閑話2 天使の選択
クリステルにとってのカイトの第一印象は、乗組員の子供がお手伝いでもしているのか、というものだった。
それもそのはずで、いかにも長年船乗りを続けてきた海の男という印象のガイルを差し置いて、まさかカイトが巨大帆船のオーナー兼船長なんてことは考えるはずもない。
もっとも、その想像はすぐにお互いを紹介しあったときに無くなり、驚きだけが残ることになるのだが。
それ以降は、やたらとカイトの正体を探りたがる護衛隊長に悩まされることになり、あまり落ち着いて考えることはできなかった。
そもそも、カイトとガイルが対等に会話をしているというだけでもおかしいのに、そこに思い至らなかったのは反省すべき点だろう。
セプテン号から降りて、セイルポートの港に降りた時には安堵感のほうが大きくて、気が回らなかったのは事実である。
そして、そのカイトのことで、後に公爵である父親が頭を抱えることになるなんてことは思ってもいなかった。
ましてや、その場面を実際に自分が目にすることになるとは、欠片も考えていなかったのである。
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カイトとの神の契約を果たした公爵は、その後いくつかの話をしてから残りの詳細はまた後日話すことにした。
いきなり全部の細かいことを決められないという実務的な問題があるが、それ以上に精神的な疲労が大きくなっていたのだ。
そして、カイトとガイルが部屋から出て行くのをきっちりと確認してから、モーガンは大きくため息をつきつつ肩を落とした。
「――――お父様? 契約に何か問題でもありましたか?」
そんな父親の様子に驚いたクリステルがそう声をかけると、モーガンは苦笑しながら首を左右に振った。
「いや、そういうわけではない。単に、あれだけの存在と対面することになって、気疲れしただけだ」
珍しく弱音のような愚痴を吐いた父親を見て、クリステルは目を丸くした。
ただ、クリステルはそのあとすぐに、同じように部屋に残っていた母姉が同じような表情をしていることに気が付いた。
「……それほどの威圧でしたか」
「ああ。むしろ、よく正気を保っていられたと思えるほどだったな。もしかしたら、その程度で収まるように抑えていてくれたのかもしれんが」
カイトがさらりと召び出した存在を思い出しつつ、モーガンはそんなことを言った。
「わたくしは、それほどではなかったのですが……」
「ふむ……。まあ、彼の者の気まぐれで、そういうこともあろうのだろう」
戸惑うクリステルを見ながらとある理由を思いついていたモーガンだったが、それを直接言うことはなく敢えて言葉を濁しながらそう返した。
その際、アリアンヌとオレリアを見て同じようなことを考えていることが分かったというのも、はっきり言わなかった理由の一つとなっている。
モーガンの答えで納得できなかったのか、首をひねっているクリステルに、アリアンヌが少しだけ微笑みながら言った。
「あなたへの影響が少なかったということは、別に悪いことではないからいいでしょう。それよりも、わたくしはクリスがあの少年のことをどう思っているのか聞きたいわ」
「わたくしも同じね」
「えっ……?」
なぜアリアンヌとオレリアがそんなことを言い出したのか分からずに、クリステルは疑問の表情を浮かべた。
これがモーガンであれば、これからビジネス上での付き合いが発生するので、人となりが知りたいというのはわからなくもない。
だが、特に個人的な付き合いが発生するとは思えないアリアンヌとオレリアが、カイトの人格を知りたがる理由が分からなかったのだ。
とはいえ、母と姉が知りたがっている以上、クリステルとしても特に隠す必要はない。
求められるままに、今思っていることを素直に話すことにした。
「そうですわね……。わたくしが知っている範囲では、乱暴者というイメージではなく、むしろ穏やかといった感じですわ。それから、妙に子供っぽい所があるのに、お父様の対等に話せたりするところが不思議で――」
そう言いながら次々とカイトの人となりを話し始めるクリステルを見ながら、アリアンヌとオレリアは何やらニンマリという表現がピタリと当てはまるような顔になっていた。
それとは対照的に、モーガンは何故か渋い表情になっている。
ただし、カイトのことを思い出しながら話しているクリステルは、そんな家族たちの様子には気が付いていない。
「――私が思っているところは、そんな感じですわ。……って、どうかしましたか?」
「いや。随分と細かいところまで見ているのだなと思っただけだ」
不思議そうな顔をしているクリステルに、モーガンは父親の顔になってそう応じた。
「数日とはいえ、船という限られた場所に一緒にいたのですから、それくらいのことは分かるようになりますわ」
「そういえばそうだったね」
海賊などに襲われれば、いくら無事に助かったといえ、そんなすぐに冷静になれるはずがない。
まだ十二歳になったばかりの貴族令嬢であれば、猶更だろう。
それが、他人を観察できるほどにいつも通りにいられたということは、よほど船の中の環境が良かったのだと想像できる。
クリステルがセプテン号の中で通常通りにいられたのが船の設備のお陰なのか、それともカイト(やガイル)のお陰なのかは分からないが、それだけでも安心できる材料といえる。
それはともかく、今重要なのはクリステルがカイトのことをどうとらえているのか、ということだ。
「そのたった数日の間に、随分と仲が良くなったと思うわよ?」
「そんなことはないと思いますわ」
少しだけ揶揄うように言ったオレリアに、クリステルがごく普通の表情で返した。
オレリアの混ぜっ返しに特に反応を見せなかったクリステルを見て、モーガンとアリアンヌが顔を見合わせた。
「そうか。契約のことを考えれば、クリステルとあの少年が仲良くなることは悪いことではない」
「そうね。――とにかく、これからお父様と色々話すことがあるから、二人はもう戻りなさい」
多少不自然な感じで休むように言ってきたアリアンヌに、クリステルが一瞬疑問の表情を浮かべたが、それを見たオレリアが母親の言葉に同調するように頷いた。
「そうさせてもらうわ。彼の方の召喚で、わたくしも随分とつかれてしまったし。――さあ、行きましょう」
「えっ……? あ、はい」
いきなり自分の手を取って部屋を出ようと進めてきたオレリアに、クリステルは一度は驚いていたがすぐに同意して、引っ張られるままに部屋から出て行くのであった。
そして、部屋から出て行った姉妹を見送ったモーガンは、一度ため息をついてから言った。
「あの子が、天使に選ばれたという意味をきちんと理解していないことが、良いのか悪いのか……」
「少なくとも今の段階では、自覚がない……どころか、芽生えてもいないようですからね。変にこちらから手を出す必要もないでしょう」
「……そんなものか?」
「逆に、変にこちらが手を出せば、あの子の性格を考えると逆効果になりかねませんよ?」
「……確かに、その通りだな」
クリステルのことを考えた適確なアリアンヌの意見に、モーガンは同意するように頷いた。
「今は何もせず、ただ見守っておくのが正しいと思いますよ。それよりもわたくしは、オレリアのほうが心配なのですが?」
「確かにな」
ロイス王国の貴族令嬢としては、適齢期もそろそろ終盤に差し掛かっているオレリアのことを持ち出されて、モーガンは渋い顔になって頷くのであった。
これにて第一章は全て終わりになります。
第二章開始は、二日開けて2/8~の再開になります。
追伸
それから、『国神』の読みですが、一応感想欄で確認した限りは大体半々といった感じです。
そのため、敢えてこちらで決めたり、ルビを振ったりはしません。
読者の皆様のイメージ通りに読んでください。
よろしくお願いいたします。




