(36)筋違いの騒ぎ
公爵家から借りている宿へと戻る途中の馬車の中で、メルテがカイトへと質問をしてきた。
「先ほどのお話では、島で作る分について言っていなかったようですが、よろしいのですか?」
「それね。話さなかったのはわざとだから、特に問題はないよ」
「お話をされなかった理由を聞いても?」
「勿論。といっても、大した理由じゃないよ。そもそも、フォクレス島ではまだまともな製品ができていないから。商売上見込みで話をすることもあるけれど、実際はどう転ぶか分からないから」
フォクレス島では、ようやく蚕の育成が始まったところで、どの程度の品質でどのくらいの量の糸を作ってくれるのか、まだまだ未知数なところがある。
生き物を扱っている以上、絶対大丈夫という確証が取れるまでは商売の話をしないというのが、カイトの決めているルールなのである。
船での交易をしているために、現物がきちんと揃ったうえで売買を行うということにしているのだ。
カイトの説明を聞いたメルテは、納得した様子で頷いた。
「そういうことでしたか。余計なことを言ってしまいました」
「いやいや。そういうことは、どんどん聞いてくれないと逆に困るかな。一人で考え付くことなんて限界があるから。むしろ、積極的に疑問に思ったことは聞いて」
「はい。分かりました」
「一番の問題は、大陸と微妙にずれている常識があることだけれど……それはもう、その都度お互いに確認していくしかないかな」
「そうですね」
セイルポートがある大陸とフォクレス島では、所々で常識が違っているところがある。
カイトが島を歩き回ったときに気付いたこともあるし、現在メルテがセイルポートの町を見ているときに気付いたこともある。
その常識の違いで大きな問題になったことは今のところないが、何かの問題が起こる前に常識のすり合わせをしておくことは非常に重要だ。
メルテが積極的に話をしていないのは、そうした常識でのすれ違いがありそうだと分かっているからだ。
物静かなイメージがあるメルテだが、ずっと黙っているわけではない。
カイトやガイルを相手にしているときには、結構積極的に話しかけてきたりしている。
今のところその話のほとんどが、大陸側の常識についての話だったりするのだ。
むしろ、メルテが島を離れてカイトと一緒にいるのは、島の今後のことを考えてなのだから、そうした基本的なことから確認を行うのは必要なことである。
カイトやガイルもそのことを分かっているからこそ、メルテの問いにはしっかりと答えるようにしている。
「一応メルテは分かっているみたいだが、カイトが交渉しているときには余計な口を挟まない方がいいからな。特に、公爵が相手の時は」
「そうなのですか?」
「ああ。俺でも意味不明なやり取りをしていることがあるからな。下手に口を挟んで話の流れを変えてしまっては、目も当てられん」
ガイルが呆れ混じりにそう言うと、メルテは「わかりました」と頷いた。
カイトとしてはそこまで高度な交渉をしているつもりはないのだが、基本的に「売った」「買った」で即断してしまうことが多い船乗りの常識からすれば、カイトのやっていることは高度に思えるらしい。
それを理解してからは、カイトも訂正をすることも無くなっていた。
船乗りはあくまでも船を動かすのが仕事であって、商売は二の次の扱いなのである。
勿論、カイトのように船のオーナーになることを目指す場合には、ある程度の損得勘定ができないとすぐに潰れてしまうのだが。
そんなことを話しながら宿に戻ったカイトたちだったが、馬車を降りるなりすぐに海運ギルドからの使いに呼び止められた。
「――何かありましたか?」
「はい。すぐにギルドに来るようにと、ギルドマスターがお呼びです」
使者がそう答えるを聞いて、カイトは首を傾げてからガイルとメルテを見た。
ただし、カイトから見られた二人も何故ギルドから呼び出しがかかったのかは分からない。
結局、急ぎだという使者に急かされるようにして、カイトたちは再び馬車に乗り込んで、海運ギルドへと向かうのであった。
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もはや馴染みとなりつつあるギルドマスターの部屋に入ったカイトたちは、すぐに真剣な表情をしたレグロからこう切り出された。
「やれやれ。間に合ってよかったぜ」
「間に合う……? 何かあったのか?」
どう見ても安心した様子でため息をつくレグロに、ガイルが訝し気な表情になって聞いた。
カイトやメルテも言葉にはしていないが、ガイルと同じ気持ちだ。
ガイルの言葉に頷いたレグロは、こめかみに手を当てながらもう一度ため息をついた。
「……頭の痛いことだが、先の件で馬鹿なことをしようとしている奴がいるという噂が入ってきたんだ。具体的には、冒険者ギルドからだな」
「冒険者ギルド……例の商会の奴らか?」
「ああ。依頼の名目上は護衛ということになっているが、どうにも嘘くさいと向こうのギルドマスターから連絡があってな」
「なるほど。確かに頭が痛い問題だな。それは」
レグロの言いたいことをすぐに理解したガイルは、面倒なことになりそうだと首を左右に振った。
言葉や態度には出していないが、カイトもガイルと同じ気持ちだ。
要するにレグロが言ったことは、公爵の決断でヨーク領内での商売がままならなくなった商会が、冒険者を雇ってカイトたちをどうにかしようとしているということだ。
公爵の処分は既に実行段階に入っていて、カイトたちをどうこうしたところで覆るはずもないのだが、そんなことは関係ないらしい。
公爵の決定を覆すことはできないとしても、きっかけを作ったカイトをどうにか懲らしめてやりたいと考えているのかもしれない。
冒険者を雇ったという商会(か個人)の目的はいまいちわからないが、カイトたちにとってきな臭いことになっていることは間違いない。
そのことを理解した上で、メルテは首を傾げながらカイトを見て聞いた。
「質問なのですが、このタイミングでカイト様を害すると、公爵様の意に反することになるのではありませんか? フゥーシウ諸島には貴族がいないので間違っているかもしれないのですが……」
「大丈夫だよ。メルテの認識は間違ってない。ただ、どうとでも言いくるめられると思っているとかじゃないか? もしくは、町の外に出た時に、見つからないようにどうにかするつもりとか」
一歩町の外に出れば魔物が出て来るこの世界において、行方不明というのはよくある事の一つだ。
売買の実権を取り戻すのではなく、ただ単に意趣返しをしたいというだけであれば、カイトたちが町の外に出たタイミングを見計らって、人知れず目的の人物を処分してしまうなんてことも出来なくはない。
メルテの問いに答えつつこれから先どうするかを考えていたカイトは、一つの決断を下した。
「仕方ない。どうせしばらくこの町は混乱するだろうから、他の町に移動するか」
「まあ、そうなるだろうな」
カイトの言葉に答えたのはガイルだったが、レグロも同じような表情で頷いていた。
海の上に逃げてしまえば、そうそう簡単に追いかけられることはない。
それに、もし他の船を雇って追いかけてきたとしても、セプテン号に乗っている限りは襲撃される心配はほぼゼロに近い。
「出来れば諸島の品はこっちで卸してもらいたかったが、こうなってしまってはそうもいかないだろうな」
レグロが無念そうに言うのを聞いて、カイトは首を左右に振った。
「いや、そんなことはないですよ。そこで相談なのですが、どこか倉庫を空けておいてもらえないでしょうか」
「…………ああ、なるほど」
カイトの言いたいことを理解したレグロは、そう答えながら少しだけあきれ顔になっていた。
海運ギルドが所有している倉庫に、セプテン号に現在積んである荷物を下ろすことができれば、いずれ事態が落ち着いた時にそれらを卸すことができる。
通常であれば賃料がかかるのだが、迷惑料という形で無料にして欲しいという願いも含まれている。
海運ギルドとしては、倉庫の賃料よりもフゥーシウ諸島の交易品を町に流してもらったほうがメリットは大きいのだ。
ついでに、レグロの頭の中では、別口で冒険者ギルドから迷惑料を取れないかという算段も立てていたりもするのであった。
さっさと逃げます。




