(7)主神の言葉
その時メルテは、いつものように朝のお勤めを終えて仲間の巫女と一緒に、本宮へと向かっていた。
巫女であるメルテが暮らしている神宮にはいくつかの建物があり、本宮には大地神が祀られている。
この辺りに住んでいる人獣たちは大地神を信仰していて、神宮が存在しているフォクレス島は周辺の島々から特別な扱いを受けている。
フォクレス島を含む周辺にある百を超える島々は、大地神が造ったとされている聖なる結界に守られている。
それにより外部からの侵入はなく、島々で暮らしている人獣たちにとっては安住の地となっているのだ。
その昔、その姿形から人獣たちは迫害の対象になったり、白い目で見られたりするような過去があった。
そうした過去を島々に住む人獣たちはきちんと話として受け継いでおり、外部の人族に対してあまりいいイメージを持っていない。
だからこそ、聖なる結界に守られている状態は、島で暮らす人獣たちにとってはありがたいことなのだ。
諸島全体がそんな感じなので、中心にあるフォクレス島にある神宮で暮らす巫女たちは、特別な地位にいるとみなされる。
そもそも神宮で暮らせる巫女たちは、各島にある神社にいる巫女から才能がある者が集められて修行を行っている。
メルテは勿論、今一緒に歩いている同僚も、同じように別の島から渡ってきた巫女の一人である。
神宮の巫女に選ばれた者たちは、島々で暮らす人々の特別な思いを受け止めながら、自らの研鑽を積んでいるのだ。
同僚の巫女と談笑しながら次のお勤めのために移動していたメルテだったが、ふと何かに呼び掛けられた気がして、その歩みを止めた。
「メルテ? どうかした?」
突然メルテが止まったので、同僚が不思議そうな顔をして振り返ってきた。
だが、その時のメルテの顔を見たその同僚は、すぐに事態を理解して黙ったまま時が過ぎるのを待った。
巫女として修行をしている彼女たちは、時折こうして人ではない何かに呼び掛けられることがある。
それ自体は神託だったり自然(精霊)の声だったりと様々だが、内容も千差万別である。
巫女として修行している者たちが、人々から尊敬の念を集めるのは、こうした特殊な能力があるからでもある。
巫女の誰かが何かの『声』を聞いているときは、他の巫女たちは邪魔をせずにその場で待つことが決まりとなっている。
そのため、同僚はメルテが声を聞き終えるまで、その場でしばらく待つことになった。
やがて、メルテがいつもの表情を取り戻したことを理解した同僚は、そっと伺うように聞いてきた。
「――大丈夫? だいぶ格が高い存在から話しかけられたみたいだけれど……?」
僅かにこわばっているメルテの様子を見て、その同僚は心配そうになっている。
ちなみに、メルテは狐顔の人獣なので表情では分からないが、人獣同士なので雰囲気(や尻尾の様子)で察することができている。
一度大きく深呼吸をしたメルテは、決意するような表情になって言った。
「至急、巫女頭にお話ししなければならないことができました」
「そう。私も行った方がいいのね?」
「ええ。お願いするわ」
今回のように他の巫女が傍にいて『声』を聞いていたことが分かっていれば、それは嘘や自演ではないことの証明になる。
別の巫女が『声』を聞いていることが分かるようになるのも、巫女としての訓練の一つなのだ。
そうした事情から、いつ『声』を聞くかわからない巫女たちは、大抵複数で行動するのが常となっている。
そのため、メルテが『声』を聞いていたことはその同僚もすぐに分かったので、同行することを申し出たのだ。
今回の『声』を届けてきた相手は、神宮全体にとっても無視できる存在ではない。
だからこそ、メルテは非常に驚いていたし、何よりも早く聞いた内容を巫女頭に伝えなければならないと考えていた。
ちなみに、巫女頭は神宮に二十人ほどいる巫女たちのトップで、現在の巫女頭は島々全体の神社をまとめる立場――筆頭巫女頭にある。
その巫女頭にメルテが聞いた『声』を届けるのは、絶対に必要なことなのである。
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筆頭巫女頭であるシモナは、本宮の一室に居を構えている。
そのシモナがメルテの訪問を受けたのは、朝の務めを行う前のことだった。
朝の務めは神宮にいる全巫女が集まって行う行事のため、その直前が忙しい時間だということは巫女であるメルテには当然分かっているはずである。
それを押してまで伝えたいことがあるのだから、シモナはすぐに重要な内容なのだろうと察した。
そのため、補佐役の巫女から『声』関係のことだと聞いた瞬間、シモナはすぐにメルテを通すように言ったのである。
「――ということは、その声は主神様のものだったのですね?」
メルテから話を聞いたシモナは、確認するようにそう聞いた。
ちなみに、神宮の神職たちが言う主神様というのは、諸島全体を守る結界を作っている大地神のことを指している。
「はい。間違いありません」
「そうですか……」
断言するように頷くメルテを見て、シモナは何かを考えるように狐顔の鼻先を上に向けた。
メルテから聞いた内容は、島――というよりも諸島全体にとって軽々しく扱っていいものではない。
すぐにでも対応をしたいところだが、それと同じくらいに朝の務めも重要なことなのだ。
この勤めを行っているからこそ、フォクレス島の巫女たちは周辺の島々から敬意をもたれているといっても過言ではない。
朝の務めが諸島を守っている結界を維持するための儀式も兼ねているので、ある意味当然の結果ともいえるだろう。
しばらく同じ態勢で考えていたシモナは、決断するようにメルテに視線を向けて言った。
「――わかりました。では、メルテには朝の儀式を終えた後、今度は皆の前で同じことを話してもらいます」
「は、はい」
「内容について真偽を確かめる時間がないのは痛いですが、この場合は仕方ないでしょう。事が事ですし、嘘だとする理由がありませんから」
普段は巫女が聞いた『声』について、嘘がないかどうかを判断する場が開かれる。
それは、魔法を使って真偽を確認するのだが、残念ながら今回はそのための時間がないくらいに急ぎの内容となっているのだ。
シモナがメルテの言葉に嘘がないと判断したのは、魔法を使って確認したわけではない。
それでも信じることにしたのは、すぐに嘘かどうかばれるような内容だったということが一番大きい。
そんな嘘をついたところで、メルテにとっては何の得もないのだ。
勿論、シモナがメルテのことを良く知っていて、そんな嘘を吐くはずがないという個人的な信頼もあるのだが、巫女頭としての判断をしっかりした上での結論だった。
メルテが主神から聞いた『声』の内容は、大まかに分けて二点だ。
その内容とは、一つは『これから一両日中にかけて諸島に船が現れる』ことと、もう一つは『その船に吾の使徒が乗っている』ということだった。
どちらも諸島全体にとって重要であり、絶対に伝える必要がある内容となっている。
そのためにも、まずは本宮に集まる巫女たちにそのことを伝えて、諸島全体に話が行き渡るようにしなければならない。
巫女の言葉が伝わる前に、使徒に対して失礼があっては、折角の大地神からの『声』が無駄になってしまう。
そんなことにならないように、まずは朝の務めの際に全体に周知することで話が進むのであった。




