(45)神の契約
カイトが魔法陣を使って召び出した女性は、普段は養蚕小屋で蚕たちの世話をしているクーアだった。
そもそもクーアは、フアの天使の中でも高位に位置しており、蚕に関しての契約を行うのに最適なのだ。
それに、カイトにとってはアイリスと並んで馴染み深い天使でもある。
「お呼ばれしましたか~。もう、準備はいいのですか?」
「ああ。大まかな条件は前もって伝えてあったから。というよりも、船の時と変わらないしね」
「そうですか~。では、こちらは口頭で伝えればいいですね」
カイトの言葉に、クーアは微笑みながら頷いた。
神の契約にも種類があり、カイトが良く知る細かい条件を記したものもあるが、今回はそこまでの条件をつけるつもりはない。
その方が抜け道が探しやすくなるという欠点はあるが、逆にいえば大雑把に対応できる分、制約をする側にとっても拡大解釈ができなくはない。
もっとも、どちらも神を相手にそんな無謀な賭けに出るような真似はしないのだが。
どうみても高位の天使を相手にのんびりと会話をしているカイトを見て、公爵家の面々は唖然とした表情をしていた。
クリステルは、セプテン号でアイリスを相手に会話をしたこともあるのだが、あの時は天使だと分からないように普段纏っている雰囲気を隠していた。
今のクーアは、天使として降臨しているのでそのようなことをせずにいつも通りの気配で立っている。
そのため、この場にいる全員が、クーアの天使としての気配を感じとる羽目になっているのだ。
ちなみに、カイトが普段から平然としていられるのは、創造神とフアの魂使いとなっているからである。
驚いた表情のままの公爵に向かって、クーアが普段カイトには見せないような表情になりながら言った。
「それでは、カイトさんの願い通りに神の契約を行います。条件ですが――」
そう切り出したクーアに、公爵はハッと表情を引き締めてから、条件を聞き始めた。
といっても、今回出される条件自体はさほど多くはない。
基本的には守秘義務を守るようにということと、カイトに対して不利益にならないようにするということだ。
さらに、最初の指導を行うことになる天使に関する情報や扱いについても話していた。
最後に、これが一番重要ともいえるが、この契約を破った場合には、きっちりと罰が与えられるということがクーアの口から伝えられた。
クーアの出す条件に一々頷きながら同意していた公爵だったが、最後まで話を聞き終えたところで、何故か笑いをこらえるような表情になっているカイトを見て首を傾げた。
その公爵が何かを言うよりも早く、クーアが不満げな表情になって言った。
「カイトさん、せっかく真面目モードになっているのに、それはないと思います」
「いや、だって。普段とあまりに違いすぎないか?」
「私だって、こういう時は真面目になるんです」
そう言ってぷくりと頬を膨らませたクーアに、カイトは「ごめん、ごめん」と謝った。
その謝罪はあまり誠意を感じさせるものではなかったのだが、クーアは気にした様子もなく「まあ、良いですけれど」と返した。
その両者のやり取りを見ていた他の面々は、益々あり得ないようなものを見たような心境になっていた。
普通、天使を相手にこんな態度を取ることなど許されることではないのだ。
だが、どう見てもその天使本人が許しているように見える以上、第三者が口を挟むようなことではない。
むしろ、下手に口を挟んで、天使の機嫌を損ねるほうが恐ろしい結果になりかねない。
そんな他の面々の心境を余所に、クーアとカイトの会話は続いていた。
「ともかく、これで条件は整いましたよ~。あとは契約を発動するだけです」
「分かったよ。――それで、公爵はよろしいですか?」
「あ、ああ」
いきなりカイトから水を向けられた公爵は、慌てた様子で頷いた。
本当に天使が出現したことで圧倒されっぱなしだが、元から契約を断るつもりなどなかったので問題はない。
公爵に続いてカイトが頷くのを確認したクーアは、パシンと音を鳴らしながら両手を合わせた。
「では、ここに神の契約が成り立ちました。吾が主である大地神の名の下に」
「大地神の名の下に、契約を守ることを約束致します」
クーアに続いてカイトがそう誓いの言葉を口にすると、公爵も続いた。
「大地神の名の下に、契約を守ることを約束致します」
その言葉は神の名の下に誓いをするときに使われるもので、ごく普通の軽い約束事でも使われている。
ただし、今回に限っては、天使の立ち合いの下で神の契約が行われているので、実効力が伴うものとなっている。
カイトと侯爵が誓いの言葉を口にしたところで、クーアはニコリと微笑みながら二人に向かって言った。
「これで神の契約は終わりです。では、私はこれで~」
「ああ、お疲れ様」
カイトが頷きながらそう返すと、クーアは他の面々の返答を待たずにその場からスッと消えた。
その際に、カイトの足元にいた狐にほんの一瞬だけ視線を向けていたが、それに気付く者はいなかった。
クーアが消えたことを確認したカイトは、さらに続けて言った。
「デキスとシニスもお疲れ様。また後で行くから」
カイトがそう言うと、肩の上にとまっていたデキスとシニスが「「ピ」」とだけ返して、クーアの時と同じように消え去った。
今回は、クーアを召喚するための魔法陣を作って貰うためだけに召んだのだ。
一連の作業を終えたカイトは、ようやく落ち着き始めた公爵に向かって言った。
「これで契約自体は終わりです。あとは、実際に現地で作業をする天使が細かいことを説明することになると思います」
「……一応確認するが、それは、先ほどの天使が行うのか?」
「いいえ。違うそうですよ」
クーアは神域にある養蚕小屋の管理があるために、別の天使を派遣すると聞いている。
カイトの答えを聞いた公爵が、何故か安堵の溜息をついていた。
それを見て、不思議そうな表情で首を傾げるカイトに、公爵が苦笑をしながら続けて言った。
「そなたは魂使いとなっているから気付いていないようだったが、私たちは相当な威圧を受けていたからな。さすがに普段からあれほどの威圧を受けていては、作業にすらなるまい」
「なるほど。そういうことでしたか。確かに、それでは駄目でしょうね。そういうことも含めて伝えておきます。まあ、彼女も気付いているでしょうが」
不用意にクーアの名前を出さないようにしたカイトだったが、公爵はそんなことよりも別のことを気にしていた。
カイトはさらりと伝えると返したが、それはいつでも先ほどの天使と会えるということになる。
今更ながらに、カイトがそんな規格外な人物だと思い知って、むやみやたらと公爵としての立場を押し付けることにならなくてよかったと安堵した。
それと同時に、王家を通してカイトに関する情報を伝えてくれた国神に対して深く感謝をしていた。
もし、王からの言伝が無ければ、間違いなくカイトを強引に取り込むような手段に出ていただろう。
そんなことをした場合、下手をすれば公爵という立場を失っていてもおかしくはなかった。
結果として、公爵はカイトにむやみに突っかかることはなく、いい関係を築けている。
今回の神の契約も、この先の関係を続けていくための良い楔となったはずだ。
公爵は、そんなことを考えつつ、カイトと絹糸生産に向けての細かい打ち合わせを続けるのであった。
これで第一章は終わりになります。
第二章は、さらに行動範囲が広がる……はずです。
明日、明後日は閑話になります。




