(30)セイルポートの商会
ミニッツ商会での話し合いを終えて戻る馬車の中で、カイトがため息交じりに呟いた。
「――ここまでひどいと、いろんな意味で疑いたくなってくるな」
「色々というのは?」
カイトの呟きを拾ってそう聞いてきたのは、向かいに座っていたガイルだ。
「わざと挑発しておいて、後から交渉をやりやすくするとか?」
「交渉そのものを打ち切られたら意味がないだろう?」
「だから、そんな手に出てくるとは考えていなかったとか」
「仮にも大商会の支部をまとめているやつが、そんな考えなしだとは思いたくないがな。――それで、他には?」
「あまりにも考えなし過ぎて色々と思いつくけれど、これ以上話すと疲れるからやめておく」
カイトがそう答えると、ガイルも「それもそうだな」と頷いて、話を止めた。
カイトとガイルの会話から分かる通りに、ミニッツ商会での交渉は見事に失敗に終わった。
失敗というよりも、カイトたち側が交渉すること自体を諦めて、引き返してきたのである。
何しろ、最初の挨拶は勿論のこと、自分たちに売るのが当然という態度、一方的に突き付けてくる売値など、ミニッツ商会側が交渉する気などないということはすぐにわかった。
そんな傍若無人な相手と交渉を続ける気にもならず、リストを見せることなくガイルがさっさと交渉の打ち切りを決めたのだ。
駆け引きのための芝居だったとしても、あまりにも稚拙すぎて、引っかかろうという気にさえなれなかった。
ガイルが打ち切りを切り出した際に、ロットが何やら騒ぎ出していたが、既にその時には交渉する気も無くなっていたので、誰もその言葉をまともに聞くことはなかった。
余りにひどすぎるミニッツ商会――というよりもロットの態度に、つい先ほどのような愚痴がカイトから出てしまったというわけだ。
「――それにしても分からんな。俺たちにあんな態度に出て、奴らにどんなメリットがある?」
「メリットとかじゃなく、単に感情だけで動いている気がするけれどね」
今度はガイルの呟きに、カイトがそう答えた。
そして、カイトは視線を黙ったまま話を聞いていたクリステルへと向けた。
「クリステル様が話をしたときはどうでしたか?」
「――――何故、わたくしが話をしたとお思いですの?」
確かにクリステルは、以前あのロットとも話をしていた。
だが、その時カイトはフゥーシウ諸島に出向いていたはずで、その事実を知らないはずである。
不思議そうな顔になって聞いてくるクリステルに、カイトは大したことではないと言いたげに答えた。
「クリステル様は、絹の販売を任せられているのですよね? でしたら、この町で五本の指に入る商会を訪ねていないはずがないと思っただけです」
「そう。――確かに、わたくしもあの商会を訪ねましたわ。結果は……話す必要もないでしょう」
言いたくないのではなく、言わなくても予想できるだろうと言外に告げる物言いに、カイトも苦笑しながら頷いた。
ロットは、クリステルにも同じような態度で接したのだ。
クリステルが公爵の名代として訪ねたのであればあり得ないような態度なのだが、以前会ったときと同じようにただの公爵家の娘として訪ねたのであれば、軽く扱われても即処断されるということはない。
むしろ、交渉の一つと突っぱねられることも可能だろう。
勿論、相手に与える印象を一切考えなければ、だが。
そして、残念ながらそんなことを考えられる頭があるのであれば、最初からそんな態度に出るようなことはしない。
ただし、それでも限度というものはある。
「おいおい、マジかよ。あいつ、公爵令嬢にも同じような態度に出たのか。考えなしにもほどがあるだろう」
愕然とした表情でそう言ったのはガイルだったが、その隣に座っていたセプテン号の交渉担当も似たような顔になっている。
いくら公爵の名代じゃなかったとしても、クリステルが公爵令嬢であることには間違いない。
クリステルが直接公爵に話をしてもおかしくはないのだ。
そう考えれば、普通はカイトたちに取った態度と同じような態度を取れるはずがない。
ガイルたちの驚きは当然だ。
「――考えなし、ね……。本当にそうなのかしらね」
「どういうことでしょう?」
ガイルの言葉を聞いて思わずといった様子で言ったクリステルに、カイトが確認するような視線を向けた。
だが、クリステルはそれには答えず、ただ黙って首を左右に振った。
それを見たカイトは、何やら感じるものがあったのだが、敢えて口に出して聞くことはなかった。
その答えは、すぐに得ることができるだろうという予感があったのだ。
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ミニッツ商会との交渉が決裂してから数日経ったある日。
カイトは悩まし気な表情で、ガイルと頭を突き合わせていた。
「それにしても、ここまでだとは思わなかったな」
「全くだ。以前から商人どもの雲行きが怪しいという話は聞いていたが、随分と腐ったもんだな」
「どのくらい前からこんな感じになっていたんだ?」
カイトがそう問いかけたのは、二人と同じ席に座っていた交渉担当である。
この交渉担当は、以前からいろんな船で交易品の売り買いを担当してきたスペシャリストだ。
「ちょうど三年ほど前からでしょうか。お二人の予想通りに、例のあの人がミニッツ商会に入ってからですよ」
「あー、まあ、予想通りといえば予想通りだけれど……随分とまあ、馬鹿なことになっているなあ」
交渉担当の答えに、カイトはため息交じりににそう答えた。
彼らが頭を突き合わせながら渋い顔になっているのは、フゥーシウ諸島から仕入れてきた交易品が上手く売れていないことにある。
もっとはっきりいえば、ミニッツ商会での交渉が決裂に終わって以降、まともに交渉しようとする商会が出てこなかったのだ。
それが、一つや二つだけならともかく全てとなると、裏で何かがあると考えたほうが自然である。
問題は、その裏で起こっていることが、ミニッツ商会のロットが中心で動いているのかどうかということだ。
セイルポートには、ミニッツ商会以外にも国の五本の指に入る商会がある。
その商会まで一緒になって交渉を断ってきたのだから、何かが起こっているとカイトたちが疑うのは当然である。
独立して動いている交易船からの仕入れを、各商会が協定なりなんなりを結んで自由な売買の制限しているとすると、それは大きな問題となる。
だが、今のところ公爵家がそれに対して動いているという話は、噂にもなっていない。
あの公爵が商会のそのような動きを公認しているとは思えないカイトは、ここ数日行動を共にすることが多くなっているクリステルを見た。
「クリステル様、私たちと行動していてここ数日あったことは、公爵に話しているのでしょうか?」
「いいえ? 自ら見て聞いて、自分で判断しなさいと言われていますから」
「なるほど。そう言うことですか。そういうことなら言わないのは正解ですね。……と、言いたいところですが、一度お話になったほうがよろしいかと思います」
「それは……」
クリステルのここ最近の行動は、公爵から課題のようなものとして与えられている。
カイトの言葉は、それに反するような行動を取ることになる。
微妙に渋っているような表情をするクリステルに、カイトは首を左右に振った。
「別にクリステル様の個人的な考えとして話をしてほしいわけでは、ありません。私が話をしておいて欲しいと言われたと、そう伝えていただければよろしいのです」
「それならば……分かりましたわ」
カイトの言い分に納得したのか、クリステルは最後にはそう言って頷くのであった。
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