(30)海賊船
船長室から操舵室に移ったカイトは、そこで難しい顔をして立っているガイルを見つけて、内心で気を引き締めた。
「――その顔を見る限り、随分と難しい状況?」
「さて、どうだろうな。船長の判断次第だろうな」
「というと?」
「簡単な話だ。この船は防御に優れるが、攻撃能力はゼロといってもいい。そんな状態で海賊に突っ込んでいくようなもの好きはいないだろう?」
現在の状況は操舵室に来るまでに簡単にアイリスから聞いている。
三隻の海賊船が、一隻の一般船をまさに襲おうとしているという状況で、セプテン号が近づいているのだ。
要するに、このまま見なかったことにして自分だけ助かるように動けば、何事も無かったかのように逃げることはできる。
逆に、一般船の方を助けようと思えば、何らかの方法を考える必要があるというわけだ。
ただし、助けることを選択する場合は、セプテン号の人材で戦力になり得るのはカイトとガイルだけなので、どうにかして襲われている一般船に近付く必要がある。
単純な戦力という意味では、セプテン号に乗っている天使たちは突き抜けているのだが、船内以外での活動は認められていない。
今回の場合は、戦力として数えることはできない。
ガイルからの説明を聞いたカイトは、腕を組みながら少しだけ目を閉じた。
「――今のそれぞれの位置は?」
「まだ接舷はしていないようだが、時間の問題だろうな」
ガイルがそう答えたところで、ジッと現場の方を見ていたアイリスがふと口を開いた。
「いえ、そうとも言えないようです」
珍しく会話に口を挟んできたアイリスに、カイトとガイルの視線が集まった。
「――一般船の方に腕のいい魔法使いでも乗っているのか、先制攻撃を仕掛けたようですよ」
「なるほど。それなりの大きさの船だけあって、魔法使いも乗せていたか」
セプテン号は例外として、この世界基準での大型船には、大抵冒険者を乗せて海賊や海洋モンスターの対処をしている。
その場合には、魔法使いが乗っていることも珍しくはない。
「それはそうなのですが、その魔法使いの腕がかなりいいようですね」
「それは、本当……って、おいおい、まじか。あの距離で適確に当てるとは……どう考えても、流れの魔法使いじゃないな」
「恐らくは」
ガイルの言葉に、アイリスも同意するように頷いた。
ガイルが言った流れの魔法使いというのは、国や私設(少しだけある)の学校を卒業していない者を指している。
そうした流れの魔法使いは、個人的に師匠に当たる者から教わることで魔法を習得しているのだが、実は珍しい存在ではない。
流れの魔法使いの中には、半年ほど滞在した町や村で魔法を教えるということもある。
魔法使いは、自身が持つ技術や知識を後進の者に教えるということが美徳とされているので、そうした行為はよく行われている。
勿論、短期間教わった程度で実践レベルで魔法が使えるようになることは珍しく、そのレベルの魔法使いの数はそこまで多くはない。
ガイルが驚いたのは、海賊船に向かっている魔法が、そうした流れの魔法使いのレベルをはるかに超えていたことにある。
ただし、いくら優秀な魔法使いがいたとしても、どうしようもないこともある。
「あ。結界か何かを張ったか? 海賊の方も落ち着いているな。魔法使いの相手も手慣れているのか?」
「そのようだな」
先ほどまで魔法が当たっていた海賊船が、全く効かなくなっていた。
それを見れば、海賊船が防御の魔道具を使ったか、同じように魔法使いで対処しているということが分かる。
先ほど見せた魔法以上の攻撃手段がなければ、このまま一般船が三隻の海賊船に襲われるだろう。
カイトたちがそんな会話をしている間も、セプテン号と襲撃が起こっている現場の距離は縮まって来ていた。
「それで? 助けに入るのか? それともこのまま逃げるのか?」
セプテン号の足の速さがあれば、まだ海賊船から逃げ切れるくらいの距離はある。
「あれ? 逃げてもいいのか」
「場合によるがな。戦力が全くない今のこの状態で助けに入らなかったとしても、責める船乗りはいないだろうさ。それに、他に見ている船もないみたいだしな」
そもそも、広い海原の中で一般船が海賊船に襲われているところに遭遇することなど、ほとんどないに等しい確立である。
それでもそうした場合の暗黙のルールのようなものはあって、助けられる場合は助けるというのが一応の約束事のようなものになっている。
「なるほどなあ……。まあ、いいか。とりあえず、助けに入ろう。必要ないかも知れないけれど」
最初の戦闘で優秀な魔法使いがいることが分かっているので、三対一であっても襲われている側が優秀な戦闘員を乗せている可能性もある。
その場合は、助けに入ること自体が無駄になる可能性も無くはない。
もっとも、カイトもガイルも海賊が返り討ちに会う可能性は低いと考えている。
だからこそガイルは、カイトが助けに入ると決断しても、特に反対することはしなかったのだ。
攻撃能力を持たないセプテン号が、どうやって助けに入るのかという言葉をガイルが口にすることはなかった。
今回のようなことが起こり得るということはカイトもガイルから話を聞いていて、それにどう対処するかはきちんと話し合っている。
あとは、その方法を使いながら適宜対応していくだけである。
♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦
その時、クリステルは魔法使いが放っている数々の魔法の見ながらキュッと唇を引き締めた。
「――それで、わたくしたちはどうすればいいのかしら?」
「我々も最後までどうにか踏ん張りますが、正直なところ、お覚悟をお持ちくださいとしか言えませんな」
自分の問いにはっきりとそう答えてきた護衛隊長に、クリステルは青く輝く瞳をキッと向けた。
「それが誉れ高いゲラン公爵家の騎士の言葉ですか!」
「お叱りの言葉は、助かった後でいかようにも。ただ、現状を認識していただくには、事実を申し上げるのみです」
きっぱりとそう言い切った護衛隊長に、クリステルは多少不満そうな表情になりながらも、それ以上の文句を言うことはなかった。
クリステルは今年で十二歳になるが、公爵令嬢としての教育をしっかり受けてきた結果として、護衛隊長の言っている意味をきちんと理解できているのだ。
勿論、現状のままでは、自らの命が危ういということもだ。
公爵令嬢であるクリステルが乗る船が海賊船に襲われることになったのは、色々な必然と偶然が重なってのことである。
一番の必然は、公爵令嬢が軍船ではなく商用船に乗って遠方に旅をしていることだが、これはどちらかといえばクリステルのわがままが原因ともいえる。
クリステルには遠方に嫁いだ叔母がいて、その叔母から非常にかわいがられていることもあって、わざわざその国まで旅をすると主張したのだ。
ただ、その主張はかなえられたものの、流石に公爵家が所有する軍用船までは出してもらえず、商用船を使っての旅となったのだ。
これが公爵本人か、あるいは跡継ぎである長男の旅となれば別なのだろうが、末子であるクリステルにはそこまでのわがままは許されなかった。
クリステルが乗る船が襲われることになったのは帰りの行程でのことで、護衛隊も含めた乗組員たちが油断しかかっていたという事情もある。
もっとも、きっちりと注意が行き届いていたところで、三隻の海賊から逃げ切ることはできなかっただろう。
問題なのは海賊船の数で、いかにクリステルを守る護衛隊が公爵家の精鋭たちであったとしても、防ぎきれるものではないことが容易に予想できる。
現に、海賊船は侯爵家お抱え魔法使いの攻撃にしっかりと対処出来ている。
その対応を見ても、たかが海賊と侮ることはできない相手だということがわかる。
そうした状況を事細かく護衛隊長から聞いた上での、先ほどのクリステルの問いかけであった。
その返答がいいものではなかったことからも、現状が絶望的に近いことはクリステルにも理解できている。
公爵家の令嬢として生まれたクリステルは、その年にして海賊に辱めを受けるくらいなら自ら命を絶つという覚悟はある。
その上で、最後の最後まで諦めないという強い意志を持っていた。
とはいえ、戦いの専門家ではないクリステルには、護衛隊長の言葉に反論できるだけの知識も知恵も持ってはいなかった。
そして、何か打開策はないかと必死に考えるクリステルの耳に、マストに上って周囲の状況を確認していた船員の声が届いた。
「船長! 何か、別の船が近付いて来ていますぜ!」
その言葉が、自分の生きる道を大きく変える発端になることなど、この時のクリステルはかけらも考えていなかったのである。




