(34)巨大船の設備
「――それは何かしら?」
セプテン号の与えられた部屋にいたクリステルは、侍女が持ってきたものを見て思わずそう尋ねた。
「見ての通り、夕食だそうです」
「それは見ればわかります」
侍女が持っていたのは、木製のトレーの上に配置された食事だった。
だが、クリステルが聞きたいのは、そのことではない。
「いきなり三十人以上の人間が増えたのに、そんな豪華な食事を出しても大丈夫なのかしら?」
「私にはこの船の食糧事情は分かりませんが、恐らく大丈夫なのでしょう。それに、心配なさらずともお嬢様のだけに配られた食事というわけではありません」
「そう」
クリステルは、侍女の言葉に短くそう答えたが、表情は納得がいかないと言いたげだった。
それもそうだろう。
クリステルが先ほど言ったように、この船には予定しなかった人間が三十人以上増えている。
それだけの食事を賄うだけでも、かなりの量の食材が必要になるのだ。
クリステルは、自身が遭難者に近い身であることを十分に理解していて、一日一食しか与えられないということも覚悟していた。
それがあっさりと夕食が出てきただけではなく、一食としても普通に足りるだけの量が出ている。
勿論、最初から敢えて多く作ってある貴族の食事と比べれば貧相といえなくもないが、これまでの船旅で出されてきた貴族の娘用の食事と比べても遜色のないものだった。
さらに、それと同じものが他の者たちに配られていると言われれば、クリステルがそんな表情になるのも納得できる。
クリステルに食事を持ってきた侍女も同じ気持ちだったのだが、それを表情に出すことはなく恭しくトレーをテーブルの上に置いた。
「私は先に頂きましたが、味も申し分ありませんでしたよ。まあ、こちらの手を借りているというのもあるのでしょうが」
「こちらの手……? 侍女が誰かが食事の用意でもしたのかしら?」
「ええ。食材は出せるが、料理人までは用意できないということでしたので」
「そういうこと」
道理で普段自身が口にしているものと似たような料理が出てきているはずだと、クリステルは内心で納得しながら頷いた。
クリステルは、これまでの船旅でも侍女が用意した食事を口にしていた。
それがセプテン号にも、適応されたようだった。
昨日までの食事よりも豪華に見えるのは、与えられた食材がこれまでよりも豊富だったためである。
「それにしても、このままセイルポートまで向かうようだけれど、本当に大丈夫なのかしら?」
「さあ? ですが、少なくとも三日三晩、お屋敷と同じような食事を全員に振るまっても大丈夫なほどに、食材は揃っていたという話です」
「それは食事を作った侍女の話?」
「はい。調理の話をした際に、好きに使ってくれと食糧庫に案内されたそうです。助けられた身だというお嬢様の言葉に従って、ふんだんに使うのは止めたそうですが」
「それで構いませんわ。あのお二人の態度を見ている限り、そんなことで文句を言ってきたりはしないでしょうが、あとから難癖をつけられても面倒ですからね」
クリステルはそう言葉にしつつも、カイトもガイルもそんなことはしないと確信していた。
そんなくだらないことで文句を言うのであれば、最初から侍女に食糧庫を見せたりしないだろうし、そもそもセイルポートまで送り届けるなんてことは言わないはずである。
クリステルのそんな心情はしっかりと見抜いているのか、侍女は彼女の言い方に注意をするでもなくただ黙って頷いた。
「かしこまりました。そういうわけですから、セイルポートまで朝晩はしっかりと食事が出るようですので、そのことについてはご安心ください」
「そうですわね。不安に思っていたことが一つ解消されてよかったわ」
「それから――この際ですからお伺いいたしますが、お風呂にも入れるようですが、いかがなさいますか?」
そう言ってきた侍女に、クリステルは不覚にも二の句が告げなかった。
侍女もクリステルのその気持ちが十分に理解できているので、笑うでもなくただ黙って主の答えを待っている。
船旅の最中にお風呂に入れる。
この世界の船の事情を知っている者であれば、それがどれほど非常識なことであるかは、クリステルの反応を見てもわかることだ。
セプテン号に移る前の船でも、クリステルは十分に貴族の子女としての扱いを受けていたが、それでも風呂に入るなんてことはできなかった。
船の生活において真水が非常に貴重であることはクリステルにも十分理解できることで、ついでにそれが船での航海をする上での最低の条件だと言い聞かせられての旅だった。
この世界にある船で、浴槽まで用意されている部屋があること自体、あり得ないことといってもいいことなのだ。
そんなものをわざわざ船に用意する時点で、よほどの道楽者扱いをされることになるだろう。
「――一体、どういう船なのかしら、この船は?」
思わず出てしまったクリステルのその疑問に、侍女はジッと見ながら聞いてきた。
「本格的にお調べになりますか?」
言外に直接当人たちに問い詰めるかと聞く侍女に、クリステルはため息をついてから首を振った。
「止めておきましょう。ただし、お父様には絶対に報告しなければなりません」
「それは、勿論です」
この世界に、これほどの設備が整った船があることを公爵である父に黙っているわけにはいかない。
護衛隊長をはじめとして、いま目の前にいる侍女を含めて、全員から聴取なりがされることになるだろう。
クリステルは、そう確信しながらまだ湯気が上がっているスープからまず口にするのであった。
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十分に満足のできる夕食を終えたクリステルは、早速侍女を伴って浴場へと向かった。
信じられないことに狭いながらも男女別れての浴場があるとのことで、クリステルは時間を気にせず安心して浴場へと来ていた。
「――確かに狭いことは狭いですが……いえ、十分贅沢ですわね。船の上ということを考えれば」
「全くです」
カイトであれば学校の教室くらいと言ったであろう大きさの浴場には、きちんと湯舟と洗い場が用意されている。
しかも、浴場には船の上では貴重であるはずのお湯が、ダバダバと流されていた。
貴族はともかく、一般家庭であれば風呂に入ることなどほとんどない生活を送ることになるこの世界では、信じられないほどの無駄遣いである。
「もう、この船の非常識さには触れないで、好きに過ごした方が楽しめる気がしてきましたわ」
「それも、その通りですね」
「……けれど、あとからお父様に会うことを考えれば、そうもいかないのですわね」
心底残念そうに言ったクリステルに、ついてきた侍女は賢明にも言葉にすることはなかった。
どちらの答えを返したとしてもクリステルの今の上機嫌を損なうことになりかねないので、黙ったままのほうがいいと判断したのだ。
そして、その侍女の判断は正しかったと証明されることになるのは、さほど遠い未来ではなかった。
上機嫌のまま入浴を終えたクリステルだったが、部屋に戻ったとたんに機嫌が下降することとなった。
その理由は、クリステルの部屋に来た護衛隊長が、カイトとガイルを問い詰めるように改めて進言してきたのだ。
彼の立場としてはそう言わざるを得ないということは分かっていても、クリステルとしては敢えて藪に手を突っ込む気にはならない。
そのため、つい嫌味の一つを護衛隊長に向けて言ってしまうことになった。
「あなたがそう主張するということは、未だに調査は上手くいっていないということかしら?」
クリステルがそう問いかけると、護衛隊長は口を真一文字に結んで黙り込んでしまった。
それを見たクリステルは、ちょっと言いすぎたかと反省しつつ、改めて自身の考えを言った。
「とにかく、貴族の立場を利用して問い詰めることは認めません」
そう言われた護衛隊長が表情を変えることはなかったが、長い間船の中で顔を突き合わせてきたクリステルには、彼が不満を覚えているということを十分に理解しているのであった。
《一応捕捉》
セプテン号の水が豊富だと(クリステルから見て)思えるのは、地球での船のシステムを創造神が作り替えて設置しているためです。
完全にオーバーテクノロジーです。




