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蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
一部  恩返し
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「…?…なに…?」

すりすりと、頬を撫でるくすぐったい感触にリュクレスは目を覚ました。

眼を開くと、そこには白い世界。

ああ、そういえば。見えなかったんだっけ

ぼんやりと、そう思い出して、手を伸ばした。

温かく、柔らかい毛並み。小ぶりな身体はしなやかで。

「にゃぁ」

その鳴き声に、驚いて目を丸くする。脳裡に浮かぶのは金色の瞳の黒い猫。

「君は、…あの猫さん?」

「にゃ」

肯定するように返される、鳴き声。

ごろごろと、甘えるように喉を鳴らし、頬に身体を擦り付けられる。

「ふっ、くすぐったいよ。また会えたことは嬉しいけど、どうしてここに?」

流石に猫が返事をしてくれるわけはないとわかっているけれど。

不思議に思って尋ねると、応えは別のところから返った。

「それは、俺の相棒ですよ。リュクレス様」

「ソル様?」

「はい、俺です。ああ、まだ身体は起こさない様に。今動くと薬のせいで頭痛が長く続くことになりますから」

見えもしないのに半身を起こして声の主を探そうとするリュクレスを、ソルの手がやんわり押し返し、ふかふかの寝台の中に戻した。

それから彼は、手を伸ばし猫に触れたようだった。

甘える様な鳴き声が聞こえる。

「この子に命じて、君の監視をさせていたんです」

「ソル様、猫とお話しできるんですか?!」

羨ましそうにきらきらとした表情を向けるリュクレスは、相変わらず、良くわからないところに食いついてくるなと、苦笑するソルに気がつかない。

「いいえ、単純な合図を教え込ませているだけです。こちらの言葉は通じていますから、意思表示の合図を何通りか教え込めば、やり取りは出来る」

「そうなんですか。ああ、こちらの言葉は分かるんだ。へへっ。ありがとう、君のおかげで寂しくなかったよ?」

伸ばした手は猫の身体を掠めただけだったが、彼の方から身体寄せてくれる。

「にゃぁ」

ざらついた舌が頬を舐める。「どういたしまして」ということなのだろうか。

リュクレスは嬉しそうに笑った。

黒猫と娘が戯れているのを、ソルは静かに見守っていた。

ひとしきり遊んだ後に、リュクレスは気になってソルに尋ねた。

「ソル様、この子の名前はなんていうんですか?」

「ルードといいます」

「ルード…素敵な名前ですね」

見えない目で、そっと、頭や顎の下をころころと撫でる。ルードは気持ちよさそうに喉を鳴らした。

「ソル様、ありがとう。ルードさんをずっと傍に居させてくれて」

前触れもない感謝に、ソルは驚いてリュクレスを見る。

リュクレスはその沈黙に柔らかく微笑んだ。ソルが否定しようとも、この感謝はリュクレスの本音だ。

「…俺は貴女を助けないと言い、本当に助けなかった。どんな状況に陥っているか知っていてさえ、俺は命令を優先した」

苦りきった、吐き捨てるような口調に、ソルの苦悩と後悔の深さを感じてしまう。

眼が見えない分、それはわかりやすい気がした。

「貴女を見捨てたようなものだ。その言葉、どの面下げて受け取れるんです?…なんで、感謝なんかするんだ」

弱弱しくさえ聞こえる、自分を責める力のない声。

「初めから、ソル様は嘘を吐かなかった。最初から事実を言ってくれたから、辛くても、覚悟を持てたんです。それにルードさんは、傍に居て私の心を支えてくれました。私の前に現れる様に命令してくれたのはソル様でしょう?だから。ありがとうございます、です」

リュクレスも罪悪感なら、持っている。助けてもらえるとは思わなかった。

それは仕方ないと思っていたけれど。

逆を言えば、助けてくれると信じていなかったのだ。

だけど、助けてくれた。

助けてと、助けを求めてしまったリュクレスを許してくれた。

だから、きっと、お互い様なのだ。

この、胸の疵も痛みも。


唐突に、思い出したことがある。

黒猫を初めて見たとき、その動きと、黒い姿に抱いた既視感。

理由に漸く辿り着いた。

ソルとルード。瞳の色は違うがどこか似ている。

それは、どこか不器用な優しさなのかも、しれない。


「ね、ソル様。ソル様もヴィルヘルム様も、私を見捨ててなんかいないです。ちゃんと助けてくれました。…助けは、来ないかもって、思った私の方が…謝らなくちゃ」

リュクレスの笑みは穏やかだ。偽りのない、無作為な笑顔。

堪らない思いに、ソルは胸がきりきりと音を立てて軋むのを感じた。


彼女は気付いていない。

自分に深く大きな傷が残っていることを。

否、気が付きながらも血を流したままの傷跡に、笑顔でそっと蓋をする気なのだ。

血を止めて、癒すことをしなければ、いつか。

その傷がいびつな形で残ることを知らないはずもないのに。

ソルは思い知る。

悪意のある者達から、身体は救い出した。

だが、まだリュクレスを助けられてはいないのだと。

間に合ったと思っていた。だが、そうではなかったのかもしれない。

…遅かったのかもしれないという恐怖にも似た悔恨がソルを襲う。

リュクレスの目が見えなくてよかった。

ソルは表情を作ることが出来なかった。

疑問符を浮かべたリュクレスは、その手で黒猫の背を撫でながら、小首をかしげている。


(ああ、主。早く、この子を救ってあげてくれ…!)


あの屋敷で感じた感情を、恐怖を、辛さを、仕舞い込む強さはリュクレスを壊すだけ。

壊れていてももらっていくなどと、主に言ったけれど。

ソルは、彼女があどけなく無邪気に笑うことができるなら、それがいい。


欲しいのは、取り戻したいのはその日向のような彼女自身なのだから。









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