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幕間  -伝令騎士の場合-



「確かに春だけどさー」


晴れ渡る空を仰ぎながら、チャリオットは呆れたように感嘆の吐息を漏らした。

陽射しは暖かく、そよ風は心地よい。

春は春でも、冬の長いオルフェルノにとって、初春に近いこの時期にこの陽気は珍しい。

半月先、いや、ひと月先くらいの気温ではないだろうか。

つい先日までは例年通りの気温だったのだ。それを証拠に周囲を見渡せばそこかしこに薄っすらと白い雪が残っている。

だからこそ、呆れてしまうのだ。


望む天候さえも引き寄せてしまう将軍に。


「さすが将軍だよね。……あの人、時々、人間やめてると思う」

そらを読むことに長けた将軍でも、さすがにその行方までは左右できない。そんなことは十二分理解しているが、愛しい娘に対する溺愛っぷりが半端なさすぎて、やってのけてしまっても何ら不思議はない気がするのだ。

実際、やったと言われても誰も驚きはしないだろう。


むしろ全力で納得する。


「……まあ、強運の持ち主であることは確かでしょうね」

チャリオットの隣で同じように空を見上げていたソルは、その言葉を否定することなく、けれどと、少しだけ可笑しそうに続けた。

「それよりはリュクレスの日頃の行いの賜物、と言うほうがしっくりきませんか?」


強引に引き寄せたというよりも、彼らを祝福するように降り注ぐ穏やかで温かな陽光。

里山の緑は色鮮やかに、瑞々しく雪解けの露に煌めいて眩く。

高い空は何処までも澄み渡り、頬を撫でる風はとても柔らかい。


その長閑な光景をよくよく見渡して、チャリオットはなるほどと頷いた。

「あはは、確かにそっちの方が正解の様な気がする」


日向ぼっこが好きな少女の結婚式にはぴったりの明るい天気。

何処かで本物の冬狼もまどろみながら、のんびりと見守っているのかもしれない。


そう思ったチャリオットは、ふと、教会の中のステンドグラスの冬狼を思い出す。

物言わぬ神の静謐なる眼差しが脳裏に甦り、己の心なのに不可解な程、胸がざわめいた。

さっきまで胸を占めていた温かい陽だまりに、不意に差し込んだ陰影。

その理由がわからなくて。


「……あの守護狼様はいったい何を考えているんだろうな」


その問いかけは、自分の声とも思えない程、頼りなく響いた。

あまりにも、らしくない。

自嘲する想いを隠して、いっそ混ぜっ返そうとしたチャリオットは、向けられた黒曜石に瞳に言葉を呑み込んでしまった。

チャリオットの揺らぎに気付いているのかいないのか。

青年はただ、真っすぐにこちらを見ていた。

いつもの様子で軽く首を傾け、けれど、返されたのは彼にしては呑気な声。

「案外、何も考えていないのかも」

「は?」

「俺には、のんびりまどろんでいるだけにしかみえませんから。神に何を望むのか、それは人それぞれ。だから、あの瞳に答えを探しても、その答えは人によって違うと思いますよ?」


モザイクだから、狼の姿は鮮明なものではない。

それなのに、伏した姿は雄然と、その瞳は曠遠こうえんとして映る。

その輪郭を補っているのは、きっと人の心だ。


冬狼のまどろむ国を望むから。そこに向かっていると信じられるから、ソルには狼はまどろんでしか見えないという。

だが、チャリオットにはそうは見えなかった。

あのに何を見たのか、ソルは聞いてはこなかった。

彼は、聞いてほしくないことは聞かない。だが、耳は傾けてくれるのだから、なるほどリュクレスの言う様に優しいのかもしれない。


と、ソルを見直したのは一瞬。


「…それで?」

僅かな沈黙を破り先を促した声は、さり気ないというよりは何ともぞんざいなものだった。

仕方ないから聞いてやると言わんがばかりの視線に、チャリオットはどうにも素直になれずに空惚ける。

「それでって?」

「つまるところ、貴方はどうしたいんです?」

それなのに、唐突に核心を衝かれて、素で返答に詰まった。

事情など聞きもしないわけだから、全てを知っているわけではないはずだ。彼はただ、チャリオットが見せた小さな葛藤をしっかり把握して、遠慮なく切り込んで来ただけだろう。そんなソルという男に、やっぱり優しくないとチャリオットは臍を曲げそうになる。


昔話などする気は無い。

相手もそれは分かっている。

だから、聞いてくるのは結果だけ。

……将軍と言い、この従者と言い。


本当に、全く。優しくなんかない。


これじゃあ、迷ってなんていられない。呑気に拗ねてもいられないじゃないか。


そんな風に思いながら、気が付いてしまった。

……答えなんてとっくの昔に出ていたんだ、ということに。

同時に、何故か当の本人よりも先に気が付いていたらしい年下の青年を前にして、チャリオットは頭の中ではたはたと白旗がはためくのを感じていた。


らしくもなく、冬狼のあの瞳に揺さぶられた己の気持ち。


母国から届いた手紙に、全部投げ出して逃げてきた自分を思い出し、まだすべきことが残っているのだと突きつけられて。

生じたのは、迷いなんかじゃない。

ただの戸惑いでしかなかったのだ。

だからこそ。


(ああ、そうか。俺は、自分の気持ちを形にしておきたかったのか)


今まで通り、此処に居たい。


この国で自分が出来る事をする。それは自分自身が決めたことだ。

そして、チャリオットの追憶の中にある故郷を体現したような少女とその彼女を大切にする将軍を、気の置けない仲間たちと見守っていけるこの場所が、とても大切だと思うから。

やり残してきたことは、たしかにチャリオットの中に少しだけ罪悪感を残すけれど。

それでも、ここを離れたいとは思わない。

失くしたものにこだわって、いま大切なものを失うなんて耐えられないから。


だから。


「今まで通りがいいなぁ」

ぽつりと呟けば、最初からその答えをわかっていたかのように、ソルは少しだけ口元を緩めた。

「なら、そうすればいいんです。その為にする努力ならば、何の文句もないでしょ?」

「確かにねー」

嘆息交じりに返事を返した途端、鼻で笑われた。

「新婦の方は呑気なくらいなのに、ただの参加者の貴方が何ナーバスになってるんですか。全く、似合いもしない」

「うわー、何気に酷い。俺結構、繊細なのよ?」

「寝言は寝てから言ってください」

遠慮のないやり取りにいつもの感覚が自然と戻ってくる。


晴れた空、空気に溶けた春の匂い。

長閑な片田舎の教会に、王都の大聖堂の様な荘厳さはない。

子供の声が響いて、見上げれば空に花が舞っていた。

鐘楼から降る色とりどりの花弁は、子供たちが降らせているに違いない。

柔らかで、色鮮やかな、花の色彩。

オルフェルノの英雄の結婚式というにはあまりにも控え目で、慎ましやかなものだけれど。


誰の顔にも笑顔が浮かぶ。

純然たる祝福の溢れる温かくも優しいそれは、そこに居る者達が願い、紡いだ幸せ。



ああ、本当に。

良い結婚式だ。



チャリオットは静かに笑った。

今ならば、冬狼はどんな表情かおを見せてくれるのだろうか。







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