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スヴェライエの侍女たちとは異なる侍女服を身につけたその女性は、積もる雪に足を取られないようゆっくりとした足取りで、南の庭園を歩いていた。
緑のアーチをくぐると、そこは小道になっている。先を行くと、両側にイチイの垣根が壁のようにそそり立ち、まるで迷路のようだ。
時折開ける所々から、庭が全く違う景色を見せる。
浮島の上に建てられた王城の中の庭とは思えないほど広さを感じさせるのは、その特異な造園技術によるものだ。垣根を仕切りのように上手く使い、幾何学模様に刈り込まれた生垣や植え込みは、方向や角度によって違う模様に見えるよう設計されている凝り具合。精緻な文様や美しく絡み合う自然な蔦の流線、絵画のように遠近法の使用された花壇の配置に、だまし絵のごとく目を錯覚させる詐術的な技工も凝らされ、冬の少ない色彩でも目を楽しませる工夫が至るところに施されている。
その庭の片隅に、さり気無く建てられた銀色の建物があった。
大きな半球体のその建造物は、鋼の枠組みと、嵌め込まれた硝子で出来ていた。
少々変わった建物だが、温室である。
一面、白い雪に覆われた銀世界に、銀色の枠組みと、硝子が光を乱反射させる。
天井部に積もった雪がじりじりと陽光に温められ、時折、音をさせて勢いよく滑り落ちる。
照り返す光は宮殿に届くことがないように計算され、木々が不自然にならないよう配置されていた。
冬の弱い日差しさえも上手く取り込むように設計されたその温室は、庭同様、数年前に亡くなったオルフェルノの天才が残した遺物である。
籠城に対応するため、この王城には多くの設備が整っている。この温室とその周囲の薬草園もその一つ。
「素晴らしい薬草園だわ…」
その目的など知らなくても、その素晴らしさは理解できる。
目を爛々と輝かせて女性は感嘆の声を上げた。
フメラシュに勝るとも劣らない素晴らしい施設。広さはないが、その品種も、その種類の多彩さも分かる者にとって此処は垂涎の環境だろう。
(ここならば、きっと。…いいえ、必ず手に入るわ)
ふと、堪えきれずに笑みを漏らす。
ふらり、彼女はその先に足を踏み出した。
薬草は薬にもなるが、扱いを変えれば毒ともなる。薬として珍重されるものは比較的毒草から作られるものも多いのだが、反対に、毒草でないものから毒を作り出すことも出来る。
ただし、その知識は非常に稀少なものだ。オルフェルノではあまり知られていないのだろう。毒草を管理する区域警備は厳重だが、薬草園自体の警備はさほど厳しいものではない。
(やはり神様は姫の味方だわ)
ここに来るにあたって、思いもよらぬほど厳しい入国の検閲に、持っていた薬は海に捨てざるを得なかった。
けれど、今、目の前には素材の山。
(ふふ、なければ作り出しましょう。全ては姫のために)
女性は、うっとりと主人である少女を思い浮かべた。
「待っていてくださいませ。すぐに、貴女の望みを叶えましょう」
この国で得た協力者は、いとも容易く姫を裏切り、我が身可愛さに手のひらを返した。
ならば、そんなもの当てにはせず、いつものようにするだけのこと。
昏い微笑みには罪悪感など存在しない。
姫が彼女を魔法使いと呼ぶのは理由がある。
公女を傷つけた相手を、公女に靡かなかった相手を、薬は狂える作用で意のままに操る。
時に毒を使い、時に媚薬を飲ませ、時には睡眠薬や麻薬を与え、その時々に応じて相手を追い詰めた。結果は全て姫の望む通り。
無垢なる姫は知らないことだ。
魔法だと思っていてくれればいい。
ただ庭を楽しむかのように、時折葉に触れながら、侍女は足を進める。
歌を口ずさみ、その様子は踊るようだ。
そうして、彼女は望むものを目に留めた。きらりと貪欲な光が瞳に閃く。
「あら、可愛い花」
そう言って、気まぐれのように手を伸ばす。指先がそれに触れようとした瞬間、
「そこのご婦人、駄目ですよ。此処にあるものは全て王家の持ち物」
唐突に掛けられた声にぎょっとして、彼女は振り返った。
慌てて引いた手には、何も掴めてはいない。舌打ちしそうになるのを堪え、そこに立つ男に向かい、警戒を隠す。帯剣しているからには騎士、だろう。だが、その着衣は随分と軽装だった。まとっている外套も、旅装のようだ。温厚そうな相手の笑顔に、安心した振りをして、彼女は綺麗なお辞儀をすると微笑んだ。
「御忠告、感謝致します。とても可愛らしかったので…。あの、少しだけでも、駄目なのでしょうか?」
「残念ながら、例外は認められていないのですよ」
…そこに、目的を達成するための材料があるのに。
手を伸ばせば、すぐ届くその場所に。
誘惑に指先が震える。
にこにことした笑顔を絶やさない騎士に、侍女は残念そうに吐息を漏らした。
そっと頬に手を押し当て、目を伏せながら考える。
焦りは禁物。
(…出直しましょう。ここにあることはわかったのだから。次こそは)
「ああ、本当に残念なことですわ。…見て回るくらいは良いかしら?」
「でしたら、あちらにどうぞ。此処は薬草園。見て回るのであれば中央の方が目を楽しませてくれますよ」
「あら、そうでしたの。知らなかったわ」
「そうでしたか。それでは折角ですからご案内いたしましょう」
まるで道化師のように大袈裟なお辞儀をして、彼は侍女を誘導した。
「…ありがとう。お願いいたします」
(気が利かない上、図々しい。私を誘っているつもりかしら)
笑みを浮かべながら、心の中で忌々しげに悪態をつく。
垢抜けた軽い口調の男は、軽薄というよりはお調子者に近い。
「あれが、水の散歩道です。ほら、真ん中に噴水が見えるでしょう。今は雪に覆われて見えないのですが、あそこには妖精の彫像があってとても美しいんですよ。冬で残念でしたね」
「ええ、そうね」
相槌を打ちながらも、ちらりと後ろを振り向く。温室の側、垣根の左側。
(大丈夫、覚えたわ)
前を向き直ると、さも興味深そうに男のつまらない庭の案内を聞き流し続けた。
「ね、こっちのほうが見ごたえがあるでしょう?」
「ええ、そうですわね」
「では、私はこれでお役御免ですね。それでは、失礼します」
口説こうとしたわけではないらしい。単純に親切の押し売りをしてきただけのようだ。
彼は、しつこく絡むこともなく、案内を終えると呆気ないほどあっさりとその場から去っていった。だが、彼が向かうのは今まさに離れてきた、薬草園の方。これでは、彼の目を盗んで、薬草を手に入れることはできない。…出直すしかないだろう。
「邪魔な男」
彼女は静かに吐き捨てて、仕方なしに宮殿へと戻っていった。




