(15)絹の取引
「――――つまりは、我々がその蚕とやらを育てて、そこから絹という布を作ってほしいと?」
漫画であれば『?』マークを頭上に浮かべた状態だった巫女たちにカイトがフアの目的について話をすると、最終的にシモナがそう確認をしてきた。
「そうなります。ただ、勘違いしてほしくないのですが、フアがお膳立てをしたからと言って、必ずしも絶対にやってほしいというわけではありません」
「さようでございますか」
カイトの言葉に、シモナは少し拍子抜けした調子で頷いた。
先ほどの様子からもわかる通り、巫女たちはフアに対して敬服どころか絶対の命令者と捉えている節がある。
そのフアの望みだといえば、間違いなく無理をしてでも絹の生産を始めるだろう。
そんなことをしてほしくないカイトとしては、生産を始める前にそのことを言っておきたかった。
神からの要求だからといって、無理を続けても長くは続かない。
カイトもフアも、絹の生産をこの地に根付かせたいのであって、その場限りの取引をしたいわけではないのだ。
「ただ、問題が一つありまして……」
カイトがそう言うと、シモナは首を傾げた。
「なんでしょう?」
「いくらフアからのお願いだからと言って、搾取するつもりはありません。その場合、何と取引をすればいいのかが分からないのですよ」
「なるほど。確かにそれはきちんと話さないといけないでしょうね」
カイトの言葉に、シモナが頷き返した。
カイトはフゥーシウ諸島でどんなものが必要とされているのか、今のところ何もわかっていない。
ここに来るまでにメルテたちと何気ない会話をしていたのは、そのための情報を収集する目的もあったのだ。
住む地域が変われば、当然物の価値も変わって来る。
これまで人の流れも物の流れも完全に鎖国状態だったので、簡単にぼったくることはできる。
だが、そんなことをしなくても儲けることができると分かっているのに、わざわざそんなことをするつもりはない。
取引の材料を探しているという意図をきちんと理解したのか、シモナは少しだけメルテに視線を向けてからカイトに戻した。
「では、これからその商品を探すということでよろしいですか?」
「出来れば――ということよりも先に、まず絹の生産をやっていただけるかどうかの答えを頂戴しておりません」
「ああ、これは失礼いたしました。勿論、お受けいたします」
「よろしいのですか?」
予想以上にあっさりと答えが返ってきたので、カイトは目を丸くしながらそう聞き返す。
「ええ。使徒様の……というよりも、大地神様からの神託ですからね。我々に無理なことは押し付けたりはされないでしょう」
『無論じゃ』
「でも、神というのは時折無茶な試練を課すことはあるそうですよ?」
『ほう。それをお望みなら、いつでも課してやっても構わぬのだがの?』
言葉の内容とは裏腹に、どこまでも優し気に響くその声色に、シモナたち巫女組はカイトとフアの間にある確かな信頼関係を感じていた。
そんな巫女組の様子には気づかずに、カイトはフアとの会話を続けていた。
「今回も結構無茶な条件だったと思うんだけれど?」
『そう言う割には、随分とあっさりとたどり着いたと思うがの?』
「いやいや、結構日数とかもかかっているから」
神の時間感覚で言われては困ると言いたげなカイトに、フアはわざとらしく犬のように後ろ脚で耳を掻き始めた。
「……って、今はそんなことはどうでもいいか。とりあえず、具体的な話をしようと思いますが、ここで話を続けますか?」
『少し待て。まだこれの使い方を説明しておらぬ』
フアは、前足で多面体を指しながらそう言ってきた。
「そうなんだけれど、そもそもまだ具体的にどうするか決めてないのに、説明できるのか?」
『心配するな。そんなに難しい話ではないからの』
カイトの問いにそう答えたフアは、改めて新しく変わった多面体の使い方の説明を始めた。
勿論その相手は巫女たちになるわけで、神から直接教わることになった三人は、終始緊張した様子で話を聞くのであった。
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フアの話を聞き終えて地上へ戻ったカイトたちは、しっかりと腰を落ち着けて話を始めた。
「まずは取引の話……の前に、蚕の育成の話からでしょうか」
「かいこ?」
「ああ、すみません。絹という布を作るのには、蚕が作る繭が必要になるのです」
「なるほど。そういうことですか」
「それから、蚕はカイコガの幼体なのですが……実物を見たほうが早いですね」
シモナと話をしていたカイトは、一度話を切ってからデキスとシニスを召喚した。
「この子たちの幼体を育ててもらいます。……ですが、人によっては無理という方もいらっしゃいますが……皆様は問題なさそうですね」
いくら人に益をもたらしてくれるといっても、カイコガは蛾の一種である。
気持ち悪いと言う者も珍しくない――というよりも、拒絶反応を示されることもよくあることだ。
だが、巫女三人組は、デキスとシニスを見ても特にそのような反応を出すことはなかった。
「ヒューマン種の皆様がどのような反応をされるのかは気になりますが、我々は恐らく問題ないかと」
そう言いながらメルテとデボラを確認したシモナは、さらに続けて言った。
「それに、蚕は言わば大地神様が遣わした神獣になります。その時点で粗雑に扱う者はいないかと思われます」
「神獣……いや、確かにそうなるのか」
カイトは、思わずフアを見ながらそう呟いた。
そもそも海人の記憶でも蚕は似たような扱いをされていた所もあるので、あながち間違っているわけではない。
そんなことを考えたカイトは、慌てて付け加えた。
「一応言っておきますが、普通の絹を作るための蚕は、この子たちとはまた別の種類になります」
「と、仰いますと?」
シモナがそう聞き返してきたので、カイトはごく普通の蚕に関する説明をした。
蚕は、人の手で育てないと生きていけないであろうということも含めている。
そんな生き物がいるのかと驚いていた巫女たちに、カイトは少しばかり笑いながら言った。
「――まあ、だからこそ、フアの神獣ということになるのでしょうね」
カイトは、先ほどのシモナの言葉を敢えてここで本人に向かって繰り返した。
「確かに、そうなのでしょうね」
感動すらしているように見えるシモナに、カイトはさらに具体的な話をすることにした。
「とにかく、人の手がかかるということだけは間違いありません。基本的には高級品という扱いにあると思いますが、その辺りは大丈夫でしょうか?」
「さて。その辺は何とも……。私たち人獣にも欲はあるので、独占しようという者が絶対に出ないと断言はできないでしょう。ただ、主神様の願いということを知って、そんなことをする者が出て来るかは未知数ですが」
「いえ。人獣たちが絹をどのように扱うかは、それこそこちらで押し付けるつもりはないですよ」
「おや。てっきり外に出すようにと仰るのかと思っていましたが」
「そんなことは言いませんよ。ただ、宝石並みとまではいかないまでも、それくらいの価格で買い取るとなれば、普通にこちらで流通させるよりもいいと考えるものは多いでしょうね」
「それほどのものですか」
カイトの言葉を聞いたシモナは、ため息交じりにそう答えた。
ここでようやく絹の実物を見せていなかったと思い至ったカイトは、取り出して見せた。
そして、実際に絹に触れたシモナは、これならば高値で取引されるだろうと納得するのであった。




