(3)公爵以上の御方
会議部屋から出たカイトたちは、そのまま真っ直ぐセプテン号へと戻った。
一度で話し合いが成功するとは考えていなかったので、最初から戻る予定になっていたのだ。
「――随分とあからさまに取り込みに来ていたな」
セプテン号にある部屋の椅子に座るなり、ガイルが苦笑するなりそう言った。
「分かり易いといえば分かり易いけれど……それにしても、あれはないんじゃないかと思ったよ」
敢えて誰とは言わなかったカイトだが、ガイルとメルテはすぐに何のことを言っているのか理解して頷いていた。
「まあ、典型的な貴族の一人ともいえるがな」
「そうなのですか?」
故郷には貴族がいないメルテが、首を傾げながらガイルを見た。
「あそこまでそのまま態度に示すのは珍しいかも知れないが、多かれ少なかれ平民にはああいった態度を取って来るからな。公爵みたいなのは、少数派だ」
「てことは、俺は運が良かったってことか」
「まあな。それに、他の国に行った場合は、もっとひどいところもあるらしいぞ。俺もそこまでひどい国には行ったことはないが」
貴族の権限――というよりも態度が横柄で有名な国は、基本的に商人が近づくことはしない。
変に近づけば、難癖をつけられて主に税として搾り取られることが多いからである。
さらに、そういった国は大抵専属がガチガチに決められていて、新規の商会が入り込む隙間がないという理由もある。
「ということは、このまま条件を変えないということもあり得ますか……。――どうするのですか?」
「どうもこうもないだろうね。向こうが譲らないのであれば、受け入れることはできない。交渉は打ち切りだね」
ロイス王国との交渉にこだわるつもりはないという態度を取るカイトに、ガイルも頷いた。
「そうだな。カイトに――というよりも、セプテン号に国の色がついてしまえば、今後の活動方針も大幅に変わって来る。船長が、変わらないままがいいというのであれば、俺はそれを支持する」
敢えて『船長』と呼んだガイルに、カイトは一瞬照れくさそうな表情を浮かべてから真面目な表情になって頷いた。
今話をしている内容は、今後のセプテン号にとっても重要なことなので、茶化すべきではないと考えたからこその反応だ。
カイトとガイルが揃って打ち切りを宣言したことで、メルテが一度頷いてから言った。
「では、話し合いは打ち切り……というわけですか?」
「いやいや。まだ、可能性はあるから。というよりも、こっちから可能性を広げてみるよ。こっちの条件さえ飲んでくれれば、他と交渉しなくても済むのは楽だから」
色を持ちたくないというのは、どこの国と交渉しても発生する問題である。
ロイス王国との交渉が失敗したからと言っても、同じような態度で望んでくる国は、一つや二つだけではすまないだろう。
そんな面倒なことを続けるくらいなら、出来る限りロイス王国との交渉で終わらせてしまいたいと考えるのは当然だ。
カイトが可能性を広げるといった時点で、ガイルとメルテはすぐにその方法に思い至っていた。
そのため、それ以上は何も言うことはなく、ただ楽しそうにカイトのことを見返すのであった。
♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦
カイトとの交渉を任せられた一団の代表である男は、与えられた自室に戻って一息ついていた。
代表は、つい先ほどまでヴァサル子爵の部屋に呼ばれて、嫌味と文句を散々聞かされていた。
子爵の愚痴を聞きながら内心では自分に言われてもと考えていた代表だったが、勿論それを表に出すようなことはしていなかった。
代表はあくまでも領地交渉に関するトップであって、身分的には爵位を持っている子爵が圧倒的に上である。
どうせならいっそのこと権限も子爵に与えてしまえばよかったのにと思わなくもないが、上から言われたとおりにするしかできないところが、宮仕えの辛いところだ。
爵位を持つ者から何かしらを言われるのは、いつものことなので慣れているのだが、精神的に疲れるのは避けられない。
これから先の交渉のことを考えて、ゆっくり休もうとしているところだった。
ところが、そんな代表の考えを裏切るかのように、部屋のドアがノックされる音が聞こえてきた。
「はい。どなたでしょうか?」
そう答えを返しながら自ら歩いて行ってドアを開けると、そこには初めて見る人間が立っていた。
こんなところに初対面の男が来るとは全く考えていなかった代表が警戒の色を浮かべると、その男は感情の色を浮かべることなく淡々とした表情で言った。
「お初にお目にかかります。少々お時間を頂戴したく、お伺いいたしました。まずはこちらを――」
男がそう言いながら懐から取り出したのは、一枚の紙だった。
それがただの紙で何の危険もないと判断した代表は、それを受け取って書かれている内容を確認し――ようとしたところで、あることに気付いて顔色を変えた。
「これは……!?」
そう言った代表の表情は、完全に驚きのものになっていた。
その表情の意味をきちんと理解しているのか紙を差し出してきた男は、一度頷いてから続けて言った。
「ある場所で我が主がお待ちしております。一緒に来ていただけますか?」
「……これを見て断れる者など、この国にはほとんど存在しないだろう。ただ、準備があるので、少しだけ待っていただけるか?」
「勿論です」
代表の答えを聞いた男は、そう短く答えつつ頷くのであった。
♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦
「――――あなたの言う条件でお受けいたしましょう。ほかに何か気になるところはありませんか?」
最初に物別れで終わった会談から二日後、予定通りに開かれた二回目の会談の席で、王国側の代表が開口一番にそう言ってきた。
流石にその展開を考えていなかったカイトは、少しだけ驚いた表情になって代表を見た。
だが、驚いていたのはカイトを含めたセプテン号側のメンバーだけではなく、むしろ王国側の者たちの方が驚いていた。
「……なっ!? き、貴様! 言っている意味が分かっているのか! 私に相談なく勝手にきめることなど…………!」
ヴァサル子爵がそう喚いていることからも、代表の言葉が他の面々にとって突然のことだったことが分かる。
子爵だけではなく、他に座っている三名も具体的に言葉にはしていないが、気づかわし気に代表に視線を向けている。
それらの様子を見ながら、カイトは思わず代表を見て聞いた。
「――よろしいのですか?」
「構いません。私にはそう答えられる理由がございますから」
「そうですか」
そうきっぱりと言い切った代表を見て、カイトは驚きを納めつつ頷いた。
代表の態度を見れば、最初の会談からこの会談までの間に何か状況を劇的な変えるような動きがあったことは間違いない。
その場にいた全員がそう確信したところで、またヴァサル子爵が騒ぎ出した。
「そ、そうか。公爵だな……!? また新しい土地を得たいと考えた公爵が……!」
「ヴァサル子爵。それ以上のことは、言わない方がよろしいかと存じます。今、この場の会話は、公爵以上の御方が聞いておりますから」
「なっ…………!?」
ロイス王国において『公爵以上(の身分)の御方』など、たった一人しか存在しない。
代表の言葉の意味を理解したヴァサル子爵は、軽く絶句してから顔色を青くした。
ヴァサル子爵のその変わり様を他人事のように見ていたカイトは、人はここまで急激に顔色を変えられるんだなと、暢気なことを考えているのであった。




