(26)新しい糸と魔法
デキスとシニスの特性を調べる前に、カイトは普通(?)のカイコガたちがいる部屋に向かった。
こちらの部屋では、既に何頭ものカイコガたちが卵を産んで役目を終えている。
前世の記憶の中で何度となく経験していることではあるが、少しだけ寂しいという気持ちもあり、こればかりはどうしようもないことである。
だからこそ、海人であったときには、家族揃って『お蚕様』と感謝と敬愛の念を込めて呼んでいたのだ。
クーアも含めて数人の天使たちで世話をされている蚕たちは、今のところ病気をすることなく元気に卵を産んでくれている。
これから先、数日も経てば卵から蚕が生まれて、何度か脱皮を繰り返してから繭を作るはずだ。
そうなれば、いよいよカイトの出番となる。
勿論、蚕の生育に関わることも重要だが、一番大切なのは繭から生糸を作り出すことだ。
ここだけは、まずカイトが行わなければならないというのが、フアからのお願いであり次のクエストにもなっている。
生まれた蚕たちが元気に育ってくれなければいい生糸も取れないので、カイトはこうして頻繁に蚕たちを見守っているというわけだ。
「――うん。今朝見た時と変わっていないみたいだな」
「ちゃんと環境は整っていますからねー」
カイトの言葉に、クーアも満足げに頷いている。
これだけ頻繁にカイトが蚕部屋に来ているのは、神域とはいえ初めてになる環境に、カイコガが耐えられているかを確認するためである。
人の手によってでしか育成することができないと言われる蚕は、それだけ気を使う必要がある。
といっても、それも最初のうちだけで、次のカイコガたちが卵を産んで一周できれば、今ほど注視する必要はないだろう。
それに、そこまで生育できれば、天使たちも慣れることができるはずだろう。
カイトはそこまでのことを考えて、今の蚕たちの状態を確認している。
クーアたちはある程度の知識をフアから教えて貰っているようだが、実践となると初めてのことだ。
となれば、やはりカイトの経験は非常に大切な意味を持ってくる。
今のところカイトは、ほとんどをフアの神域かセプテン号の中で過ごしている。
これから先、もし蚕たちに何かがあった時には、すぐに対処できるようにしているのである。
♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦♢♦
蚕たちの状態を見終わったカイトは、そのまま養蚕小屋の中に用意された自室へと向かった。
セプテン号の船長室に寝室は用意されているので、その部屋は実質的に蚕を研究するための場所となっている。
もっと細かいことをいえば、デキスとシニスの生態を確認する部屋、ということになる。
「さて、一応確認するけれど、デキス、シニス。新しい糸は作れるようになったか?」
「「ピピ」」
椅子に座ったカイトの問いに、机の上に降りてきたデキスとシニスは体をゆすってきた。
すでに何日かこうした会話を繰り返してきたためか、カイトにはそれが否定の意味だということがわかった。
何度もフアに通訳をしてもらって、通じるようになった成果ともいえる。
その最大の功労者であるフアは、カイトが実験(のようなもの)を始めると分かっているためか、肩から降りて邪魔にならない位置にいる。
ただし、その位置はきちんと自分の声が届く位置で、いつでもカイトのフォローができるようになっている。
カイトもそのことは理解しているので、ちらりと確認するだけで特になにかを言うことはない。
これもまた、何度も繰り返されてきた行動だからである。
「そうか。新しい糸は無しね」
カイトは、そう呟いてから机の引き出しを開けた。
その中には、三種類の糸が入っていた。
それぞれ、普通の絹糸、金属光沢が混じっている硬めの糸、光に反射して淡く発光している糸になる。
カイトは、それぞれの糸の区別が付けやすいように、絹糸、硬絹糸、魔絹糸と名前を付けた。
最初の絹糸はともかく、あとの二つはそれぞれの特性にもとづいて付けた名だ。
その名前の通りに、硬絹糸は物理的な硬さがあり、魔絹糸は魔力を帯びている。
そして、硬絹糸はデキスが、魔絹糸はシニスが作り出すことができる。
ちなみに、普通の絹糸はデキスとシニスの両方が出せる。
「――さて、何から調べるか……」
「まずは強度を調べると言っていなかったかの?」
カイトの呟きを拾って、フアが床の上に寝そべりながらそう返してきた。
「そうなんだけれどな。ちょっと問題があることが分かったんだよ」
「ふむ? どんな問題かの?」
「俺は魔法が使えない。それに、剣とかの武器もない」
絹糸に関しては、小屋の中にある道具を使えば糸としての価値を確認することができる。
ただ、硬絹糸と魔絹糸は、性質を調べるにしても、そもそもどう調べればいいのかが分からないのだ。
「そんなことだったら、クーアにでも頼んだらどうかの?」
「あれ? クーアに頼んだ時、一緒にいなかった?」
「なんだ。既に頼んであるのであれば、その結果を待てばいいのではないか?」
基本的にはカイトと一緒にいるフアだが、特に養蚕小屋にいるときには離れた場所にいることもある。
カイトは、硬絹糸と魔絹糸の調査を既にクーアに頼んでいるのだが、ちょうどそのときにフアはいなかったようである。
「まあ、そうなんだけれどね。何か自分でもできることはないかと」
「ふむ。であれば、いっそのこと魔法を覚えたらどうかの?」
「えっ!? 覚えられるのか?」
この世界に魔法があることは分かっているが、孤児院で育ったカイトは魔法を教わる機会など欠片もなかった。
前世の記憶関係なしに、魔法を使えるようになることには憧れのようなものを持っていたので、覚えられるなら覚えたいというのがカイトの本音だ。
「できると思うぞ。というか、カイトは既に魔法を使っておるではないか」
「へ?」
思ってもみなかったことをフアから言われて、カイトは気の抜けたような声を出した。
「何だ。気付いていなかったのか。デキスとシニスの契約は、魔法ではないか」
「あれは、クーアがいたから出来たんじゃないのか?」
「それはそうなんだが、そもそも魔法的な素養がなければ、契約自体ができないからの。何が使えるかはすぐに断言はできないが、何かは使えると思うがの」
「そうなのか。だったら魔法を覚えたいな」
「であれば、クーア……ではなく、アイリス辺りに頼んだ方が早そうだの。そちらのほうがカイトに魔法を教えるには向いているであろ」
「よくわからないけれど、そうなのか」
「うむ。……ああ、そうだ。頼みに行く前に、クエストの確認でもしてみたらどうかの?」
フアの言葉に首を傾げつつ、カイトはすぐに了承した。
今いる部屋にはパソコンはないが、クエストを確認することはできる。
「――――えーと……? ああ、このことか」
クエストを確認したカイトは、新しく『魔法を覚えよう』というクエストが増えていることを確認した。
「ていうか、こんな簡単にクエストって増えるものなのか?」
コンからのクエストは、長い期間をかけて完了していくというのが一般的なイメージである。
それが、これだけ短い期間に、しかも今のところ簡単にクリアできてしまいそうなものしか出ていない。
「まあ、普通ではないことは確かだが、カイトの場合は吾と会話ができるという利点があるからの」
通常の魂使いは、長い年月をかけて意思疎通が図れるようになっていく。
それ以前に、そもそも魂使いになってもコンを得るまで時間がかかる者も少なくないのだ。
それを考えれば、カイトが既に得ているものは、チート級であるといっても過言ではない。
フアに言われて改めて自分の立場を理解したカイトは、様々な思いを込めて大きく息を吐きだすのであった。




