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第32話 愛が欲しかったフール

 信頼はされていない。

 自分でも知っていた。(わたくし)だって信頼していない。ただ、お互い付き合いの年数が長いだけの人だから。


「ビアンカ。お前がよく働いてくれているのは知っている。だがな、私は心配なんだ」

「心配……ですか」


 鋭い目付きでアウレリウス公爵は言った。

 オールバックにした金髪。目つきの悪い紅色の眼。


 彼を過去から知る(わたくし)はこの人の事を優秀な人だと、ことある毎に思っている。

 もし立場が立場なら、一国の王にすらなれる器だ。


 優秀さや情勢を把握するのに長けていることは勿論、国王として必要な冷酷さや野心も持ち合わせている。

 ただ、彼が持っていた野心は一つだけだった。


 ーーこの王国の第一王子、ファウスト殿下を立派な国王にすること。


 ファウスト殿下の優秀さは昔から有名だ。第二王子も優秀だと言われているが、ファウスト殿下は比べ物にならない。


 だが、それでもファウスト殿下は自身の優秀さを隠しているのだろうと思う。

 彼の前世を知る者ならば、あれは彼の能力の一端に過ぎないと実感する。


 ファウスト殿下の前世、国王クリストフォロスの代はアルガイオの最盛期だった。

 王子時代から政治に参加し、アルガイオの公衆衛生、労働改革、農地改革、市場経済や医療技術、建築技術発展への投資等を行い、アルガイオの文化が一気に進んだ時代であった。


 国民が医療を受ける際、大金を払わずに済むようにしたり、商人達の独断場だった市場をコントロールしたり、水路や橋を作り、水の安定供給と交通の活性化を図ったり。


 見た目も麗しいことも相まって、高いカリスマ性、リーダーシップ、提案力も持ち合わせいたものだったから、国民からの支持も高く、周囲の上流階級の人々も全員一致で彼に従っていた。


 このアウレリウス公爵もその一人である。


 彼はクリストフォロス国王に心酔していた。

 それは今世でも変わらない。


 若くして亡くなったクリストフォロス国王が賢王と呼ばれていた時代がどうしても忘れられず、ファウスト殿下にまた国王になってもらおうと願っている。


 だからそれに邪魔な人間は早々にどうにかしたいのだ。

 それは今世で血の繋がった自身の娘も例外ではない。



「アウレリウス公爵。セウェルス伯爵がお見えになっています」


 ノックの後、入ってきた侍従の言葉にアウレリウス公爵は通せ、と一言言った。

 (わたくし)も侍従と一緒に退出しようと思ったが、アウレリウス公爵が(わたくし)に声を掛ける。


「お前はいてくれ」

「……かしこまりました」


 入室してきたセウェルス伯爵は、部屋の隅に控える侍女には気にも留めずに、丸々とした身体をアウレリウス公爵の方へ移動させる。


「アウレリウス公爵。急な訪問失礼しました」

「大丈夫だ。どうかしたのかねセウェルス伯爵」

「クラリーチェ嬢の処遇について伺いたく思いまして」


 セウェルス伯爵の言葉にアウレリウス公爵はピクリと眉を跳ねあげた。見る見るうちに険しい表情に変わっていく。


 ファウスト殿下を王位に付けたいアウレリウス公爵にとって、前世の妻であったクラリーチェ様は邪魔でしかない。今世での憂いは全て潰したいというアウレリウス公爵の考えだ。

 だから、アウレリウス公爵は強引にセウェルス伯爵とクラリーチェ様を結婚させようとしている。


 セウェルス伯爵は何も知らないにも関わらず、だ。


「クラリーチェ嬢をフィリウス侯爵家の息子サヴェリオにけしかけようと思っております。フィリウス侯爵家は第二王子派の中核に近い人物。人の婚約者に懸想している、なんて醜聞はフィリウス侯爵家の勢いを削ぐのに使えるのではないかと」

「ならぬ」

「何故ですか?幸いにも第二王子の母親、グローリア王妃様の目にも留まる程、クラリーチェ嬢は警戒されているのです。つまり、サヴェリオはそれだけクラリーチェ嬢を気に掛けているのです」

「ならぬと言っている!!前にも聞いた。くどいぞ!!」


 ガタリと机が耳障りな音を立てる。

 何故そこまでアウレリウス公爵が激怒するのか、セウェルス伯爵には分からないのだろう。納得のいかない顔を見せつつ、彼は引き下がった。


 王侯貴族の令嬢は政治の駒でしかない。

 前世のクラリーチェ様も、(わたくし)も、政治の駒でしかなかった。


 だから前世で政略結婚した相手と恋愛していたクラリーチェ様は、非常に幸せだったのだ。


「……っ、分かりました。ですが今度開催される公爵が主催するパーティーは、婚前に行われる一番大きいパーティーなのです。そちらの方には出席するとアルフィオ殿下にも他の者にも伝えていますので、出席させて頂きたく思います」

「……分かった。だが、クラリーチェ嬢の事はしっかり見張っていろ。お前の婚約者だろう?」

「勿論でございます」


 しっかりと頷いたセウェルス伯爵を見て、アウレリウス公爵はようやく表情を緩めた。セウェルス伯爵もそれに少しだけ胸を撫で下ろしたようだった。

 公爵を怒らせるのは、伯爵にとっても不本意なのだろうと思う。


「では、パーティーの際にまたクラリーチェ嬢を迎えに来ます」


 そう言い残して、セウェルス伯爵は帰って行った。


 アウレリウス公爵は知らない。

 セウェルス伯爵が変な気を起こさなくとも、ファウスト殿下とクラリーチェ様は隠れて会っている事を。

 もう既にアウレリウス公爵の恐れている事は現実になっている事を。


 ずっと(わたくし)は見てきた。


 でも(わたくし)は言わない。言う義理はない。言う必要もない。


 この先ファウスト殿下とクラリーチェ様の恋が成就しても、しなくても、静観し続けるだろう。


 何故ならもう、(わたくし)に前世は必要ない。

 クリストフォロス様が壊れてしまった時、私の恋心も壊れてしまった。もうその時点で、彼に固執はしていない。


 (わたくし)にとって、前世に囚われ続けるファウスト殿下とクラリーチェ様が理解出来なかった。自由や幸せ、地位を捨ててまで、恋愛という感情を優先させるものなのかと。

 アウレリウス公爵だってそうだ。取り戻せない前世(かこ)今世(みらい)で実現しようとしている。


 名前も違う。産まれも違う。家族も違う。容姿も違う。生きている時代も違う。

 同じなのは、ずっと持ち続ける前世の記憶のみ。


 一国の王女として、国王の側室として、テレンティアとして生きた人生はもう終わった。

 (わたくし)にとっては全て過去の事だ。


 だから(わたくし)は、ビアンカとして生きていく。

 アウレリウス公爵とは関係ない。アウレリウス公爵に仕えている訳では無いただの侍女。だから、アウレリウス公爵に対して従う必要なんてない。


 (わたくし)もアウレリウス公爵に一言告げてから退出する。向かう先は勿論、今世の主であるクラリーチェ様の元だ。


 クラリーチェ様を軟禁する為に、わざわざ使っていなかった邸を使っているので、廊下の隅には埃が残っていたりする。妾の子供とは言え、貴族の令嬢を一人軟禁しているのだ。広まる危険性があるので、あまり侍女をこの邸に滞在させる訳にはいかない。


「わ……っ?!」


 主の居る部屋のドアを開けると、ドアにくっ付いていたらしいクラリーチェ様が勢いよく飛び出してくる。

 私の身体に飛び込んできたクラリーチェ様は固まった後、目をさ迷わせながら、しどろもどろに口を開いた。


「ああ、いえ。あの、これは……」

「妙な気を起こさないで下さいと申し上げましたよね?」

「……ええ」


 語尾が萎んでいくような頷き方だった。大方、どうにかして脱出しようとしていたのだろう。彼女の肩をそっと押して室内に戻す。


「この邸がどこにあるのかも分からずに無謀な事をなさいますね。貴族のご令嬢は一人で外にすら出た事がないのに」


 クラリーチェ様は苦虫を噛み潰したような表情で(わたくし)を見ていた。痛いところを突いている自覚はある。彼女も充分に分かっているのだろう。


「それでも……、私が結婚する前に伝えたいのよ。どうしても」


 前世も今世も運命が二人を引き裂いている。

 だけれど、醜く足掻き続ける彼女の姿が、(わたくし)には酷く愚かに見えた。

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