所有欲
夫になった男は、婚礼の日に出て行ったきり
1週間経っても戻っては来なかった。
最初の夜は、正直ホッとした。
もしあの夜彼が戻ってきたら
どんな顔をして出迎えたらいいのか分からなかっただろうから。
だが、彼の不在が一日二日と伸びていくにつれ
自分がないがしろにされているという思いが彼女を苛み始めた。
屋敷の者たちもどう思っているだろう。
クリスティーナは内心、恥ずかしさに身の置き所もない状態だった。
自分など、彼にとって取るに足らない女なのかもしれないと思ったが
それを認めることは彼女のプライドが許さなかった。
伯爵令嬢であるという矜持。
それが彼女を支えていた。
婚礼の日からちょうど10日たった昼下がり
クリスティーナは、客の訪れをばあやから告げられた。
「お嬢様。クラレンス伯がお見えでございます」
「エドワードが?」
クラレンス伯エドワード。クリスティーナの幼馴染。
若くして父の領地と爵位を継いだ彼は、裕福な貴族の跡取りらしい
屈託のない自信に溢れた青年だった。
「やぁ、僕のプリンセス。今日も一段と美しいね」
応接間で彼女を待っていたエドワードは
クリスティーナの姿を見るや、彼女を抱き寄せ頬にキスをした。
「エドワード・・・」
兄のように慕ってきた彼の抱擁に、心がほぐれていくのを感じて
クリスティーナはニッコリと微笑んだ。
彼はいつだって自分を世界一のプリンセス、そう呼んで崇めてくれる。
彼の訪れは、自信を失いつつあるクリスティーナにとって
いつも以上に嬉しいものだった。
「いつ僕の元へ来てくれるんだい?」
私たちにとってそれはいつもの挨拶だったが
その場に到着した男にとっては面白くないものだったらしい。
今まで聞いたことのない冷たい声に、私はエドワードの腕の中で凍りついた。
「ようやく麗しの我が妻のもとへ帰ってきたというのに
よもや他の男の腕の中にいる場面に出くわすとはな」
ビックリしたのはエドワードも同じらしい。
それはそうだろう。彼も私の結婚を知らされていなかったんだから。
「麗しの・・なんだって?」
エドワードが腕の中の私と、そして私の背後に現れた男を見比べた。
「聞こえなかったのか?我が妻、さ。
さぁ、彼女を放してもらおうか?」
冷たいが所有欲剥き出しの声。
クリスティーナは振り返らなくても、彼が今どんな目をしているのか
分かる気がした。
「クリスティーナ、本当なのか?」
彼の言葉を無視して、エドワードが尋ねた。
クリスティーナは一瞬、全てをエドワードに話してしまいたい衝動に駆られた。
だが、何かが彼女を引きとめた。
それが何なのかは分からなかったけれど
真実を今ここで告げることは躊躇われた。
「ええ。彼が私の夫だというのは本当よ」
力なく下ろされたエドワードの腕から抜け出して振り返ると
夫を主張する男と目を合わせる。
彼が頷くと、クリスティーナを自分へと引き寄せてから
エドワードに向き直って言った。
「そういう訳なので、お引取り願おうか。クレランス伯?」
エドワードはなおも訝しげに、そして気遣わしげに私を見つめていた。
「大丈夫なのかい、クリスティーナ、僕は・・・」
レイフが口を挟む前に、クリスティーナが弱弱しいがはっきりとした口調で
エドワードに答えた。
「大丈夫よ、エドワード。
ごめんなさい。こんな形でお知らせすることになってしまって・・・」
我が物顔で私を自分に引き寄せたレイフを苦々しく睨みつけたエドワードだったが
今は何を言っても無駄だと悟ったらしい。
「今日はこれで帰るよ、クリスティーナ。
また連絡する」
私の返事を待たずに、エドワードは部屋を出て行った。
顔を見なくても、夫となった男の怒りが体に回された腕から
伝わってくるかのようだった。
何を言われるのか、いや、何をされるのかと身構えていたクリスティーナだったが
彼は唐突に彼女を抱いていた腕を解くと、今しがたエドワードが出て行ったドアへと向かった。
「どこへ・・・行くの?」
彼の背中に、考えるより先に、つい言葉を掛けてしまった。
レイフはそのままドアを開けると、肩越しに言った。
「着替えをしてくる。そのくらいの時間は待っていてもらえるだろう?」
留守中、自分を待っていなかったと暗に仄めかしているんだろう
閉じられたドアに向かって、何かを投げつけたい衝動を
クリスティーナは必死に抑えなければならなかった。




