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蒲公英と冬狼  作者: 雨宮とうり(旧雨宮うり)
二部 夜の帳と水鏡
103/242

6



「今日の王妃の予定ですが、午前中はアサリナ様がいらっしゃいます。午後からは茶会ですね」

「アサリナ様…」

その名前を記憶の引き出しの中から引っ張り出すように、リュクレスは視線を彷徨わせた。

「王妃様の家庭教師のひとりでこの国の国史を教えている方、です。余計な世間話などは一切しない、とても真面目な方で、お茶はレモンを浮かべた紅茶を好まれます」

「正解です」

彼女の先生をしているのはカナンだ。

にっこりと合格をもらって、リュクレスはほっとした表情を浮かべた。

「午後の茶会には、こちらにある伯爵家と子爵家の婦人とご令嬢が参加予定です」

紙に書き連ねられた名前は、ざっと見て20名近くだろうか。

いつもと変わらない人数だが、初めてのリュクレスにとっては多かったようで、目を瞬かせていた。

「たくさん、ですね…」

「王妃主催の社交の場に参加したくない貴族はほとんど居りませんわ。毎月行っていますが、大抵このくらいの人数です。増えることはあっても、減ることはありません」

「は、はい」

「そんなに緊張しなくても大丈夫。貴女は王妃の横で、ご婦人方の情報をそっと王妃に伝える役です。よく観察していてくださいね。相手の表情、言葉、誰と誰が親しげなのか。誰が本当に王妃の味方か。…立ち居振る舞いなども見ておくと、今後の参考になると思いますよ」

さらりと言われた言葉に、リュクレスはこくりと唾を飲み込む。

王妃の味方は誰か…それを探すことの重大さは理解できているらしい。真剣に頷いたリュクレスに、アスタリアがはんなりと笑みを漏らした。

「あまり、気負わなくても大丈夫ですよ。8割くらいの割合で、御婦人方は深いことを考えてはいませんから」

目の前の事象に弱いのですよ、と。

問題なのは残り2割の目的だ。

「リュクレス、貴女の目に期待しています。難しく考えなくていい。貴女が、感じたことを教えて。相手が王妃に好意的か否か、それだけでも十分。私たちは王妃を守り、補佐するためにいるのですから」

「は、はいっ。わかりました」

返事をする新米侍女に、微笑みかけながらアスタリアは冷静に彼女を観察する。


将軍の大切な女性だと聞いていたのに、現れた娘のなんと幼いことだろう。


あの冷徹で知的な美貌の将軍の恋人ならば、どれほどに完璧な女性なのかと期待していた分、落胆と、一種の期待が胸を掠めたことは否定できない。

この娘が恋人になれるのであれば、―――あるいは。

その先をアスタリアはあえて考えないよう蓋をした。

冬狼将軍はアスタリアにとっても尊敬出来る憧れの人物だ。彼の恋人になりたいと思った女性は数多く。けれど、完璧な男は自分の横に決まった女性を置かなかった。

時折、隣に佇むことを許された女性は、誰もが美しく、冷たい氷の薔薇のような女性たち。だが、二度として同じ女性が彼の隣に立つことはなかった。

だからこそ。

男が選ぶのは大輪の花のような女性だと、勝手に思い込んでいた。

孤高の狼には気高い美しさこそ、相応しい。

彼の隣に、野に咲く野草のような素朴さなど似合わない。

だが、その個人的な感情は別にして、とても真面目に仕事を覚えようとするひたむきな姿には好感が持てる。

(リュクレスが憎めないいい子であることは確かなのだけれど…)

文字を読むことにすら戸惑うようなのに、泣き言は一度たりも言いはしなかった。将軍の名に甘えることなく、それどころか彼女から彼との繋がりが分かるような言葉は一切口にされたことがない。そして、ここに居る他の侍女同様に、王妃のために役立てる侍女に成ろうと努力を怠らず、働くということをしたことのない令嬢に比べれば余程仕事を覚えることも早いから、カナンなど教えることを楽しんでいるようだ。

知らないことが多すぎた彼女は、けれど水を吸う大地のように、色々な知識を吸収してゆく。王城内の施設、貴族の名前や、貴族なら当たり前の決まりごと、挨拶の仕方などの宮廷作法。王宮のことに関しては無知な娘だったが、それ以外の面では、カナンでさえも一目置く知識と行動力の持ち主だった。誠実で謙虚な娘は、だが、唯々諾々と言われるがままのことしかできない子供ではなかったからだ。

豪奢な王妃の政務室、その奥の資料室は実用的に整理されている。

雑然とした資料室を目にしたリュクレスが整理整頓を提案したのだ。種類ごとに分類し、必要のないものは捨て、見る間に綺麗に整然と整えられていく資料室を目の当たりにしてアスタリアたちは唖然とした。

始める前、資料室の整理に王妃まで巻き込もうとするリュクレスに驚き、そんなことは論外だとの反対に、彼女はとても不思議そうに首をかしげた。

「このお部屋の主人は王妃様ですよね?何が必要で何が不要か、誰よりも知っているじゃないですか。それに何が残っていて、どこを探せばあるのかそれを知っておいて損はないと思うんです」

王妃が責任感のある人物であるからこそ、リュクレスはそれが当たり前だと思ったのだ。

ルクレツィアもそれを理解して、承知する。楽しそうに微笑んで、

「確かに魔窟のようになっていますものね…私のずっと前の世代からのものですから、いつ整理したかも不明ですし。なにが見つかるか楽しみですわね」

まるで宝探しのようなことを言うから、リュクレスが困ったように笑った。

「それやっていると、絶対片付きませんよ?」

「あら?」

そんな、笑うしかない会話で、資料室の探索…基、整理は始まった。

丹念に清掃された部屋に埃はない。だが、部屋の中には古い紙の匂い、どこか饐えたようなインクの匂いが混じる。

日差しに傷まないよう、暗い室内はどことなくひんやりしていた。

部屋の掃除をする使用人たちは当然資料には触れてはならない。そして侍女が、王妃の物を捨てることも叶わない。だから、大掃除をするには確かに、王妃の協力がいるのだが、…誰ひとりそんなことを考えた侍女はいなかった。

王室の資料を捨てるなど…と始め否定的だったカナンも、恋文だの、仕損じの資料、はっきり言って無駄としか思えない王妃の無駄遣いのための要望書などが見つかるに至って、捨てることに何ら抵抗はなくなった。

目を通しては、破棄か残すかに分ける。判断の付かないものは、王妃へと渡す。

残す資料の内容を聞くとリュクレスがそれを書棚に戻しに行く。

流れ作業のような工程に、思っていたより時間はかからなかった。

政務の合間を縫っても数日で終わらせたのだからすごいものだ。

古い公的な資料は中央に残っているのだ、王妃の政務室に残すのは、その中で必要なものでいい。そう言えば使う資料など、ある程度限られていたからこそ、こんなに無駄なものに囲まれていたことに気がつかなかったのだと、カナンたちも納得する。

分類や整頓といった行動はリュクレスが淡々と行って、それがまた丁寧なのにとても効率的に進めるものだから、侍女たちは驚いた。リュクレスにとっては、膨大な量を誇る修道院の資料室を思い浮かべて同じように整理しているだけなのだけれど。

難しいことがわからないから、大雑把にしか分類をしなかった。それが逆に良かったらしい。数日かけて行われた資料室の大掃除が、仕事を非常に効率化させ、侍女たちを喜ばせるのは、これからのことだ。

王妃付きとして室内で学びながら、自分なりに考えて行動するその姿勢はどこか応援したくなる。

(私好みの可愛い子なのだけれど…やっぱり冬狼将軍の隣には似合わないわ)

少し残念そうに、アスタリアはこっそりとため息をついた。

カナンがちらりとアスタリアを見たけれど、何も言わずにリュクレスに向かう。

「王妃が家庭教師との勉強中に、貴女はダンスの練習と、午後の準備です。忙しいですよ」

「は…、あの、私」

「足が悪いことは聞いているから大丈夫。あまり負担にならない程度に短時間ずつね。まずはステップから始めましょう?」

「はい。…ありがとうございます」

「彼を驚かせるくらい踊れるようにしてあげる」

「…頑張ります」

誰をとは言わない。リュクレスも少し頬を染めただけで、笑い返した。






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