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蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
三部  黄色い薔薇の、花言葉
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「一難去って、また一難…ですか」

「少々、活躍しすぎたな」

円卓の上に置かれたそれを眺め、げんなりとため息を付いた右腕に、遠慮することなく王は苦笑した。

積まれていると言っても過言ではない数のそれは、押金装飾の装丁の豪華なものばかり。所謂縁談の肖像画である。勿論、国王宛のものではない。

それは全て、国王補佐であるヴィルヘルム将軍に宛てられたものだ。

「今までもこの手の話は無くもなかったが…急に増えたな。ルーウェは盾の役目を失ったか」

「逆にここまでよくもったもの、というべきでしょうね。ルーウェリンナ様々ですよ」

オルフェルノ内でのヴィルヘルムの立場は既に磐石のものとなっている。

王の覚えもめでたく、国民にも信頼される将軍。その彼と婚姻で結び己の発言力を増したい貴族は少なくない。にも関わらず彼らが行動しなかったのは、ひとえに、ヴィルヘルムが先の王妹、現エルナード公爵であるルーウェリンナの恋人と目されていたからである。彼女の存在は有力な貴族たちであっても無視できないものであった。だが、噂がたち10年を過ぎ、婚約すら一向に成立しない状況に、その関係が仮初のものだと流石に露見しつつあるようだ。

今までの将軍の輝かしい功績に加えて、先の外交の成功が改めて国内外の彼の評価を高めたことが決め手となって、結果、彼らも指をくわえているばかりでなく手を打つことに決めたらしい。そうして出来上がったのが、この肖像画の山である。

「どうする?」

「勿論、丁重にお断りさせていただきますよ。全てね」

「ま、それはわかっていたが。ああ、ひとつ、知らせておく」

「…何か?」

アルムクヴァイドは山積みのその中からひとつを取り出して、ヴィルヘルムに向けて開いて見せた。そこに描かれていたのは、波打つ美しい金髪に同色の瞳、白い肌の可憐な少女だった。

「アリューシャ・クリスティ・フメラシュ。フメラシュ公国の第一公女ですね。彼女が何か?」

「外遊時グランブランド王国にも滞在しただろう?」

「ええ。西大陸の大国ですからね、当然行きましたが…」

「その時偶然、彼女はグランブランドにいたらしい。お前を見て一目惚れしたそうだ」

アルムクヴァイドの前でヴィルヘルムは表情を取り繕うことなく、ひどく不愉快そうな顔をした。

「で?」

「明日、フメラシュの使節団がハラヴィナ港に到着する。正使はクラウス公子だが、公女も親睦にかこつけて共に来訪する予定だ。肖像画を送りつけてくるだけでなく、直接口説き落としに来る気つもりらしい」

「明日?」

流石にヴィルヘルムも驚いた。口調から近々だとは思ったが、それにしても唐突過ぎるだろう。

「ああ、明日だ。お前がなかなか戻ってこなかったからな」

さりげない口調ながら、王の言う事はどことなく恨みがましい。

将軍がようやく登城したのは一昨日のことだ。

先だって行われた大掛かりな人事の刷新は当然ながら、避けきれない軋轢と混乱を生んだ。予想の範疇であるものの、その皺寄せは王にまで波及し、重ねて予定になかったヴィルヘルムの不在がそれに拍車をかけた。アルムクヴァイドは、ここしばらく寝室にただ寝に帰るような生活だったのだ。

彼は公明正大な賢君だ。大らかで、臣民の言葉にも真摯に耳を傾け、戦争となれば自ら前線に出て戦う頼りがいのある君主である。政務の内容を選り好みすることはないし山積みの仕事に不平を言うつもりもない。

だがしかし、誠実に執務をこなす王であっても四六時中机に書類に向かい合う作業が楽しいはずはなく、うんざりすることも事実なのだ。

なにより、王妃との時間が取れないのは頂けない。


そんな中であるから、本音を言えば公女のことなどはっきり言って忘れていた。他のことに比べれば優先順位は低く、面倒そうな友人に同情はするが、だからと言って来るなというわけにもいかない。結局のところ、要領の良い親友がそつなく対応することも、公女らの来訪が無駄な徒労で終わることもわかっているのだから、王としてはあまり気にも止めていなかった。

そのために、伝えるのもぎりぎりになってしまった訳だが、断じて意趣返し、というわけではない…はずだ。


「はぁ…」

困惑というよりも、面倒くさいという投げやり感を滲ませて、ヴィルヘルムが深い溜息を漏らす。それに苦笑を深め、王は改めてフメラシュの国章が型押しされた肖像画の表紙を眺めた。

フメラシュ公国とはアルムクヴァイドの代になり、国交を開いた国である。それほど古い付き合いでもないが、大国に囲まれながらも独立自治を守るフメラシュ公の老練なる手腕は見事なもので、過去にとらわれず状況に適切に対応し国を護るその柔軟さは感嘆に値する。今回の降嫁の話も公女の一目惚れは事実なのかもしれないが、オルフェルノとの関係を確かにしたいフメラシュ公の思惑が見え隠れする。まだ戦後の傷の癒えないこの国にとって、フメラシュとのこの婚姻が吉と出るか凶と出るか、微妙なところだ。

だからこそ、相手を王家ではなく、救国の英雄とはいえ、一貴族でしかないヴィルヘルムに絞ってきた辺り、流石に交渉能力にたけたフメラシュ公と言うべきだろう。

政略結婚としての交渉の余地はある。

しかし、ヴィルヘルムはすでに大切なものを見つけてしまった。手に入れてしまったのだ。アルムクヴァイドとしては、友人の想いを優先したいと思う。

それは個人としての感情だけでなく、ヴィルヘルムが、この国というものと正面から向き合う唯一の接点として、一人の娘の存在があるからだ。

冬狼将軍が、この国を守護する個人的な理由。

娘は何も持っていないと言う。何も与えられないと思っている。

だが、彼女だけだ。

彼女だけが、ヴィルヘルムを名だけでなく、名実ともに冬狼にする。

この国の最強の守護者であろうと、あの男に思わせることのできる稀有な存在。

それを奪うことは、オルフェルノにとって守護者を失うことと同義だ。

故に、公女の想いが通じることはない。

朗らかに微笑む絵の中の少女に、王は僅かばかりの憐憫を向けた。

出来ることならば彼女の傷心が浅く済むようにと、願うばかりだ。

「まあ、王都に辿り着くまでにはまだ数日あるから、準備は間に合うだろう。公女の情報は何かあるか?その絵を見る限りとても可愛らしい娘のようだが」

「純真無垢で、無邪気で、可憐。優しい、守りたくなるような姫…まあ、聞いた限りはそんなところだ。宮廷の奥で大切に育てられた箱入りの姫だよ」

身上書を読みもせずにアルムクヴァイドが訊ねると、諳んじるように、将軍はさらりと言葉を並べた。その形容詞が彷彿させたのは、先程から思い浮かんでいる、彼が離宮の奥に隠していた大切な花。

「どこぞの狼が大切にしている娘みたいだな」

からかい混じりの王の笑みに、冷ややかな一瞥が返される。ヴィルヘルムは前髪をかきあげた。

灰色の瞳はひどく不機嫌なままだ。

「…さて、どうかな」

その声音が、比べるべくもないと彼の感情を明らかに伝えていた。

この男にとって、彼の花は何にも代え難い唯一無二のものなのだろう。

その一途さに安心する反面、その執着を懸念する思いもある。だが、その老婆心も、結局、要らぬ世話になるだけかと、王は嘆息を隠した。

親友の彼女への想いはどう取り繕っても紳士的とは言い難い。だが、傷つけるのを恐れて獰猛なほどの本能を抑える姿は、らしくもなくて、どこか滑稽にさえ見える。

「微笑ましいものだな」と、内心思ったその言葉を口にしたならば、間違いなく白い目を向けられるだろうが、それも面白そうだと、王は鷹揚ながらにほくそ笑んだ。

「この調子だと、お前に婚約者がいることを公にしても、これは続くかな」

「…さあな。それはどうでもいい、どうとでもする。それより頼んでおいた件はどうなった?」

あっさりと話を切り替えたヴィルヘルムに、王は引き出しの中から一通の文書を手渡した。

「期待に違わず、というべきか。リュクレスのことを大司教は相当気に入ったみたいだ。早々に準備してくれた。これで、彼女が身分によって冷遇されることはない。貴賎結婚などとは誰も言えないだろう」

「助かる」

「全て使うんだろう?…教会の威光を使うとはよくも考え付いたものだが。権力を全て使ってすることが、あの娘を幸せにすることなら、俺も応援するさ。お前も幸せになることだしな」

アルムクヴァイドが励ますように肩を叩けば、ヴィルヘルムは手の中にあるものに目を落とした。

筒状に巻かれたそれは、教会の蝋封が施されていた。


リュクレスがリュクレスのままで、引け目など感じることなくヴィルヘルムの隣に居られるようにする。

それは、彼女を手に入れると望んだ時点で、ヴィルヘルムが決めたことだった。


叶える手中のものは、とても軽い。

それでも、こんな紙切れ一枚が、あの娘を守る盾となるのだ。


ようやく、だ。


「ようやく、これで先に進める」

深い感慨を滲ませて、ヴィルヘルムは噛み締めるように呟いた。アルムクヴァイドには親友の気持ちが理解できる。大切な人を妻に迎えられるその幸せを知ってしまえば、彼の急き立つ思いは得心のいくものだ。

「思ったより時間がかかったからな」

ヴィルヘルムが求婚しながらも、先に進まなかったのはリュクレスを大切にしたいがためであって、彼自身は早く自分のものにしたくてたまらないのだ。

初めから、先延ばしにすることなど露ほども望んではいない。

だからこそ、誰よりもこの時を待っていた男は、目を据わらせてアルムクヴァイドに言い切った。

「これ以上は俺も時間をかけたくない。…悪いが湾曲に断るなんて面倒なことはしないからな」

「好きにしろ」

…せっかちなものだな、と。

蒼天の瞳が意外なものでも見るように、ヴィルヘルムを見返した。

いつも落ち着き払った親友の、今までにない一面に、アルムクヴァイドは楽しそうに笑う。


彼らの結婚式は、そう先の話ではなさそうだ。






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