(37)ヨーク公爵
日常では止まるはずのない豪華な馬車が止まっているのを遠巻きに見ている近所の住人たちに見送られながら、カイトはその馬車に乗り込んだ。
正装など持っていないカイトであるが、シスターのひとりに公爵に会いに行くと言った途端に、青い顔をしながら用意されたそれなりの衣装を着こんでいる。
微妙に神官たちが着ているようなローブよりの作りになっているのは、作者の意向に沿っているためなので仕方ないだろう。
とにかく、慣れない衣装に身を包んだカイトは、公爵の召使のひとりに言われるがままに馬車に乗ってセルポートの町中を揺られることになった。
馬車に乗ることなど海人としてもカイトとしても初めてのことだったので、若干ワクワクした気分になっていた。
ただし、最初のうちはカイト一人だけだったので、そのことに気付いたのは、当然のように一緒に着いて来ていたフアだけだった。
カイトを乗せた馬車は、真っ直ぐに公爵の屋敷へと向かうのではなく、途中で止まっていた。
すでに途中で寄り道をすると聞いていたカイトは、特に疑問に思うことなく待ち人が来るのを待っていた。
そして、馬車の扉が開いてその人物が乗ってきたのを見た時に、思わず吹き出しそうになってしまった。
「おいおい。人の顔を見るなり、それはないんじゃねえか? いや、この場合は服を見て、か?」
渋い顔をしながらカイトにそう文句を言ってきたのは、きっちりと正装(マント付き)に身を包んだガイルだった。
流石のガイルも、公爵相手にいつもの服装で現れるような変な意味での無謀さは持っていないようだ。
「いや、どう見ても着慣れていなそうな服だったから。というか、よく持っていたな」
「そりゃ、船長をやっていれば、貴族のパーティに呼ばれることもある。一つくらいは持っているさ。お前も、今は子供の扱いだから許されているだけで、いずれは必要になるぞ?」
何しろセプテン号の船長は、紛れもなくカイトである。
今回の件で公爵と繋がりを持ったと分かれば、間違いなく自分の所にも来て欲しいと言い出す貴族が増えるのは間違いない。
そして、全ての誘いを断ることが難しくなることもあり得るだろう。
その時に、着るべき服装を用意せずに着の身着のままで行けば、侮られることになるのは間違いないだろう。
もっとも、カイトとしては、そうなったらそうなったで、分かり易くていいとも考えているのだが。
長い間海の上で生活をしていたためか、カイトとガイルは既に気心が知れた同士になっている。
年齢は二回り(二十四年)近く離れているのだが、前世の記憶を持つカイトとは相性が良かったらしい。
カイトが前世の記憶持ちと知らないガイルとしては不思議な気持ちもあるが、これから先も海の上で一緒に過ごすということを考えれば悪いことではない。
というよりも、むしろ良いことである。
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馬車が公爵の屋敷の前まで着くと、そこには家令らしきものを筆頭に数人のメイドたちが待っていた。
それを見れば、公爵が貴族でもないカイトとガイルに対して、最上のもてなしをしようとしてくれていることは理解できる。
むしろ、カイトとガイルが彼らの対応に戸惑って、思わず顔を見合わせた程であった。
家令たちが内心でどう思っているかは分からないが、少なくとも表向きは歓迎しようとしているように見える。
カイトは、彼らの対応に微妙に戸惑っていたが、公爵家の家令ともなればお客を招いた際に隙を見せるはずもないかと納得することにした。
そして、妙な気持ちのまま一旦控室に案内されてから、五分も経たずして部屋のドアがノックされた。
その音にガチャリと扉が開く音がして、先ほど部屋まで案内された家令の一人が姿を見せて、その後にクリステルと彼女に似た面持ちをしている男性が入ってきた。
その男性が公爵本人だとすぐに気付いたカイトとガイルは、きっちり九十度になるくらいに頭を下げた。
「頭を上げよ。此度は、娘を救ってくれたお礼に呼んだのだ。そこまで畏まる必要はない」
「はっ。ありがとうございます」
公爵の言葉にガイルがそう答えるのを聞いて、カイトはようやく頭を上げた。
そして、改めて男性――ヨーク公爵を見ると、クリステルによく似た青い瞳がジッと自分を見ていることに気が付いた。
公爵という立場であれば、カイトがセプテン号の船長兼所有者であるという情報は掴んでいるはずだ。
だからこそ、その人物の人となりを見ているのだろうと考えたカイトは、そのまま何も言わずに公爵が声をかけてくるのを待っていた。
基本的に身分が上の者から話をするというのが常識であるということは分かっていたし、何よりも今のこの段階でカイトから公爵にする話は無い。
公爵から話があるからこそ屋敷に呼ばれているので、いきなりカイトから交渉を始めてしまうと、失礼に当たる場合もあるのだ。
時間にして一分ほどの沈黙が続いた後、ようやくクリステルが公爵に声をかけた。
「――――お父様?」
「ああ、立ったままですまなかったな。まずは座ろうか」
黙ったままだったことには何も言わずに、公爵は椅子に座るように勧めてきた。
公爵は、カイトとガイル、クリステルがきちんと座るのを確認してから一度頭を下げてから言った。
「娘から話は聞いた。今回は、そなたたちに助けられなければ、無事に帰って来ることはできなかっただろうと。よしんば海賊たちを撃退できたとしても、船の操作ができずに海の上で立ち往生していただろうということもだ。――改めて、クリステルの父親として礼を言わせてもらう」
「いいえ。私たちは、助けられるときには助けるという、船乗り同士の不文律に従っただけです。海賊が出てきているところに遭遇したのは、ほんの偶然です」
ガイルがそう答えると、公爵は小さく首を左右に振った。
「出会ったのは偶然であったとしても、娘の乗る船を助けると決断したのはそなたたちだ。礼を言うのは当然だ」
「ありがとうございます」
これ以上謙遜をしても逆に嫌味になりかねないと判断したガイルは、ここで礼を言って公爵の謝罪を受け入れた。
ここで変に公爵の言葉を否定し続けても、お互いにとって良いことなど何もない。
「――さて。それでは、改めて話を聞きたいのだが、娘や部下たちから海賊についてのことは聞いている。だが、そなたたちの話も聞かせてもらえるか?」
そう言ってきた公爵の顔は、完全にこの辺りを統べている貴族としてのものだった。
クリステルの船が襲われていた海域は公爵家が治めている場所ではないが、それでも海賊がいるという情報は見過ごせない。
場合によっては国として対処する可能性があるのだから、あらゆるところから情報を集めるのは当たり前のことだ。
カイトとガイルもそのことは分かっているので、特に隠すことなく海賊を見つけてからの話をした。
セプテン号が防御に優れているということは、既に乗組員を通して知っているはずなので、その能力について隠すつもりもない。
ちなみに、アイリスを含めた天使たちについては、船に備え付けられている精霊人形のようなものという扱いになっている。
そこまで高度な精霊人形などほとんど存在していないのだが、セプテン号の不思議の一つとして強引に納得させている。
ちなみに、精霊人形というのは人形の素体に精霊を宿したもので、ゴーレム使いと精霊使いの合作で作られる人形のことだ。
人形に宿す精霊の格が上であればあるほど人に近い動きをするようになり、中には人間と全く区別のつかないような精霊人形も存在している。
ただ、そんな人形が何体も存在している時点であり得ないことなのだが、そもそもセプテン号自体が不思議の塊なのでその中の一つとして受け入れられていた。
その言い訳がいつまで通用するかは分からないが、カイトとガイルは当分それで押し通すつもりなのであった。
クリステルの父親は、ヨークというのが家名で、個人としての名はモーガンになります。




