかき消してしまうような何か。目星はついているようで、ついていない。

「――なんですかね、言い訳しか出てこないんですけども――とにかく天塩さん、ごめんなさい」

 それまでじっと黙っていた天塩さんが、座ったままそっと近づいてくる。

「司ちゃん」

 伏せていた視線を上げると、すぐそばに彼女は居た。

「わたしは、司ちゃんのことをどうしても許せない」

「――やはりですか」

 目が覚めた時から覚悟はできていましたし、寂しさはあれど後悔は――ちょっとだけあるかもしれません。

「だけど――『司』なら赦せるよ」

「はい?」

 えっと、それはどういう――?

「だから――『司ちゃん』としては許せないけど、別の『司』としてなら、許せるかなぁ、って」

「つまり、それはどういう――」

 ダメだ、頭を回してみても天塩さんの言ってることが全く分からない。『司ちゃん』はダメで『司』ならセーフとは?

「あぅぅ……わたしオバカだからうまく説明できないけど、これまでの司ちゃんって私と話してる時でもなんだか表情が読み取れなくて、なんだかモニターとか人形に向かって話してるみたいな感じがしてたの。でも今の司ちゃんは顔もコロコロ変わるし、つないだ手だってすっごくあったかかったし、それに、、、今、楽しそうに笑ってるもん」

「え――」

 視線を彷徨わせて鏡を探す――あった。

 果たしてそこに居たのは、

「あはっ――ほんとだ、笑ってる」

 整った顔の白磁の人形じゃなくて、泉見 司という名の少女だった。

「――ね。笑ってるでしょ」

 いつの間にか隣に居た天塩さんが一緒に鏡に映りこむ。

「本当ですね、笑ってます」

 顔を作らなくたって、こんな風に笑えたんだ。

「だからね、今までの司ちゃんにはもうバイバイ。これからは新しいつかさちゃ……司、として友達になろう?」

「なるほど、それはいいアイデアですね。しかし、そう簡単にこれまでの『司ちゃん』を捨てるわけにはいかないので、この『司ちゃん』も持って帰りましょうか」

「えぇ…今の司が好きなのにぃ」

「いや、いきなり変わったら周りが心配しますから。頭打ったのか?、とか、変なもの食べたのか?、とか聞かれまくるのは目に見えてますし」

「うぅ……確かに」

 そう、だから、

「――天塩さんの前でだけは、『司』になることにしますね」

 たまには舞台を降りてゆっくりするのも悪くない。

「――あと天塩さん、さっきからさらっと私のこと呼び捨てにしてますね?」

 まぁ別にいいですけど。

「いいじゃん。それに、先に呼び捨てにしたのは司の方だよ?」

「はて、そうでしたかね?」

「そうだよ?わたしの両手握ったときに『こぞめ』って」

「そ、それは忘れてください……」

 あの時必死だったんだもの……

「だから、司も、……ね?」

「……こ、こぞ、め?」

「もっとはっきり、もう一回」

「こぞめ」

「はいもう一回」

「……勘弁してくださいよ、木染」

 本当に恥ずかしいんだから……

 でも、悪くはないかな。


 そんなことを話しているうちに、扉の外からは授業の終わりを知らせるチャイムの音。

「さて、戻りましょうか」

「そうだね」

 ドアに手をかけて、なんとなくフリーになった手のひらを木染に向けてみる。少し時間が空いて、軽く握り返された手のひらがそっと熱を受け取って伝え返す。

「そういえば手袋しないの?」

「あっ……」

 今気が付いたけど、既に手は塞がっていて。

「――そうですね、ここを出たらまた付けます。外の世界はばっちいので」

「あ、なら」

 と手を放そうとする木染の手を逆に握り返す。

「――大丈夫、木染は『ばっちくない』から」

「そ、そう――」

 ――とはいえ、このまま部屋を出るのも気恥ずかしいし、そっと手のひらを離して扉を開ける。

 流れ込んでくる冷たい風が、火照った身体を冷やすのにはちょうど良くて。

「――おなかすきましたね」

「そういえば何も食べてないような――」

「――授業終わったら、私の部屋に来ます?何か軽いものでも作りますよ」

「いいの?」

 そんな会話を押し流すように、廊下の風は後ろへと流れていった。


これにてこぞつかは一時結びとなります。

一応続編は可能なようにしてありますが、それを書くには黒鹿月の技量が足りません。

またどこかでお会いしましょう。

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