(31)接近
「その船は、どこのものだ! 報告ははっきりしろ!」
船長の大きな声が甲板に響くと、慌ただしく動き始める船員の姿が見えた。
場合によっては、新たに現れたその船が、現在の状況を打開してくれる可能性を秘めている。
絶望的な状況だと分かっていた船長や船員たちが、その船に光明を求めるのは当然だろう。
「そ、それが、まだ遠くて……な、なんだ、あの船は!?」
船長の問いに答えたのは、マストの上に乗っている見張りではなく、甲板から海賊船の動きを見張っていた船員からだった。
その言葉に、海賊船の動きを見張っていた船員たちの視線が、新たに現れた船に集まった。
船長もその中のひとりだ。
「何をそんなに驚いて……って、おい! なんだ、あの大きさは!?」
「それだけじゃねえぞ、とんでもなく早い!?」
遠目で見えるはずの位置にいたはずの巨大船が、見る見るうちに自分たちがいる海域へと近づいてくる。
商船としては最新鋭であるこの船も、一般的に見れば大型船といってもいい大きさである。
だが、近づいてくる巨大船は、自分たちが乗っている船よりもはるかに大きなものだということがわかった。
巨大船がどちらの味方かはまだ分からないが、この海域に近付いて来ていることだけは皆が理解できていた。
「船長……」
「待て。まだ早まった結論は出すな。まずは海賊の動きに注意しつつ、不明船の身元をはっきりさせろ」
考えたくはないが、新しく現れた不明船が海賊の仲間だという可能性がないわけでもないのだ。
今の段階で、助けが来たと判断するのは早すぎる
ただ、船長の頭の中には、セイルポート町で聞いたとある噂が思い浮かんでいた。
その噂とは、突然セイルポート沖に現れた巨大船のことである。
残念ながら船長は、噂の巨大船がセイルポートに現れた時には町にいなかったので、不明船が船であるかは確認できない。
だが、新たに現れた見たことも無いような巨大船が、船長たちにとっては絶望的という状況に変化をもたらしていることには変わりはなかった。
「海賊たちが、スピードを上げてきた!」
海賊の動きを見張っていた船員からの報告に、船長はハッとした表情で周囲を確認した。
すると、その報告通りに、こちらの船に威嚇と乗り込むためにスピードを落としていた三隻の海賊船が、スピードを上げていることがわかった。
その動きを見れば、新しく現れた船が到着する前に決着をつけると決断したということがわかる。
そうなれば、船長ができることは一つしかない。
「こちらも進路変更しろ! 目標は、新しく現れた船だ!」
残念ながら不明船が現れた方向は自船が進んでいた方向とは真逆になるため、反転しなければならない。
その分海賊に早く追いつかれる可能性も高くなるが、逃げることだけに集中すれば、ギリギリ何とかなると船長は判断したのだ。
これまで逃げようとしていなかったのは、三隻の海賊を相手に自船だけで逃げ切れるとは思えなかったからで、そこに新しく船が現れたのであればまた話が違ってくる。
海賊船の動きからも、不明船が仲間ではないということは分かっている。
別の組織(?)に所属している海賊という可能性もあるが、今からそこを心配しても仕方ないし、当たり前だがそうだった場合の対応もきちんと取っている。
襲うべき船が突然反転したにもかかわらず、海賊船は乱れた様子もなくしっかりと対応をして追って来ていた。
「――予想以上に練度が高いな」
「ですね。崩れでしょうか?」
この場合の「崩れ」というのは、どこかの国の海軍に所属していた者が海賊に身を落とした者のことを指している。
「さてな。そこまでの腕があるかは分からないが……このままでは、あの船が追いつく前に取りつかれるな」
どうにか逃げ切ろうと頑張ってはいるが、海賊たちの腕がいいために例の船が追いつく前にどうやっても接敵してしまう。
そう判断した船長は、傍に控えていた護衛隊長に言った。
「さて、隊長。こちらはできる限りのことはやった。あとは、あの不明船の動向次第で助かるかどうかが決まるな」
「あれが来れば助かるのではないか?」
「その答えは、私は持っていない。一応言っておくが、大きな船だからといって多くの乗組員、特に戦闘要員が乗っているとは思わないことだ」
クリステルが乗っているこの船は、それこそ公爵令嬢を守るために積み荷を少なくして、その分戦闘要員を多く乗せている。
それと同じように考えられては困るというのが、船長としての意見だった。
船長の言葉を聞いた護衛隊長は、顎をさすりながら「フム」と呟いた。
「積み荷が奪われるのは仕方ないとしても、せめてクリステル様のお命だけは助けたいものだが……」
「さて、それはあの船次第といったところでしょうか」
船長がそう答えるのとほぼ同時に、不明船を見張っていた船員が叫んだ。
「不明船からの通信。『我が船、助太刀いたす』です!」
「こちらも『了解』と返せ!」
船長の指示に従って、船員たちが慌てて通信旗の用意を始めた。
ただし、旗の用意といっても今回のように短い決まった返事であれば、すぐに掲げることはできる。
船で使われる通信旗は、海運ギルドの影響があって、各国で共通のものが使われているので、意味の取り違えは起こらないはずだ。
船長と船員のやり取りを聞いていた護衛隊長が、同じく傍で様子を見守っていた副船長に向かって聞いた。
ちなみに、今回の旅での副船長の主な役割は、今回のように公爵家の面々との橋渡し役が主な仕事となっている。
「――まだ味方と決まったわけではないと思うのだが?」
「確かにそうですが、この状況となっては、そう信じて動くしかないというのが正直なところですね」
「ふむ。それほど状況は悪いか」
「いかに護衛隊の実力があるといっても、数に押されてはどうしようもありません。相手は海賊船でしっかりと数を揃えているはずですから」
もしこれが、単純に海賊の討伐だけであれば、ギリギリの戦いを決断していた可能性もある。
だが、今回の航海で何よりも重要なのは、公爵令嬢であるクリステルの身の安全だ。
彼女が人質に取られてしまえば何もできなくなるので、玉砕覚悟のような作戦は取れないのである。
船長たちの会話を後ろの方で聞きながら、クリステルは近づいてくる新たに現れた巨大な船をじっと見ていた。
本来であれば海賊の方に注意を向けるべきなのだろうが、何故かこの時のクリステルはそんな気にならずに、ただただ美しい大きな船に見入っていた。魅入られていたといってもいいだろう。
後にクリステルは、この時の自分の感情がどこから来たのか熟考することになるのだが、結局分からずじまいのまま長い間過ごすことになる。
もっとも、この時のクリステルは、そんな将来のことは全く考えずにひたすら帆船を見続けた。
その船の速さは、クリステルが知る帆船とは全く別物のように思えるほどで、自分が乗る船と海賊船がいる場所にぐんぐんと近づいている。
その速さは、自分が乗る船の乗組員は勿論、海賊たちにとって衝撃を覚える程で、最初に自分たちと遭遇した時とは違って慌てているようにも見える。
先程からどうにかこちらに近付いて接舷しようとしているが、中々上手くいかないのは焦りのようなものが生まれているためだろう。
クリステルはそう考えているが、敢えて口に出すことはしなかった。
まだ子供といってもいい年齢の自分が口にしなくても、船長や護衛隊長がそのことに気付いていないはずがないのだ。
とはいえ、数の利は海賊側にあるので、そろそろ限界も近づいている。
だが、それと同じように巨大帆船もぐんぐんと信じられないようなスピードで向かって来ていた。
巨大帆船が近づいてくれば近づいてくるほど、その大きさが威圧感を伴って実感できるようになってきた。
それは海賊たちにとっても同じようで、より焦りのようなものが出ているように見える。
そして、クリステルが乗る船は、絶望と幸運をほぼ同時に味わうことになるのであった。




