(29)クリステルの能力
カイトたちを乗せた馬車は、海運ギルドを離れてとある商会の前に止まった。
「ここが、次の目的地ですの?」
「まあ、そうなります……が、何かありましたか?」
店を確認するなり何やらしかめっ面になるクリステルを見て、カイトは首を傾げた。
「……何でもありませんわ」
どう見ても何かを言いたげなクリステルだったが、それ以上は何も言うつもりは内容だった。
それを見て、カイトとガイルが同時に顔を見合わせたが、何故クリステルが不機嫌になっているのかどちらにも理由が分からない。
クリステルが何も言わない以上は、これ以上変につついても仕方ないと店の中に入ることにした。
カイトたちが入った店は、ミニッツ商会のセイルポート支部である。
ミニッツ商会は、ロイス王国内で手広く商売を行っている大商会だ。
その知名度と実力は、確実に五本の指に入ると言われている。
そんな大商会がロイス王国の玄関口であるセイルポートに支部を置くのは当然のことで、またカイトたちが訪ねるのも当然のことといえる。
カイトたちが店内に入ると、すぐに店員の一人が近寄ってきた。
そして、カイトたちを見回して最後にガイルを見て言った。
「ご来店ありがとうございます。当店へはどのようなご用件でしょうか?」
「ああ。もう話は通しているが、商談をしに来た。俺たちは、セプテン号の者だ」
ガイルがそう言うと、店員は少し驚いたような表情になってから頷いた。
その際に、その店員が一瞬クリステルに視線を向けたことを、カイトもガイルもきちんと見抜いている。
だが、どちらもそのことには気づいていないようにふるまっている。
そんなカイトとガイルの様子には気づかないまま、店員は深々と頭を下げながら言った。
「お話は聞いております。ご案内しますので、奥までよろしいでしょうか?」
「ああ、勿論だ」
カイトたちは店にある商品を買いに来たわけではなく、交易品を売りに来たのだ。
そのため、店の奥で商談をするのは当然だと言える。
そして、カイトたちは店員の案内に従って、言葉通りに店の奥に用意された会談用の部屋に通されたのである。
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カイトたちが会談用の部屋に通されてから二十分が経った。
「――――来ないわね」
「そうですねえ。来ませんねえ……あー、お茶が美味しい」
少しだけいらだった様子になっているクリスタルに、カイトはいつも通りの様子で相槌を返しつつ出されたお茶に口をつけた。
流石にトップクラスの商会だけあって、出されているお茶も高級品が使われているようだった。
その味にカイトが満足そうにうなずいていると、クリステルが眉を吊り上げながら聞いてきた。
「あなたは……これだけ待たされているのに、いらだったりはしていないの!?」
「そう言われましても、そもそも貴族の皆様でもない限りは、これくらい待たされるのは日常茶飯事……とまでは言いませんが、ごく普通にあることですよ?」
カイトたちがこの場に来ると予約をしたのは、公爵との取引が完全にまとまってからのことである。
むしろ、当日のうちに準備を終えて、こうして迎え入れているだけでも、さすがに大商会だと褒めてもいいところだろう。
もっとも、これが小さな商会だとすれば、そもそも予約をしなくてもすぐに商談に入れることもあるだろうが。
「そうですの?」
「ええ。どちらかといえば、無理を言っているのはこちら側ですからね。これだけ大きな商会になれば、当日のうちに予定が取れただけでも万々歳です」
「……そんなものですか」
「ミニッツ商会は、私たちがどこに行っていたのか、きちんと情報を把握しているからこそ、これだけ早く対応してくれているのでしょう。そうでなければ、普通は門前払いもあり得ます」
「……厳しいのですわね」
貴族という立場が無ければ、商会と交渉することすらままならないということを知ったクリステルは、神妙な表情で頷いていた。
ここでカイトが、そんなことも分からなかったのかと、クリステルのことを責めるつもりは全くない。
むしろ、自分と同じ年齢でそれだけのことを理解しているのは、クリステルの能力の高さをうかがわせる。
ガイルや一緒について来ている交渉担当も、そのことが分かっているので感心さえしているようだった。
そんな中で、メルテだけはよく事情が分からないと言いたげだったが、それは大陸の事情、特に身分制度が分かっていないからこそである。
公爵家という大貴族の中で育っている子供が、それぞれの立場を理解した上で物事を考えられるというのは、稀有な才能といっても言い過ぎではない。
いずれにしても、この程度待たされたくらいで、カイトたちが怒り出すようなことはない。
流石に何時間も待たされるようであれば話は別だが。
その場合は、予約を取った時点で、断りかこれくらいの時間に来てくれという連絡が来ているはずだ。
それが無いということは、待っても一時間以内には来るだろうとカイトたちは見込んでいる。
そのくらいの時間は、商人たちの間でも許容範囲内というのがこの辺りでの一般常識となっている。
クリステルの能力の高さを改めて認識してからさらに十分後、部屋に入ってからトータルで三十分ほど待ったところで、待ち人がやってきた。
「やあ! 君たちが、いま噂のセプテン号の面々か? 私がここの支店の支店長であるロット・ミニッツだ。よろしく頼む!」
そう言いながら親しそう――を通り越して馴れ馴れしく言いながら、ガイルに手を差し出してきたのは、二十台後半くらいの優男だった。
ロットの態度に内心で眉をひそめつつも握手を交わしたガイルは、勧められるままに先ほどまで座っていたソファに腰かけた。
ちなみにロットは、ガイル以外の者たちは完全に視界に入っていないかのように話をしている。
クリステルがいることも気付いているだろうが、例によって貴族家とは関係ないという立場で来ていることは分かっているのだ。
つまり、この時点でロットは、ガイル以外の誰とも話をするつもりはないと宣言しているも同然なのだ。
場合によっては非常に無礼な振る舞いになりかねないロットの態度だが、それについてカイトが何かを言うことはなく、ニコニコと笑顔を浮かべたままだ。
それに気付いているからこそ、ガイルは勿論、交渉担当の部下もロットの態度について特に何も言うことなく、おとなしく席に着いていた。
そんな一同の雰囲気に気付いているのかいないのか、ロットはにこやかな笑みを浮かべたままガイルに言った。
「さて。それで、リストは見せてもらえるのかい?」
「リスト……? 一体、なんのことだ?」
「おいおい。こんなところでとぼけても無駄だよ。君たちが珍しい場所に入って、さらに戻ってきたことは知っているんだ。ここへ来たということは、品物を売りに来たのだろう?」
ロットはそう言いながら、隠していないでさっさと出せばいいと副音声でも付きそうな笑顔になっていた。
そのロットの態度を見ながら、ガイルは内心で不合格の判を押していた。
最初の態度もそうだが、そもそも自分たちと取引をするのが当然だという物言いが駄目である。
そう判断をしたガイルは、ちらりと隣に座っていたカイトを見た。
そして、そのカイトがしっかりと頷くのを確認したガイルは、想定していた会話の中で一番選びたくなかった選択肢を選ぶことになるのであった。




