(19)同行者と観察者
本来であれば笛の改良を行ったその日の内にフォクレス島を出る予定だったのだが、ガイルがストップをかけてきた。
ガイルの魂使いとしての能力が働いて、その日は天気が良くないという結果が出たのである。
その予報(予想?)は見事に当たり、嵐とまではいかないまでも結構強い雨風が吹くことになり、カイトはホッと胸を撫で下ろすことになった。
セプテン号であれば多少の嵐でも乗り越えるくらいの性能はあるのだが、どんなに小さくでも危険は避けるに越したことはない。
それに、この世界の船乗りたちは悪天候で出航が数日遅れることなど当たり前という世界で生きているので、それによる文句など出なかった。
むしろ、悪天候を回避したことで感謝されたくらいだった。
そして、天候が回復した日の朝にフォクレス島を離れること早二日。
セプテン号は周囲には何もない海原の中を進んでいた。
「穏やかな天候はやっぱりのんびりできるなあ」
「本当ですね」
――――メルテを乗せて。
ガイルが悪天候の予想を出す数時間前に、カイトはシモナからメルテを一緒に連れて行くようにと頼まれた。
当初は断っていたカイトだったが、シモナの押せば引くような会話術に押し切られて、いつの間にか了承させられていた。
それでも天候が回復する間に何とか押しとどめようと本人とも話をしたのだが、それもほとんど効果はなく。
最終的には、フアの「いいのではないかの」という言葉で決断することになった。
メルテが嫌がるようであればそれを盾に断ることもできたのだが、むしろ進んで乗りたがっていたのでカイトにはどうしようもできなかった。
メルテを連れて行くことに関して最後の最後まで悩んでいたカイトだったが、今ではきちんと受け入れている。
ちなみに、メルテは手足を除けば人獣らしく二足歩行している狐という姿形なので、性的な意味で心配する必要はない。
「それにしても、船酔いは収まったみたいでよかった」
セプテン号に乗ることになったメルテは、外洋に出て揺れが変わったときから船酔い気味になっていた。
ただ、その症状はさほど重くなく、一晩寝てしまえば体が慣れてしまっていた。
カイトの言葉を聞いて嬉しそうに目を細めたメルテは、小さく頭を下げた。
「はい。ご心配をおかけして申し訳ありません。もう大丈夫だと思います」
「それならよかった。また何かあったら……周りの誰かに言えば何とかしてくれるか」
少し呆れた口調で言ったカイトに、メルテはクスリと笑った。
セプテン号に乗ってから二日目にして、メルテはすっかり乗組員たちにマスコット的な感じで親しまれている。
さすがに直接体に触れるようなセクハラ的なスキンシップを取る者はいないのだが、すれ違えばにこやかに話しかけられるくらいには仲が良くなっているのだ。
彼女の性格的なことが要因の一つなのは間違いないだろうが、それでもどうしてそんなことになったのか分からないカイトとしては首をひねるしかない。
いずれにしても、人獣であるメルテが受け入れられているということは、これから先のことを考えてもプラスになるのは間違いない。
人獣が珍しい大陸の町に降りた時にどのような扱いを受けるか分からない以上、油断はできないのだが。
少なくとも船の上にいる限りは大事には至らないと分かったことで、カイトとしても一つ肩の荷が下りた様子で対応できている。
「私としては、何もせずに皆様が働いているところを見るのは、心苦しいのですが」
メルテは、船乗りとしてセプテン号に乗っているわけではないので、するべき作業も全くない。
そもそも現在のセプテン号は、ほとんどが自動航行で動いていて、船乗りたちも航海術の習得に時間を割いている。
「そんなことは気にする必要がない……と言いたいところだけれど、身に付いた習慣を直すのは難しいか。この場合、無理に直す必要はないし」
カイトとしては無いのだが、海人の記憶の中で暇を持て余しまくっていた経験があるだけに、メルテの言いたいこともよくわかる。
メルテの性格上、周りが忙しく動いている中で自分一人だけ船内をぶらぶらしているのは、気持ち的には落ち着かないだろう。
「はい。ですので、何か私にも出来ることがあれば……」
前日は船酔いもあってほとんどを与えられた船室で過ごしていたようだが、既に落ち着かない気持ちになっているようだ。
そう判断したカイトは、メルテが船内でできそうなことを考え始めた。
「うーん……そうだなあ……。あ、そっか。メルテ、料理は?」
「料理ですか、巫女の修行の一環でもありますから、人並みにはできます」
「それじゃあ、今度から混ざってみたらどうかな? あいつらには言っておくから」
「それはよさそうですね」
カイトの言葉に、メルテは嬉しそうに頷いた。
現在のセプテン号では、特定の料理人は存在しておらず、船乗りたちが持ち回りで食事の用意をしている。
ただし、その料理はまさしく男の料理といった感じなので、メルテが加わることでまた様子が変わって来ると期待しての言葉だった。
この時のカイトは、メルテが言った『人並み』と言った言葉をごく普通に受け取っていた。
そのメルテが作った料理を始めて口にしたカイトを含めた船乗りたちは、感動の言葉を次々に口にすることになる。
そして、その時をもってセプテン号の料理番メルテと決定したのであった。
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メルテが乗組員たちに衝撃を与えることになるとカイトが知る少し前のこと。
メルテとの会話を切り上げたカイトは、蚕たちの様子を見るために神域を訪ねた。
そして、カイトが養蚕小屋の転移部屋に出現するなり、いきなりクーアがドアを開けて入ってきた。
「よく来てくれました、カイトさん!」
「うわっ!? びっくりした」
自分が来るのを待ち構えていたかのようなタイミングの良さに、カイトは驚きの声を上げた。
天使としても位の高いクーアは、カイトが転移してくるのを察して時折こうした悪戯を仕掛けてくるのだ。
ただし、今回の場合は悪戯ではなく、本当にカイトに用事があって来ていた。
「カイトさん、この子を見てください!」
「……ん? ただのカイコガ……じゃないな。進化種か」
クーアが差し出してきた手の上に乗っているカイコガを見て、カイトは頷いた。
「そうなんですよー! これで、進化種が生まれる可能性がデキスとシニスだけじゃないことが証明できそうです」
「そうはいっても、まだ三体目だよな。結論付けるのは早くない?
通常のカイコガではない種は、これまでのところデキスとシニスの二体だけだった。
クーアが差し出してきた子を含めて、三体目ということになる。
とはいえ、ただの偶然なのか、それとも環境などの条件が整ったときに生まれてくるのかは分からない。
そのことを考えてのカイトの言葉に、クーアは首を左右に振った。
「そんなことはないのです! 今回は、ばっちりと誕生する瞬間を確認しましたから!」
「え? マジで!? それはすごくない?」
「頑張ったのです」
エヘンと胸を張ってそう言ってきたクーアに、カイトは本気で驚いていた。
生まれるかどうか分からない進化種の誕生する瞬間を見ていたというのは、たくさんある繭からカイコガが孵化するところを見守っていなくてはならない。
それだけでも、かなり根気のいる作業になる。
だが、クーアの次の言葉で、カイトの尊敬の念は下降することになる。
「まあ、そうはいっても、ちょっと魔法を使ってズルをしたのですが」
「ああ、なるほど」
天使であるクーアが本気で魔法を使えば、カイトの思いもつかない方法で観察することができるはずだ。
ただ、それでもカイコガの進化種が誕生する条件をある程度探れたというのは、今後の育成方針にも大きく影響することになる。
そう考えたカイトは、詳しく話を聞くために別の部屋に移動するのであった。




