(26)クリステルの問題
――――珍しく、非常に珍しく困ったような表情を浮かべて目の前に座っている公爵に、カイトは素直に疑問をぶつけることにした。
「つまり、クリステル様の手助けをしてほしい、と?」
「うむ。そなたに頼むのは筋違いだと分かっているが、それが一番なのでな」
「お父様! そのようなこと、必要ありませんわ!」
今にも頭を下げそうな公爵を止めるように、隣に座っているクリステルが勢いよくそう言ってきた。
その際に、ぴょんと二つの小さなドリルが跳ねるように動くのは、恐ろしいことに(?)カイトも見慣れた光景となっている。
コンを得る前は、こんなに公爵家の面々と顔見知りになるとは思っていなかったカイトが人生の奥深さを感慨深く感じていると、公爵が親の顔になって言った。
「そうは言うがな、クリス。既に何度も言って断れているのだろう? お前も、時に人の手を借りることを覚えるも必要であろう」
「で、ですが……!」
いつもは借りてきた猫のように父親の言うことをよく聞くクリステルだったが、この時ばかりは何故か反発を続けている。
ついでに、恨みさえ籠ったような視線を自分に向けてきたことに気付いたカイトは、困ったような視線を公爵へと向けた。
いくら何度も直接のやり取りをしているとはいえ、公爵もクリステルも貴族の一員であることには違いない。
出来れば貴族からこのような視線を向けられるのは勘弁してほしいと、カイトが感じるのは当然である。
そのカイトの想いが通じたのか、公爵は隠そうともせずにため息をついてからカイトに言った。
「すまないな、カイト。こればかりは、私の親バカと分かって引き受けてくれないか」
「親バカ……って、そういうことですか」
公爵の言いたいことが理解できたカイトは、生暖かい視線を公爵に向けた。
場合によっては無礼だと切り捨てられてもおかしくない行為だが、今ばかりは大丈夫だろうと分かっての対応である。
公爵がカイトに頼んできたこととは、まさしく午前中にクリステルと会ったことと関係している。
クリステルはあの時、絹の売り先としてあの店を訪ねていたのだ。
しかも、公爵の代理としてではなく、公爵家の一員として、である。
考え方によっては全く同じようにとらえられてもおかしくはない両者だが、公爵と直接取引を行うことができる大店となって来るとまた話は変わって来る。
当たり前だが、クリステルはあくまでも公爵の娘であって、ましてや公爵家を将来継ぐことになるわけでもない。
あるとすれば、いい所の貴族に嫁ぐ可能性だが、そうなると現在の公爵家とから出て行くことになる。
そんな少女に、いきなり商売の話を持ち掛けられても、まっとうな商人であれば断るのが当然と言えるだろう。
だが、敢えて公爵は、公爵の娘という立場のままで、クリステルに絹の取引を成立させるように言ったのだ。
これにはいくつか理由があるが、一番大きいのは、適当な嫁ぎ先が見つからない場合を想定してのことだ。
公爵家の生まれである以上は可能性が低いとはいえ、まったくないわけではない。
そうした娘の微妙な立場を理解した上で、公爵はクリステルに絹の交渉役を任せたのである。
その結果は、公爵が先ほど言ったとおりに、全てが惨敗だった。
午前中にカイトが見つけた時もそうであったが、クリステルのような子供を相手にまともな商売をしようと考える者はいない。
いたとしてもまともな商人や商会ではなく、何やら怪しい相手ということになる。
勿論、そんな相手に商売をすることを公爵家が許すはずもなく、初めからそういう相手は省かれているのだが。
クリステルは何度も大きな商会を渡り歩いて交渉に出向いていたが、一度もいい結果を得ることができずに、今に至るというわけだ。
そして、困っている娘を見て最終的に公爵が出した結論が、カイトに仲介を頼むということであった。
何故そこでカイトに頼ることにしたのかカイトには分からないが、とにかくこうしてご指名を受けたというのは事実である。
問題は、そのことを当事者が受け入れていないということだが。
公爵の言い分を理解したカイトだったが、困ったような視線をクリステルへと向けた。
その意味をきちんと理解した公爵は、クリステルを見て言った。
「クリステル、とにかく一度カイトの交渉の仕方を見てきなさい。それができなければ、もうお前は絹と関わらせるわけにはいかない」
その言葉の意味がどういうことかカイトには分からなかったが、ギョッとしたようなクリステルの表情を見れば、それが重い意味を持つことはわかった。
父親の言葉を聞いて、口元をギュッと引き締めたクリステルは、やがて絞り出すような声で言った。
「……わかりましたわ」
「そうか。それはよかった。では、早速準備をしてくるといい」
「準備……?」
「カイトは、このあと交易品の交渉に向かうと聞いている。それに着いて行けば時間の無駄にならないだろう?」
「……分かったわ」
そう返事をしたクリステルは、何故か席を立って部屋から出て行った。
それを不思議そうな表情で見ていたカイトに、公爵が説明をしてきた。
「これからカイトと一緒に行動するのに、今の服装で動き回るわけにはいかないだろう? 商会の者にはクリステルだとばれるだろうが、あくまでもカイトの付き添いでしかないしね」
「そういうことですか。しかし、いいのですか?」
クリステルが一緒に行動すると、公爵家がカイトの後ろ盾になったと宣伝するのと変わりなくなってしまう。
いかにカイトやクリステルが関係ないと言っても、周りがそう勝手に誤解してしまうはずだ。
そうなることは当然公爵も理解しているのだが、公爵は構わないとあっさり頷いた。
「むしろ、いろんな権力から距離を置こうとしている君に迷惑を掛けることになるのが、心苦しいくらいだよ」
「いえ、そのことを公爵がきちんと考えてくださっているようなので、特に心配していないです」
カイトが権力者と距離を置こうとしているのは、あくまでも当事者同士のやりとりで力を使われることだ。
周りがどんな誤解をしようが、そこは気にしても仕方ないと考えている。
というよりも、公爵のような立場のある者とある程度の繋がりを持つだけで周りは勝手に騒ぎ立てるのだから、どうすることもできないというのが本音だ。
市井に流れる噂そのものを操れるような大組織になっているのなら別だが、今はそんなことが出来るはずもない。
カイトの言いたいことをきちんと理解した公爵は、安堵したような表情で頷いた。
「そうか。それはよかったよ」
「それにしても、私が言うのもなんですが、貴族というのはクリステル様ほどの年齢から動かないといけないのですか?」
そもそもの問題は、公爵がクリステルに実績を付けようとしていることにある。
「いや、そんなわけはない。ただ、クリステルの場合は立場が微妙でね」
クリステルは公爵の正妻の子ではあるが、五番目の子であり他の奥方の子供たちを含めるとさらに危うい立場になる。
学園なりに通ってそれなりの相手を見つけられればいいが、そうならない可能性もある。
だからこそ、公爵はクリステルに自らの力で実績を付けさせて、出来るだけいい嫁ぎ先を見つけてやりたいと公爵は考えている。
「父親としては、自分よりも年上だったり、変な噂が付きまとっている男に嫁がせたくないという思いもあってね……」
「……貴族は貴族で大変ですね」
珍しく弱弱しい意見を口にする公爵に、カイトとしては同情交じりにそう返すことしかできないのであった。




