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「ええーっ!」

エステルの絶叫と、動じることの少ないクランティアの瞠目と、なんだか生温い王妃の微笑みに、リュクレスはおろおろと目を泳がせて、ヴィルヘルムを見た。

助けを求めるようなリュクレスの肩を優しく引き寄せて、ヴィルヘルムは瞳を和らげると、大丈夫ですよと、声無く伝える。

それから、王妃へと向き直り、いつものように臣下の礼を取った。


彼にはもう、リュクレスを恋人だと隠す気はない。


ルクレツィアは少しだけ不満そうな顔をして、座ったままのソファから、大切な友人を伴って部屋に現れた将軍に文句を言った。

「ずるいですわ、将軍。折角、貴方からリュシーを遠ざけたのに、こんなところで捕まえになってしまうなんて」

ルクレツィアはリュクレスを居住区域である領域から出していないのだ、男がどこで彼女を捕まえたのかなど聞かなくてもわかるのだろう。

だから、「こんなところ」という非難は甘んじて受けるとしても、ヴィルヘルムは些か面白くなさそうに顔を顰めた。

「…やはり、態とでしたか」

「当然ですわ。恋人に浮気を疑われるようなことをする貴方が悪いのですから。王宮に居れば、ルーウェリンナ様のことも当然聞こえてきますもの。説明もしておかないだなんて、なにか隠さなければいけない関係をまだ持っていると思ってもおかしくはないでしょう?」

「…彼女を呼んだ理由ならば、貴女も王から聞いていたはずでは?」

リュクレスが落ち込んでいる理由も、誤解をしていることも、ルクレツィアは気がついていたのだ。

それならば、一言伝えてくれれば、こうもすれ違うことはなかったはずではないか。

憮然としたヴィルヘルムに、ルクレツィアはむっとして口調を強めた。

「確かに。ですが、それは将軍の口から話すべきことでしょう。私から彼女に伝えることはできても、それではきっと不安を消すことにはなりませんわ。不安になることがどんなに辛いか、将軍も体験してみればいいのです」


ルクレツィアは、とても腹を立てていた。恋人として、優しい娘を縛るくせに、何も告げずに彼女を不安にさせて、自分だけ泰然とした態度を崩さない将軍に。


リュクレスの恋人として、合格点など、とてもあげられるものではない。

こんな状態で、大切な友達を男の元に返すつもりなどなかったのだ。

なのに、ヴィルヘルムはリュクレスを絡め取ってしまった。

なし崩しにしようものなら、リュクレス自身が執り成そうとも絶対にリュクレスを彼には渡さない。ルクレツィアの胸に秘めた静かなる決意に、ヴィルヘルムは隠すことなく、苦笑を漏らした。

いつもの、冷淡で悠然とした紳士はそこにはいない。


「どうやら、私は女心というものに疎いらしい」

「考える必要がなかったからでしょう?貴方は相手の女性が求めることを初めから理解していた。貴方が与えられるものも、相手が欲しがるものも。政治や戦争と同じように。けれど、リュシーは、違うもの。貴方に与えたいばかりのこの子が何を欲しているのか、ちゃんと向かい合わなければ、見落とすばかり」

「…そのようです。今回ばかりは、心から、自分の不甲斐なさを反省しました。それに、貴女の言う不安もたっぷりと、体験させていただきました。…ですから、どうか。これ以上、私からリュクレスを…私の花を取り上げないでください。心が渇れてしまいそうだ」

柔和な表情と、穏やかな口調に隠されているが、リュクレスの肩を抱くその手に僅かばかり力が入るのをルクレツィアは、見逃しはしなかった。

心配そうに、リュクレスがヴィルヘルムを見上げている。気遣うその小さな身体が、そっとヴィルヘルムに寄り添った。

確認する必要もないくらい、リュクレスに避けられるのは、彼にとって大きな痛手だったらしい。相当、懲りたのだろう。


仕方がないという諦め半分、してやったりの満足感半分。

けれど、まだ納得できない気持ちも残るのだ。

ルクレツィアは心配そうなリュクレスにほんのりと笑いかけると、気遣う声で尋ねた。

「ねえ、リュシー?彼を許してしまっても良いの?もう少し懲らしめても罰は当たらないと思うのだけれど?」

リュクレスは、とんでもないと大きく首を振った。

「ヴィルヘルム様は何も悪くないです。私が、自分に自信がなかっただけだから、私が悪いんです。罰だなんて、そんなの要らないです」

「泣きそうだったくせに、何言ってるの」

普段、寡黙で口数の少ないクランティアが口を挟んだ。

「リュクレス、いい?恋愛はね、惚れたほうが負けなどとよく言うけれど、互いに努力が必要で、どちらかが我慢すればいいってものではないよ。喧嘩をしたならば、どちらか一方が悪いなんてことは絶対になくて、お互いに足りないところがあるから、問題が起きるの。だから、貴女だけが悪いなんてことはない。そうですよね、将軍?」

物怖じすることなくクランティアは将軍に同意を求めた。

彼は、否定することなく頷き、リュクレスに笑いかける。

「私が今叱られているのは、彼女たちから見て、それだけのことを私が君にしたからでしょう。君に甘えてしまっていた私が悪いのですよ」

責められているのに、ヴィルヘルムはどこか嬉しそうだった。

恋人を取り上げられるのは癪だが、周囲の人間に彼女が大切されていること自体は素直に嬉しいらしい。

余りにも優しく恋人に微笑み掛ける将軍をみて、王妃は許すことに決めた。


ただし、釘を刺すのは忘れない。


「仕方ありませんね。ここで、駄目と言ったら、困るのはリュシーでしょうから…許して差し上げます。けれど、ジアが帰るまでは、屋敷に連れ帰らないでくださいませね?将軍」

「…そこは、妥協しましょう」

「もう、本当に反省したのかしら」

一瞬言葉に詰まった心の狭い男に、王妃もクランティアも呆れた声を出す。


そんな中で。


まだ動揺から立ち直りきれないエステルが、うるりと目を潤ませた。

「リュクレス、ごめんなさいっ!」

「ぇ?!」

駆け寄るその勢いのまま抱きつかれ、リュクレスは目を白黒させた。

後ろに倒れ込むところだった身体はヴィルヘルムに支えられる。

「え、エステルさん?ど、どうしたんですか…?」

何を謝られているのか分からずに、ただその身体を受け止めて、とんとんと背中を撫でるその姿はどちらが年上かわからない。

「ルーウェリンナ様のことっ。お似合いなんて言って…、本当にごめんっ」

数日前のお茶会で、庭先のルーウェリンナを見下ろして、エステルが言った言葉こそ、リュクレスを傷つけたのだと、そう気がついたのだ。

否定できない状況で、他の女性と恋人がお似合いだと言われて、重ねて婚約の話など告げられれば、それは不安にもなるだろう。泣き出しそうになるのも無理はなかった。

知らなかったとは言え、やってしまったことへの後悔は後から後から涙となって零れ出す。

「傷つけて、ごめん。取って付けたみたいで、信じてもらえないかもしれないけど。でもっ。リュクレスだって、将軍の隣、似合ってるから。ううん、リュクレスの方が、ずっと、将軍を素敵にしてる。だから、自信持って…っ!」


嘘でも、大げさなつもりもない。

いつも近付き難い雰囲気の将軍が、リュクレスの隣では本当に自然に笑っていた。その柔らかさは本来の冷たい美貌をとても温かく魅力的なものに変える。

将軍が、隣に寄り添う彼女を「私の花」と表現したのがしっくりと心に収まり、二人が隣り合うその姿は優しくて、暖炉の火のように温かい。


小さな身体が、エステルをぎゅっと抱きしめた。傍から見れば滑稽かも知れないその抱擁は、エステルにはとても温かく優しいものだ。

「ありがとうございます…」

感極まったように、震えた声が感謝の言葉を伝えて。

たったその一言で、エステルはリュクレスが許してくれたことを感じ取った。

可愛らしい同僚が、エステルの心無い言葉にどれほど傷ついたのか。

こんな謝罪じゃ足りないくらいだと思うのに。

エステルを見るその瞳に責める色はまるでなくて、澄んだ瞳で嬉しそうに、ありがとうと繰り返すから。

エステルはもう一度、優しい娘を全力で抱きしめた。







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