(16)交易品(前)
シモナは、島での絹の生産にあたっては、とりあえずフォクレス島にいる巫女たちで行うことに決めたようだった。
現在の巫女たちだけでは手が足りなくなることも考えられるのだが、そもそもフォクレス島の巫女になりたがる者たちはたくさんいるので、多少手を増やしたところで問題はないそうだ。
そして、フォクレス島での生産が上手くいくようであれば、徐々に他の島での生産を増やしていくことになった。
「――それは良いのですが、育成方法は使徒様が教えて下さるのでしょうか?」
扱うのは生き物なので、独自の方法で育成ができるほど甘いわけではない。
一度に全滅してしまう可能性は少ないだろうが、ある程度の品質の糸が取れるかはやはり指導が必要になる。
シモナの問いに、カイトは首を振って否定した。
「蚕は短い期間で育成できますが、それでも一サイクルひと月以上はかかります。それは流石に無理ですので、別のところで取った方法が使われると思います。――だよね?」
カイトは、返答を期待してフアを見たが、当の本人(狐?)は首を上下に振るだけだった。
先ほどの地下での会話が頭の中にあって思わず口頭での返事を期待したカイトだったが、地上ではできないのだとそれで思い至った。
ただし、フアの動作だけで言いたいことは伝わってきたので、そのまま伝えることにした。
「――どうやら問題ないようなので、フアから天使が一人こちらに送られることになると思います」
「それは……フア様の天使様ということでしょうか?」
「そうなりますね」
カイトが素直にそう答えると、巫女三人組はその場で固まった。
フアへの態度から三人がこうなることは予想できていたので、カイトは何でもない風を装って話を続ける。
「指導してくださる天使は、長くても半年くらいになると思います。その間、大体四サイクルくらいの間に覚えてもらうことになります」
カイトが伝えたいことを最後まで言い切ると、ここでようやくシモナが体の硬直が解けた様子で視線を動かした。
「天使様……が、いらっしゃる……のですか」
「はい。他に教えられる者がいないので、こればかりは仕方ありません。それだけフアが……大地神様が絹を広めたがっていると、ご理解ください」
カイトがそう告げると、シモナ、メルテ、デボラはスッと背筋を伸ばした。
天使が直接指導を行いに来るということで、改めて大地神肝いりの生産品になるということが理解できたのだ。
先ほどからフアの存在感を感じまくっている三人だが、決断した以上は慣れてもらうしかない。
「何が何でも、すぐに高品質の物を作ってもらう必要はありません。相手は生き物なので、安定して育てられるようになるにも時間がかかるはずですから」
「そうは言っても……」
そう言いながらチラリとフアに視線を向けたシモナに、カイトは小さく首を振った。
「フアもまずは養蚕がこの世界に根付くことを目標にしています。言ってしまえば、品質は今の段階では二の次です。勿論、その中で高品質のものが作れるようになればいいですが、きちんと積み重ねて行ければ、それもいずれは解決するはずです」
きちんと生育条件を整えさえすれば、蚕たちはきちんと応えてくれる。
そのことを記憶として知っているカイトは、敢えて断言するように言った。
繰り返しになるが、そもそもフアもカイトも、神域で作れたような品質の絹が各地でいきなり作られるとは考えていないのだ。
養蚕を教えることになる天使については、今回は特に契約を行うことなく派遣することになった。
これは、ヨーク公爵の信用が低いからというわけではなく、巫女たちのフアに対する敬意が高すぎるという理由からだ。
そのかわりフゥーシウ諸島で天使が直接養蚕を指導するのは、フォクレス島の神宮のみ――巫女たちだけである。
それ以外の諸島内に広める場合は、巫女たちが各島に教えに行くことになる。
これにはシモナを始めとした巫女たちも、きちんと納得をして同意するのであった。
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養蚕に関する話を終えたカイトたちは、一晩本宮に泊まることになった。
話を終えた時には既に日が沈み始めていたということもあるが、まだ決めるべきことがあったからである。
絹の生産が上手くいった場合には、フゥーシウ諸島の外から輸入してくるものを決めなくてはならない。
それに、絹だけを積んで帰るわけにもいかないので、それ以外の交易品になるような物がないかを探すことにしたのだ。
そのためにも、話を聞くだけではなく、まずは島内を散策することになったのだ。
セプテン号の船員たちには、ガイルの鷹を使って連絡を済ませている。
乗組員の中で、上陸したい者だけが船から降りて島内のある集落で過ごしているはずだ。
最低でも丸一日は島内を見て回ることを決めたので、カイトとガイル以外の乗組員にとってはちょっとした休みということになる。
ただ、島内で過ごすにしても略奪的なことができるわけでもなく、さらに乗組員たちが普段使っている金貨などもフゥーシウ諸島では流通しているわけではないので、基本的には物々交換になる。
それらのやり取りからも、今後の交易の参考にすることができるのではないかと目論んでいる。
そしてカイトとガイルは、この日はメルテたちと島内を散策していた。
流石にもうカイトとガイルのことを警戒していないのだが、一応本宮に来た時と同じようにガザルクとダンがついて来ている。
「――この島に、お社以外に何があるっていうんだ、一体」
「ガザルク、いいすぎ!」
何やら文句を言いながら後ろからついて来ているガザルクに、デボラが腰に手を当てながら怒っている。
ただし、その怒り方もどこか優しさが混じっているのを感じるのは、カイトの気のせいではないだろう。
そう。出会って二日目にして、既にカイトとガイルは二人の関係に気付いていた。
ついでに、二人に気付かれないところでメルテに確認を取っているので、すでにカイトとガイルにも周知の事実となっている。
そんなデボラとガザルクのやり取りは適当に流しつつ、カイトは本宮にほど近い位置にある集落の中をのんびりと歩いていた。
「そういえば、昨日気になっていたんだけど、飲んだお酒はどうだった?」
カイトがそう聞くと、ガイルがニヤリと笑って答えた。
「おう。あの酒か。勿論好みにもよるだろうが、俺は好きだぜ」
「ということは……」
「間違いなく売り物になるだろうな」
カイトの期待するような視線に、ガイルははっきりと頷いた。
「それにしても、俺は初めて口にする味だったんだが、あれは何から作った酒なんだ?」
ガイルがそう聞いたのは、メルテだ。
お酒のことなのでガザルクに聞いてもいいのだが、昨日の夜食の席にはいなかった。
「こちらのお酒はお米から出来ているのですが、大陸では違うのですね」
「なんだ。米から酒が造れるのか?」
メルテの説明に、ガイルが若干驚いていた。
カイトが知る限りでは、米から作られたいわゆる『日本酒』のようなお酒はこちらの世界では見かけなかった。
お米自体はあるのだが、お酒に加工する技術がないのと何よりも他のお酒が結構あるので、複雑な手順を踏まなければならない米のお酒は造られていないようだった。
その米のお酒がフォクレス島にあるというのは、カイトにとっても朗報だった。
前世の記憶で海人が好んで飲んでいたので、その味にはカイトも興味があったのである。
手間のかかる米のお酒が造られている理由の犯人だと思われる相手を見ながら、カイトはまず蔵元を訪ねることに決めるのであった。
皆様、多面体の名前、色々考えていただきありがとうございます。
まだ決定はしていませんが、ゆっくりと考えようと思います。




