第20話 誰が居候娘よ
私は「ごめんまた後で」と幽深くんに伝え、スマホをそのままポケットへ仕舞う。
そして男に対する警戒を強めながら、様子を注視する。
緊張感のないへらへらとした表情を崩さず、私の方へ近づいてくる。
お母さんも言っていたけど私のことは知っていたらしい。
私たちの家にいた理由もわかっている。
けれど、お母さんのことをあの女なんて呼ぶ人間が、善意だけで行動を起こしたとは信じられなかった。
「いやさぁ、寝て起きたら亜希が働いてる店から電話がかかってきててさ。何かと思ったら過労で倒れたって言われるじゃん。それで車飛ばして病院まで来てみたら君がいたってわけ。今から帰るとこ?」
「……今日の面会時間は終わってますよ」
「マジ? ないわぁ。完全に無駄足じゃん。仕方ねえから明日また来るか。君もついでだし送っていくよ。帰るんでしょ?」
「大丈夫です。自分で帰れるので」
男の誘いは断る。
第一、私が帰るのは幽深くんの家。
明らかに信用できない男の車に乗ってもちゃんと送ってくれる保証はない。
それに、車は逃げ場がなくなってしまう。
家まで連れ込まれてしまったら、どうなるか容易に想像がつく。
「つってもこんな時間に女の子が一人で出歩くのは危ないよ? 俺の車なら安心安全。この間納車したばっかりの新車に乗ってみたくない?」
「興味ないので」
「つれないなぁ。あの女みたいにバカじゃないらしい」
肩を竦めて男が呟く。
それから私へ注がれた視線は、粘ついた欲望で満たされていた。
「……っ」
思わず鳥肌が立つ気持ち悪さ。
私をそういう目で見ているのを隠す気のない視線に、一歩後ずさる。
それに気を良くしたのか、男があざ笑うかのように口角を上げた。
「あの女、浮気されて離婚して、お前を養うためにキャバで働いてたんだってな。三十超えたおばさんに価値なんてねえのによ。媚び売ってくる姿に笑いそうになったのを何度堪えたことか。そうやってたら気を良くしたのか家のことまで話し始めてさ。大して面白くもねえ話を聞いてたら、なんとJKの娘がいるらしいじゃん。そこで俺は考えた。親子丼って美味そうだよなぁ、って」
「…………最低ね」
「これはただの等価交換だろ? 俺は金を出す。お前らは身体を俺に差し出す。お互いウィンウィンの関係。それを望んだのはお前のバカな母親だ」
「確かに望んだのはお母さんかもしれない。でも、そう仕向けたのはあなたでしょう? お母さんの気持ちに付け込んで、甘い汁を吸いたいだけの下劣な男」
「いいや? 俺は約束を守る男だからな。事が済んだら金を振り込むつもりだったさ。投資の天才だからな、金は余ってんだ。……でもよぉ、貰えるはずのモンを貰ってねえのに俺だけ金を渡すのも違うだろ? お前が家出して、予定が狂った」
そのつもりがあったと隠すことなく白状する男。
お母さんは私を勘定に含めた約束なんてしていない。
あくまで差し出すのはお母さん自身の身体だけのはずだった。
騙したのは男の方。
仮にお母さんが騙されたのだとしても、騙す方が絶対的に悪い。
「……未成年に手を出すつもり? れっきとした犯罪よ」
「この期に及んで強気だねえ。そういう舐めた女を屈服させるのも燃えるからいいけどさ。てか、マジで可愛いな。あの女とヤってるときにちらっと見えて、絶対逃さねえって決めてたんだよ」
「私と二人だけになった時に襲わなかったのはなぜ?」
「無理矢理ヤってバラされて、訴えられたりしたら興ざめだろ?」
「……聞いて損した。捕まるのが怖いなら初めからやらなければいいのに」
わかりきっていたけれど、遊び半分でそういうことをやろうとしていただけ。
そう指摘すると、男の表情が段々と歪んでいく。
既に私を逃がす気はさらさらなく、完全に狙われていることを悟った。
……やりすぎたかも、しれないわね。
こんな安っぽい挑発にも乗るなんて想定外よ。
普段の調子で話していただけなのに。
指を鳴らしながらくつくつと笑って、
「世の中を知らねえらしいから教えてやるが――犯罪ってのはバレなきゃ何もなかったのと同じなんだよ」
「――――ッ」
私へ迫り、腕を強く掴んで引っ張る。
大人の男の膂力で引っ張られて踏ん張れるはずもなかった。
つんのめるようになりながらも、腕を引っ張られていることで倒れずに済んだ。
「放してっ、放しなさいっ! 大きな声を出したら誰かしらが気づくわよっ!?」
「黙れよ」
「っは、ぁっ」
瞬間、お腹に鈍い衝撃を感じた。
男の左拳で殴られた、らしい。
苦しさと鈍い痛みが襲ってきて、吐き出された息に唾が混じる。
「顔に傷ついてたら冷めるからな。腹パンで勘弁してやるよ。わかったら大人しくついてこい。帰ったら壊れるまで可愛がってやる」
「……っ、だれが、あんたなんかに」
「まだ立場がわかんねえのか。顔が良くてもバカは母譲りってか?」
はっ、と鼻で笑いながら、男は再び私の腹を殴ってくる。
私の口から漏れるのは声にならない呻きだけ。
本当に、自分の弱さが嫌になる。
たった二回殴られただけで、抵抗する気がどんどん萎えていくのを感じてしまう。
いっそ折れてしまえば楽になるのかもしれない。
運命を受け入れて、男の言いなりになって、気が済むまで凌辱される。
……なんて、少し前の私なら考えていたのかもしれないけれど。
「………………バカは、どっちよ。この不細工」
吐き出すのは諦めじゃなくて悪態。
こんなゴミみたいな社会通念しか持ち合わせていない不細工男にくれてやるほど私の貞操は安くない。
私は私を大切にするって決めた。
身体も、心も、何一つだって譲るものか。
「……チッ。口の減らねえ女だが、まあいい。連れ帰ってハメ倒した後に同じことが言えるのか見物だな。俺が楽しんだら知り合いも呼んでマワしてやるよ。でも、お前は大好きなお母さんに心配かけたくねえんだろ? 娘がぶっ壊されてんのに気づけねぇ母親……ははっ! 傑作だろ!!」
男は笑いながら私を引きずっていく。
抵抗を試みるも、その度に押さえつけられ、腹を殴られる。
視界がぼんやりと滲んできた。
強がっていても、怖いものは怖い。
涙が溢れてくるのも、脚の震えも止まらない。
呼吸だって乱れに乱れ、思考もおぼつかなかった。
どうにかして逃げないといけないのに。
私はこんなところで終わりたくないのに。
限界が近付いてきたのを自覚する。
「さぁて、車に着いたぜ。無駄な抵抗ご苦労さん」
ピピッ、と車のロックが解除された音が無常に響く。
またしても引っ張られ、後部座席のドアが開いた。
そこへ無理矢理押し込まれ――
「――うちの居候娘を返してもらうぞ」
その声が届いた瞬間、安心したのはなぜだろう。
理由なんて定かじゃない。
確証があったわけでもない。
なのに「助かった」と確信したのは……私がそれだけ、彼のことを無意識で信じていたからか。
徐々に早まる足音を聞いて男の手が止まり、
「あぁ? お前誰……ぶへぁっ!?」
男の無様な呻き声と倒れる音が聞こえたかと思えば、私の身体がそっと抱えられる。
押し付けられる暖かくて硬い感触。
背中に回された腕、私の顔のすぐ横に彼の顔が埋められていた。
浅く息を吸うと、シャンプーの甘さと汗の酸っぱさが混ざった、なんとも言えない匂いが肺を満たす。
「悪い。遅くなった」
「…………誰が居候娘よ、バカ」




